2016 再開祭 | 天界顛末記・拾壱

 

 

< Day 2 >

「おはようございます」
家の扉外から明るい、しかし遠慮がちな声が響く。
「お兄さん達、起きてますか?」
その声に近くにいらした副隊長が、慌てて扉を開ける。
「お早うございます、どうぞ!」

扉を開けた瞬間に、外に広がる青い空。
冬色の空の下に真白い上衣を羽織るソナ殿が、真白な息を吐き、副隊長の開けた扉の勢いに微笑んだ。
「そんなにあわてなくても」
「風邪を引きます。中へ」
「二日酔いじゃないですか?2人とも。叔母さんはベッドでうんうん唸ってます。
何だか失敗した、言うんじゃなかったって、うわ言まで」
「後で薬を煎じてお持ちします」
「え?」

叔母殿の痛飲と悪酔いの遠因は、私とのあの会話の所為もあるだろう。
少なからず責任を感じつつ扉前の副隊長の脇から顔を覗かせ、扉前のソナ殿に一礼して伝えると、その目が丸くなった。
「お兄さんはお医者様ですか?」
「ええ、漢方医学を齧っております」
「そうだったんですか!どうりで天才なわけですね!」

私の言葉を疑いもせず屈託なく叫ぶと
「じゃあ朝ご飯食べたら京東市場の薬令市に行きましょう。韓薬剤がいろいろ揃いますよ?
お兄さんなら、きっと楽しめると思います」
ソナ殿は両手で持った小さな鍋を目の高さに掲げて見せた。
「叔母さんとお兄さん達に。プゴク、大丈夫ですか?」
「ぷごく」

副隊長は一先ず頭を下げて鍋を受け取ると、聞き慣れぬ言葉に首を傾げた。
「あ、もしかしてお兄さんも、魚、苦手ですか?」
ソナ殿の顔が不安げに曇り、副隊長が急いで首を振る。
「魚は好物です」
「じゃあ、プゴク食べるのが初めて?」
「はい」

素直に頷く副隊長に安堵したように、ソナ殿が詰めていた息を吐く。
「良かった。野菜が・・・モヤシもネギも入ってるんですけど」
「大丈夫です」
「卵も」
「大丈夫です」
「じゃあ下からご飯とパンチャン持って来ますね!」
「あ、俺も参ります!」

戸口で踵を返したソナ殿の背に、副隊長が大きく声を掛ける。
階を降りようとしたソナ殿は立ち止まり、振り返ると青い空の中で嬉しそうに笑う。
そして白い上衣の袖を揺らして、副隊長を大きく手招いた。

 

「今日はどうするんですか?」
ソナ殿が熱い汁の入った器を手渡しながら問われる。
「人を探します」
その器を受け取りながら私が答える。

「人?」
「はい。そもそも此処に来た目的は、人探しですので」
「そうだったんですか!じゃあたくさん食べなきゃですね」
卓の上に並べられた、様々な菜の載った皿。
温かい湯気を上げる汁と飯の器を前に、私と副隊長はソナ殿に深く頭を下げた。

「頂きます」
「どうぞ、召し上がれ。探してるのはお友達ですか?」
「敵です」

箸を止めて正直に即答した副隊長の声に、ソナ殿が驚いた顔をする。
「はい?」
「あ・・・いえ・・・」
「恋敵とか?」
「全く違います!」
副隊長が叫んで打ち消し、ソナ殿は勢いに呑まれた様子で頷いた。

「そ、それなら・・・危ない事は絶対しないで下さいね?」
急に不安そうな呟き声に、私と副隊長が目を見交わす。
「はい、ソナ殿」
「天か」

何か言おうとされた副隊長に私が小さく咳払いすると、気付いて口を閉じた副隊長も同じように頷いた。
天界では周囲に目がありすぎる。徳成府院君も無闇に手出しをする事は無かろう。
恐らく副隊長は、このような事をおっしゃりたかったに違いない。

昨日叔母殿に話を伺っている。失う事に怯えるお気持ちは判る。
用意された七日後の別れに向けた、新しい一日がまた始まる。
出来るならば最後のその日、ソナ殿が悲しまぬように。
泣かぬように。これ以上心を痛める事が無いように。

卓の上の湯気の向こう、晩秋の朝の光の中で微笑んでいるソナ殿と、困ったように耳を搔く副隊長の並ぶ姿をじっと見つめる。

 

*****

 

「良師・・・」

唯でさえ始終温めねば、体内を巡る氷気が己の身を凍らせる。
耐え切れずに歯の根が合わぬ程震えながら、隣で縮みあがる小男に声を掛ける。

まさかこの徳成府院君が屋根も無い処で、一晩を明かす事になろうとは。
大きな広場の隅、等間隔で据えられた冷たく固い木の長椅子の上で起き上がり、周囲の景色を見渡す。

美しい。白々と明けた朝の中、目前に立つ全ての家々はくっきりと、線で引いたように歪みなく天に向けて伸びている。
しかしどれ程美しかろうと素晴らしかろうと、この手に入らぬのならば全ては絵に描いた餅、砂上の楼閣。
手に入らぬのならいっそ誰も手に入れられぬように、絵を破り楼閣は崩してしまえばいいのだ。
「最早耐えられぬ・・・」
「ナウリ」
「宿を探せ。新たな邸を手に入れるのだ。二度と野宿などさせるな。次にそんな破目になれば、お前が死ぬ事になる」
「な、ナウリ」
「早く朝餉を用意せよ!!」

叫んだ声は無人の広場に響き渡り、離れた日向で戯れていた数羽の鳩が飛び立った。
「そこな女」
愚かな良師も、天界に来て少しは学んだらしい。
広場から出て昨夜の通りと思しき大路で足を止めると、そこを行く女に向け呼び掛け歩み寄る。
「はあ?」
女が怪訝な声を上げ、それでも歩みを止め良師を気味悪そうに振り返った。
「この辺りで、最も美味な朝餉を出す店に案内せよ」

良師の声に顔を歪め、女は鼻先で哂い飛ばす。
「バッカじゃないの?」
「・・・何と」
「観光客なら観光案内所に行けば?」

女は顎で通りの先を示し、振り返りもせず歩き出す。
一人大路に取り残されて、此方を振り向く良師の視線。
供が兪鶄であれば、あの隙の無い男は入密法で周囲の者の話を聞いて来ただろう。
毛緋玲であれば、あの色香で辺りの男を手玉に取りこき使うのも朝飯前だったろう。
結局は最も役立たずの外れ籤を供に連れて来てしまったわけだ。新たな拠点どころか一夜の宿、一食の膳も手配できぬ者を。

手ぶらで私の元へ戻る事など赦さぬ。
此方を伺う視線を睨み返してこの眼で伝えると、奴は慌てて近くの店へと走り込んで行った。

 

 

 

 

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