2016 再開祭 | 木香薔薇・廿弐

 

 

「おはよう!」
春の朝に相応しい、日差しと同じほど明るい声が診察棟中に響く。
室内の薬員も医官も微笑みながら、声の主ウンス殿へと振り返った。
「お早うございます!」
「お早うございます、ウンス様」
「おはようござ・・・」

しかし彼ら彼女らの表情は曖昧に凍りつき、朝の挨拶の声が詰まる。
その春の使者のようなウンス殿の真後ろ。
まさしく冬将軍の如き張り詰めた冷気を纏い、硬い表情のチェ・ヨン殿が続いて入って来れば無理もない。

「います、大護軍様、ウンスさま・・・」

ウンス殿は慣れているのか、それとも敢えて不機嫌な様子に片目を瞑っておられるのか。
「ごめんね、私今日、途中でちょっとだけ抜けるの。急患は?」
「キム先生も一緒なんだけど、2人で抜けても大丈夫かな?」
「湿布薬の予備ってまだある?」

チェ・ヨン殿の様子に気も漫ろで、その顔色を不安そうに見守る皆に声を掛けながら、何事もないよう一人診察部屋を駆け回って準備を始められる。
そして冬将軍は周囲の医官や薬員の視線をものともせずに、その硬い表情のまま全く足音を立てずに私の許まで来る。
そして声すら掛けずに此方を一瞥し、顎先を上げて今しがた入って来たばかりの部屋扉を示して見せた。

次に私の返事も待たずに踵を返すと、入って来た時と同様無言で扉を出て行く。
成程、交渉決裂という事か。昨夜ご自宅でのウンス殿の説得には失敗されたのだろう。
ウンス殿が出掛けると騒いでいるとは、つまりそういう事だ。
これで冬将軍の機嫌の悪さも、苦々しい表情の理由も判ったと、私は続いて扉から静かに抜け出る。

 

出た扉から僅かに離れ、チェ・ヨン殿は薬園に引いた水路の一本の脇に佇んで扉を出た私を待っていた。
「ウンス殿は、行くわけですね」
無駄な問い掛けはしない。いきなり要点を口にする私に
「ああ」
チェ・ヨン殿も無駄を一切省いて頷いた。
「もう待たぬ方が良いでしょう。今日私から、直接お伝えします。ウンス殿がチェ・ヨン殿の奥方だと。構いませんか」
「ああ」

チェ・ヨン殿の機嫌はそれでもまだ直らないらしい。
これ以上どのように話せばその気鬱が晴れるのかとさすがに少し躊躇しながら、その硬い表情を眺める。
「それ以外に、何か出来る事は」
「承認欲求とは何だ」

いきなりそう問われ、私は首を傾げる。
「承認とは、認める・・・欲求とは、求める、という意味ですね・・・」
「昨夜あの方が言った」

御二人はご自宅で随分とややこしい話をされるのだな。
思わず苦笑を浮かべた私に、チェ・ヨン殿の眉間が険しさを増す。
「笑い事か」
「いえ、そういう意味ではなく。失礼しました」
「あの方はそれを確かめたいと」
「承認欲求を・・・ですか」
「心に何かあるのではと言っていた」

心の病を心配されているのか。
そんなややこしい事の訳がなかろうと、私は思わず息を吐く。
あの若い子息は、ウンス殿がチェ・ヨン殿の奥方と知らなかった。
ただ一方的に岡惚れし、その熱に振り回されているだけだ。
肝心のそこに気付かずあれこれ講釈を付けようとするのが、何ともウンス殿らしくもあるが。

「ウンス殿に委細を伺ってみましょう。今は何とも言えない。これ以上ウンス殿と会わねば、それで万事丸く収まるのですが」
「まさにな」
「奥方だと伝えて、もしも先方が諦めぬ時は、どうしますか」

愚にもつかない余計な問いに初めて冬将軍の表情が動く。
その黒い目の奥を光らせて、チェ・ヨン殿は吐き捨てた。

「体に叩きこむ」

 

*****

 

「こんにちはー!」

邸の門の前、私の前を足早に進んだウンス殿は昨日と同じ門番の男に頭を下げた。
「往診に来ました。テギョンさんにお会いできますか?」
「医仙様、御医様、ようこそおいで下さいました!」
門番は深々と頭を下げると、すぐに我々を招き入れる。

「家令を呼んで参ります。少々お待ち頂けますか」
「あ、大丈夫です!そんな大げさにしないで、テギョンさんとお会い出来れば」
「では、坊ちゃまのところへご案内いたします」

そんな庭先の遣り取りの最中邸の方から男が一人、あっという間に駆け寄って来る。
「医仙様!」

そう呼びながらウンス殿へと頭を下げた後、横に居る私についでのようにおざなりに頭を下げ
「どうぞ、若様よりすぐにお通しするよう言われています」

子息の付人らしき男は、まるで手を引かんばかりの様子で丁重にウンス殿の水先案内を買って出る。
「あ、ありがとうございます」
案内に率いられながら、昨日も見た春の庭を歩きつつウンス殿は暢気にその男へ声を掛ける。

「テギョンさんは?昨夜、あの後どうでしたか?」
男は嬉しそうに微笑みながら、ウンス殿へ振り返った。
「ええ、御医様にお届け頂いた薬草を煎じて飲ませました」
御医と言いながら、まるで手柄は全てウンス殿にあるかのように。

「熱は?傷が痛むとか、腫れがひどくなったとか?」
「全くございません。夕餉も召し上がり、ぐっすりお眠りで」
「じゃあ問題はないと思います。今日もう一度診察すれば、あとはまた7日位後に診察を」
「・・・え」

従者は其処で声を切り、足を止めて体ごとウンス殿へと振り返る。
「それでは、その間若様は・・・」
「はい?」
「医仙様とお会い出来ないのですか」
「は、い?」

ウンス殿は問いの意味が判らないという顔で、一先ず頷くと
「それほど深刻な捻挫じゃないなら・・・今日診察して、次の診察は7日後で問題ないと思います。
それにその時は、多分こっちのキム先生だけがお邪魔するかと」
「そ、そんな!」

まるで不治の病と宣告を受けたように、従者は悲痛な声を上げる。
ウンス殿とチェ・ヨン殿の事を告げる前からこの騒ぎか。全く先が思いやられると、私はうんざりと頭を振った。

 

 

 

 

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