2016 再開祭 | 晩餐・後篇

 

 

市を歩きつつ、彼方へ立寄り、此方で足を止め。
その合間にも女人は身振り手振りを交え、何が可笑しいか一人で笑みを浮かべ、延々と話を続ける。

飾り物屋の店先で、品物を覗き込んで吟味しながら。
「うちのトゥブはねえ、すっごくおいしいんです。ね?ヨンア」
「・・・イムジャ」
「タウンさん、覚えてますか?結婚式で会ってますよね?うちにいてくれるオンニ。
トゥブを作るのが、すっごく上手なんです。
大豆も、お水もにがりもぜーんぶ天然素材だから、なおさらおいしい。
ヒドさんも絶対気に入りますよ、保証します」
「・・・そうか」

豆腐が美味かろうと不味かろうと。

次にその足はふらりと進み、薬屋の店先で止まる。
「それにね、庭の薬園の端っこでタウンさんの旦那さんのコムさん、あ、コムさん。あの、おっきな体の。
覚えてますよね?コムさんがいろんなお野菜を作ってくれてるんです。今年のムルキムチは最高。
センガンもすごくいい出来だから、今日の参鶏湯にも入れますね」
「イムジャ、声が」
「・・・そうか」

生姜の出来が良かろうと悪かろうと。

そして何を買う訳でもなくそこを離れ、進んだのは饅頭屋。
「あ、ねえヨンア、帰ったらチャメを冷やそう!井戸水で冷たーく冷やして、みんなで食後に食べよう?ね?ね?」
「・・・はい・・・」
「うちのチャメはすごく甘いんですよ?チャメには、塩分を排出するカリウムがたっぷり。
カリウムは筋肉の痙攣も和らげるし、不足すると筋肉を弱くしちゃうんです。
ヨンアやヒドさんみたいな人には、とっても大切な食べ物なんです。瓜全般いいけど、この人はキュウリがダメだから」
「・・・そうか」

ヨンが黄瓜を喰おうと喰うまいと。

女人に惚れ抜くこ奴であれば、献立談議にただ頷き、笑って何処までも付き合うだろう。
しかし俺は違う。未だに何故市を三人で歩いて居るのかさえ判らん。
そしてこの女人が、先刻から一体何を探しているのかも。

「じゃあ買うのはタンミョンくらい?うちに野菜たくさんあるし、トゥブもジャンも、キムもチャムギルムも」
笑いながら平然と言う女人に、さすがに堪忍袋の緒が切れる。
今迄散々後を追い、市を練り歩いた理由は無いと言う事か。

「それを先に言え!」
「買って戻りましょう」
俺の怒鳴り声から女人を護るよう、ヨンがその手を掴み引立てた。
付き合えん。付き合い切れん、絶対に。

二人を残し、唐麺を売る店目掛け脇目も振らずに市を抜ける。
正面から来る者がぶつかりそうになり、俺の剣幕に怒鳴るのも忘れ左右へ避ける。

さっさと買い、とっとと喰い、そして帰る。これ以上は付き合い切れん。
あの延々と続く声を聞くだけで、頭がどうにかなりそうだ。

 

*****

 

「お帰りなさい、ヨ・・・」
宅の門前、笑顔で頭を下げたコムの表情が中途半端に固まる。

「ただいまーコムさん!」
いつもの如く、いや、いつもより上機嫌に手を振るこの方。
そして俺の横、無言で小さく顎を引いたヒドとを見比べて。

「いらっしゃいませ、ヒドさん」
「・・・久方振りだ」
「はい」

ヒドも流石に無関係なコムに八つ当たりする気は無いらしい。
不愛想ながらそう言って、俺に続いて門をくぐる。
「私、タウンさんと話してくる。ヨンアはヒドさんとゆっくりして」

それだけ残し庭から宅への径を駆け出す小さな背。
それを見送り、ヒドがようやく呼吸が楽になったよう深く息を吐く。
「変わったな」
「庭か」

俺の声に呆れたような視線が返る。
変わってなどおらんと咽喉元まで出た声を呑み、そして考える。
変わっていないのか。戻っただけか。それとも本当に変わったか。

「・・・互いにな、ヒョン」
飯の為に此処まで足を運んでくれる事が嬉しい。
どれ程不機嫌でも付き合ってくれるのが嬉しい。
ゆっくりで良い。焦る事は無い。まだ刻はある。共に過ごす刻が。
今日も、明日も、そしてこれから先も、きっと。

言いたい事は判っているのだろう。
ヒドも何を言うでもなくほんの少しだけ、目許を和らげた。

「ヨンア!!」
叫び声に同時に庭先で振り向く。
庭の緑の葉の先、縁側から背伸びしたあの方が手招いている姿が見える。
その血相の変わった顔色。
ヒドと二人で庭を突切り駆け寄れば、小さな掌がこの袖を皺の寄る程握り締めた。

「許すって言って?」
「は」
「良いよ、許してあげるって言って?」
「イムジャ」
昨日の寝屋のやり直しか。今度は何をやらかした。
優しい言葉が聞けることは知っている。だからと言って。

「言えません」
「ヨンアー」
「一体」
「だって怒る。今回は絶対怒るわ。あなたを怒らせたくないもの」

これだ。こうして先手を打つ。逃げ道を絶つ為に。
「・・・怒りませぬ」
「本当?約束?絶対?誓う?!」
「・・・はい」

この方は困り果てた顔で、掬うような瞳で俺を見上げて言った。
「トゥブが、ない」
「・・・は」
「あんなに自信満々に言っちゃったのに、トゥブがない!」
「はい」
「今日暑かったから、作った豆乳ダメになっちゃって。スンドゥブを作ろうと思ったんだけど。
体に良いし、大豆の蛋白質は胃粘膜も保護するし、だけど」

たかが豆腐が無いだけで、何故これ程の騒ぎになるのだろうか。
豆腐が無くば他の菜で良い。一皿減った処で全く問題は無い。

「豆腐が喰いたいのですか」
試しに聞いてみる。喰いたいなら何としても手に入れると。
「違う、私じゃなくあなたとヒドさんと、タウンさんとコムさんに食べて欲しいの!
食事は栄養バランスが大切なんだもの、ドクターの家族の食事がバランス悪いなんて、私のプライドってものが」
「ぷらいど」
「何だそれは」
「ああ、誇りとかそういう意味なんですけど、問題はそこじゃなく」

袖を掴まれたままの俺に、ヒドが怪訝な声で問う。
「気になるか、ヨンア」
「全く」
袖を掴まれたまま首を振れば、ヒドがこの方を諭すよう低く言う。

「だそうだ」
「そういうことじゃないんです。せっかくの一緒のご飯なんだもの、おいしいものをバランス良く」
「ならば二つに一つだな。一。ヨンアにこの糞暑い中、豆腐を買いに走らせる。二。豆腐抜きで晩飯を拵える」
「・・・ごめんね。トゥブ、今日は抜きでもいい?」

この方は申し訳なさそうに袖を握り締めた指を解く。
そして寄った皺を伸ばすよう指先で撫で整えて眉を下げた。
「構いません」

構わない。
それは構わないが、あなたが素直にヒドの言葉に従う事だけは見過ごせん。

何処か解せない気持ちのまま、縁側のあなたと庭先のヒドを見比べ、俺は何とか頷いた。

 

 

 

 

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