2016 再開祭 | 木香薔薇・廿

 

 

妙に依怙地なトクマンが答を返さぬ俺に諦めの嘆息を残し、渋々兵舎へと引き上げた後。
コムもタウンも離れに引き上げ、厩のチュホンの気配すらない。
再び静けさを取り戻した邸。
誰の視線を慮る事も、体面を気に掛ける事も、王様の利害を憂う必要もなくなった、二人きりの庭。

腰を下ろした春宵の縁側で、膝の中の亜麻色の長い髪が風に遊ぶ。

無理もないとも思う。
これ程美しい女人、あれ程親切な看病。
この方の心に誰がいて、何故それ程心を傾けて治療をするか。
千里眼を持ってしても、真の処など判りようもないだろう。

戯れの振りで亜麻色のひと房を摘まみ、この指に絡めてみる。
あなたは気付いて俺の指を確かめ、笑って言った。
「ヨンアはほんとに、長い髪が好きなのねー」

長い髪が好きなのではなく、この髪が好きなのだ。
この方もこうやって俺の心を読み違える事がある。
但し罪作りには変わりない。
男にしてみればこの美しい女人に医を用い、己の怪我を誠心誠意診察されれば。
膝枕をされ、足に触れられ、笑い掛けられ、あの声に名を呼ばれ、石仏も心が動くに違いない。

此度は完全に俺の読み違いだ。
若造は知っているとばかり思い込んでいた。
何故なら最初に対応した家令が、俺達の事を知っていたから。

確かにあの場に他の者は居なかった。
怪我を負った若い男も、その従者も。
しかし家令であれば、それを伝えて当然だと思い込んでいた。

逆だった。何故伝えねばならんのだ。知っていて当然と、もしも家令が思い込んでいたら。
トクマンが言っていた。俺の名を知らぬ民はおらぬ。まして貴族の子息であれば。
それは奴の迂達赤としての贔屓目だとしても、確かに多少この名が知れている自覚はある。
そして寧ろ俺より膝に納まったこの方が。

何しろ俺とは格が違う。天からおいでの医仙だ。
その名と医の腕は高麗どころか、絶縁状を叩きつけた隣国元にまで轟いている。

故に奇一族が死に絶えようが、あの鼠が腕を失くそうが、奇皇后が権力の座から転がり落ちようが。
それでも旧敵を、そして常に新たな敵を警戒してきた。

そしてそう考える余り、いつしか思い上がっていたのかも知れん。
医仙と聞けば奇轍や徳興君が王様と奪い合った件を誰もが知ると。
確かに開京の民であれば知っておろう。
しかし地方の貴族となれば、表に出ず典医寺に居るこの方の名までは知れ渡っておらぬのか。

知れれば敵が増える。知れぬように素性を隠したい。
それこそが俺の目指す処であったというのに、知らぬと言われれば悔しくなる。
俺の名など知らなくて良い。
たかが武人の一人より唯一無二の天の医術を持ち、民の心体を守るこの方こそ知れ渡るべきだと。

自分が守り隠して来たから知られておらぬのに、知られておらねばそれはそれで悔しい。
何とも身勝手だと判っていても。
百歩譲って知らぬならそれで良い。今から思い知れば良い。
誰であれその天医に手出しする事などならぬと。
手出しするなら先ずは迂達赤大護軍 崔瑩を倒して行けと。

「・・・イムジャ」

指先に髪を掬い取ったまま、それをほんの少しだけ引いてみる。
決してこの方を傷つけぬ程度、そしてこの心の苛立ちの百万分の一が伝わる程度。
引かれた髪につられるように、この方の視線が向けられる。

「うん、どうしたの?」
「あの若・・・」

若造とつい乱暴に呼びそうになり、仕方なく口調を改める。
「若い男は、あなたに懸想を」
「け、そう」
「はい」

頷く俺を見詰める夜目にも明るい色の瞳が、大きく瞠られる。
この指に髪を引かれたままで、あなたは小首を傾げて訊いた。
「って、なぁに?」

・・・そう来られるとは思わなかった。
話を逸らす為に空恍けているのかと疑いたくなる程、何処までも無邪気な声で。
この方がそんな事を企むわけがないと判っていても。
賢いはずの天の医官が肝心な時には何故こうも鈍いのかと、思わず怒鳴りそうになる。

しかしそうだ。この方はそういう方だ。
俺の事にだけは妙に勘が鋭く、俺の為にだけ泣いて笑う。
その癖にご自分の事は全く考えない。
あの時、毒に侵されたこの方と共に途半ばまで行って、戻ろうと言い張られた時に思い知った。
まして此度は命の危機が迫っている訳でも、王様や王妃媽媽に大事が起きた訳でもない。

勘が働かずにいても仕方がないとは思うものの、俺にとっては重大事なのだ。
俺の事を想うなら、せめていつものような勘の鋭さが欲しい。
この口から妬いているから行くなとまで言わせないで欲しい。

それでも見つめ合ったまま、この方が不安に眉を顰めるのを見れば、先に口が勝手に言葉を紡ぐ。

「・・・想いを、寄せていると」
「想いを寄せてるって」
「惚れたという事です」

そしてこの方の動きが止まる。
居間からの心許ない薄灯の中、その表情の移り変わりを逃さぬように眸を凝らす。

疑っている訳ではない。
それでも奴の思惑が判れば、この方とて行いを慎み明日からの治療を思い留まるに違いない。
それで良い。俺は気分が悪いのだ。
何しろこの命より大切な女人が、怪我人病人とはいえ男の頭を膝に載せていた。
それで気分の悪くならぬ男がいるか。

この方が突き飛ばした。捻挫を負わせた。気を失った。そんなもの俺の知った事か。
この方が診る事はない。責を負う事もない。
トクマンの言う通り、皇宮典医寺の名医が二人掛りで治療する重篤な怪我ではない。

本当に診て欲しくば俺の前に立ち塞がり、正々堂々と奪おうとしてみれば良い。
そうすれば望み通り、この方も侍医もそれどころか典医寺総動員で徹夜で看病せざるを得ぬような手傷を負わせてやる。
しかしあの若造の勢いではそれで死ねれば本望だとでも言いそうで、それも癪に障る。

そんな俺の想いは伝わらぬのか、この方はあくまでも怪訝な顔で此方を見たまま問いを重ねる。
「ほれた、って・・・一目ボレとかの、あれ?」
そうやって聞くだけで胸糞悪くなるような言葉を並べ立てて。

「恋しちゃったって?」
「はい」
「・・・・・・」

黙り込んだこの方に、ようやく得心したかと巻き付けていた髪から指を抜く。
絡んでいるとばかり思っていたが、艶やかな髪はふわりとあるべき細い肩の上へと戻る。
この方はそれすら気付かぬのか夜の中、色を濃くした瞳を、瞬きすら忘れたように丸くしている。

事の重大さが判ったか。俺の臍を曲げている理由が判ったか。
判ってくれれば明日からまた元通りだと、小さな体を抱き直す。

責めている訳ではない。ただあなたの鈍さが不安だっただけだ。
美しさもそしてその医術も、怪我人への配慮も悪い訳ではない。
あなたは素直に身を任せ、この膝の中に納まり直す。
もう寝よう。明日は早い。チュホンが居らぬから二人並んで春の朝の出仕としよう。

そんな事に瞬時気を取られた俺の耳に、続いて信じられん音が飛び込んで来た。

「・・・ぷっ!」

堪えきれぬ様子で、膝の中のこの方が盛大に噴き出した音が。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です