2016 再開祭 | 春夜喜雨・柒

 

 

いかに袖笠雨とはいえ、此処まで走れば流石に濡れる。
頭の先から湿りを帯び、典医寺の治療部屋へ呼びながら入る。
「イムジャ」

あの方はキム侍医と卓に向かい合い、点穴の書かれた紙を手に顔を上げた。
「ヨンア?」

嬉し気に立ち上がると、あなたが駆け寄る。
小さい体を胸で受け止め、箱を支えぬ片腕を回す。

「どうしたの?雨なのにわざわざ来てくれたの?足音が聞こえてね、早いなあと思ったの。
いつもお昼に会うから、あなたの顔見たら何だかお腹が減っちゃった」
腕の中から小鳥のように囀りながら、暖かな手が額に頬に、頸に手首に触れていく。
相変わらずじっとしていて下さらぬ方だ。

「体調は悪くなさそうね。熱もないし、脈も正常」
「はい」
「じゃあ、なんでこんな早く・・・」
思わぬ刻の訪いに病か怪我を懼れたか。
ようやく安堵したように息を吐くと、俺の脇の箱へ瞳が移る。
「あ、もしかしてプレゼント持って来てくれたの?」

最初から冗談のおつもりなのだろう。
この方は笑みながら、三日月の形の瞳で俺を見上げた。
「嘘、嘘、じょうだ」
「はい」

茶化す声の途中で自信を持って確りと、鳶色の瞳に頷き返す。
ぷれぜんと、というのが何かは判らん。
此処持参したのは、あなたを助けられるかもしれぬ品。
あの時あなたが一つきりの命を賭し、俺の為に打った勝ち目の薄い大博打。
そこまでしてでも手に入れたいと切望して下さった品。

「ぷれぜんと、を、持って来ました」

それだけ言うとこの方の脇を抜け、キム侍医がまだ腰を下ろしている卓の上へ箱を据える。

「お座り下さい」

振り返り見詰める俺に目を丸くしてこの方がゆっくりと戻り、卓前の椅子に腰掛ける。
そしてそんなあなたを横に、侍医が不思議そうに問うた。

「どうされたのです、チェ・ヨン殿」
「侍医は初見かも知れん」
「・・・はあ」
何を言っているのかという顔で、侍医は俺を見つめ返す。
そして同じく、この方も。

細い背にそっと手を添え、もう一方の手で卓上の箱の蓋を開ける。
この方と侍医とが先程の康安殿の俺達のよう、その中を覗き込む。

侍医にとっては何の思い入れも無い品だ。
しかし俺のこの方の背に添えた掌は、そこに力が籠るのを見逃さん。
この方に関しては、俺は掌で見る事が出来る。
眸で聴く事も出来る。声にならぬ紅い唇の呟きを。

「・・・これ」
白い指が、箱の中へ伸ばされる。
「はい」
「まさか、あの頃キチョルが持ってたオペ道具」
「はい」
「徳興君が持ったままだった、ダイアリー・・・」
「はい」

次の瞬間この方は奪うように、その一式を箱から掴みだした。
「どうして?ヨンア、どこで見つけてくれたの?どうやって?信じられない、すっかりあきらめてた。
私置いてきちゃったから、あの時100年前に、あなたのとこに戻るのに置いてきちゃったから」

丸いままのその瞳の縁を潤ませる涙に、慌てて眸を逸らす。
この方の涙を見るのだけは、今も本当に心が痛くてならん。

ただ落ち着くように、泣き止むように背を掌で支え続ける。
その掌からこの心が伝わるように、祈りながら擦り続ける。

泣くな。頼むから。あなたの大切な品はこうして戻って来た。
あなたが少しでも楽になれば良い。願う治療の助けになれば。
「王様が保管していて下さいました」
「王様が?じゃあやっぱりあの頃の碁を打ってるとかいう部屋に隠してたのね、徳興君。あいつ」

掌中の天界の書を握り潰しそうな、憤りの籠った声に喉で笑う。
今は大逆罪の獄中にいるとはいえ、仮にも元王族。
その男をそう呼べぬ俺の代わりに、あいつ呼ばわりとは傑作だ。

命を懸けて俺を守ろうとする方。俺の愛おしい天の女人。
そしてこの不可思議な道具を自在に扱う神医。

何れにしても、怖いもの知らずにも程がある。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    高麗に戻るために 置いてきちゃった物
    100年ぶりの再会…
    諦めていたから すごくうれしいでしょうね。
    錆びだらけ? 鍛治さん よろしくおねがいします。 ウンスの使いやすいように
    カスタマイズ ぷりーず!
    アイツ…٩(๑`^´๑)۶

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    さらんさん、おはヨンございます❤️
    ぷれぜんとって天界の言葉は知らなくても以心伝心
    言いたいことは伝わってるのよね。
    ヨンは優しい男ですね!
    ウンスの背中に手を添えて、心を感じたり摩って慰めたり。
    キム侍医の前でも照れることなくね。
    夫婦だから名分もあるし、もう気にしないか!
    愛する人の涙は心が痛いですね。
    嬉し涙だってヨンなら構えちゃうよね。
    王様のお心もうれしいですね。
    ちゃんとヨンの頃合いを見てウンスの元へ返してくれて。 思い出の品に触れてウンスも感慨深いでしょうね!
    あいつ…勿論そう呼びたくとも、ウンス以外ではそんな風に表立って言える人は居ませんよねw
    勝算は薄かろうが、ヨンを助けるために意に沿わぬ相手との婚儀を受け入れたり
    ひたすら突っ走るウンスだけど、そんな型に囚われない人だから目が離せず惹かれる魅力でもあると思います♪

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    この方の事に関しては、俺は掌で見る事が出来る。
    眸で聴く事も出来る。声にならぬ紅い唇の呟きを。
    ヨンさん~~ごちそうさまです(笑)
    恐いもの知らずのウンス。
    そんなところも、ヨンはウンスが
    大好きなんですよね❤
    さぁー早く女鍛冶さんの所へ
    ウンスを連れて行ってあげてね(^^)

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