2016 再開祭 | 馬酔木・後篇

 

 

一体何を言いたいのか。

黙ったままで見つめ続ける私の目の前で、男は棚の薬包を指した。
「御医は御存知でしょう。天竺にしろ元にしろ、そして無論我が国にあっても、天を変えるために最も用いられるのは毒です」
「・・・お慎み下さい。私も国にお仕えする身です」
「ええ。ですからお伝えしたいのです」

厳しく窘める私の声など意に介さぬ様子で、薬師は包を見た。
「皇宮で銀箸を用いるのは、銀が毒に反応して黒ずむからです」
「ええ。そして盛った食物が傷みにくいという利点もある」
「確かに。私などが言うべき事ではありませんでした」

薬師は苦笑を浮かべると頷いた。
「ただしどれ程周辺に注意を払おうと、全ての毒を遠ざけるのは至難の業でしょう」
「・・・何をおっしゃりたいのか」
「私が何故あの子に毒草を摘ませるか。御医ならご存知でしょう、天竺や元の宮廷で実しやかに囁かれている話です。
天の星に生まれ落ちた御子が、ほんの幼い時から薄めた毒を摂り続けると。それによって体の中に、毒に抗する力が出来ると」

その声に私は頷き返す。
「確かに聞いた事はあります。しかし実際そんな事をすれば、何の毒に当るか判らない。そうなれば命を落とし兼ねま・・・」
ほんの幼い時から、薄めた毒を摂り続ける。
確かに聞いた事はある。 だが決して許される事ではない。
第一そんなものを天子に出すなど それ自体が謀反に等しい。

自身に医の力があり、宮廷で政に関わる力のある間は良い。
一旦失速すればそれを理由に首を刎ねられる。そんな危険を冒す医官など、居る筈がない。
第一真当な医官であればある程、健康な者に毒を盛るなど。

毒草を摘み続ける窓の外の娘。
目の前で黙りこくる薬師。

――― 以毒制毒。私がそう作った ―――

「・・・まさか」
「人とは、何の毒で死ぬのか。幾つの頃から、何の毒を与えれば、如何なる症を発し、何の毒を以てそれを制する事が出来るのか。
人はその毒を、どのような段階で解毒して行けるのか。何処まで与えて耐えられるのか。
何も判らず天子に、皇子に最初に与えれば謀反になりましょう。しかし確かめた後であれば。
そしてそれを明かす者が、生きていれば」

目の前の男が、まるで悪鬼のように見える。
あまりの悍ましさに私は片手で口許を覆う。

目の前の棚に並ぶあらゆる毒。
毒草を摘み続ける窓の外の娘。

それらを従え、男は夢見るように独白を続ける。

「下世話な話ですが、そうして薄めた毒を摂り続けた娘を、逆に政敵に献上する事も出来ます。
体全てが毒で出来ている。毒の髪、毒の肌。毒の涙。毒の唾。毒の血。
体の隅々まで全て毒だという事です。うまく寵愛を得る事が出来れば」
「おやめなさい!」

我慢出来ずに上げた声に薬師は口を噤む。

毒草を摘み続ける窓の外の娘。あの娘は、まさか。

「何をおっしゃっているかお判りか。そんな事をすればあなたの名前は薬師ではない、稀代の奸臣、謀反の首謀者として残ります。
医官として、薬師として、例え出仕して居ようと居まいと許される事ではない。医に関わる資格はない、人間として許されない!」
「御医。新しい医を見つけるのは、いつも議論を巻き起こします。しかしお考え下さい。一人の犠牲で、他の多くが救われるなら。
天子だけではありません。飢饉の時どの毒草をどのようにすれば食べられるのか、それが判れば民が救われます」
「何故あなたがそれをするのです。何故・・・」

私は真直ぐに腕を伸ばし、窓向うの毒草の叢で懸命に草を摘み続ける小さな影を指した。

「何故あの子が犠牲にならねばならぬ。御自身の娘でしょう!」
「では誰なら良いのですか、御医」

この男には何を叫ぼうと馬耳東風なのか。既に歪んだ探求心に支配され、まともな思考など持てないのか。
誰なら良いのか。そんな事、決まっているではないか。

「自分だ。自分なら構わない。毒を呷ろうが何をしようが。たとえ我が子であろうと、他者を巻き込む事は許されない」

しかし男は、情けない顔で首を振った。
「自分で毒を飲むには、歳を取り過ぎておりました。そして自分に何かあれば、この試し飲みを正しく後世に残せない。
正しく後世に伝える事が出来ない。あの子は産まれた時から、乳と一緒に薄めた毒を飲んで生きてきました。
毒の種類、組合わせ、量、摂った刻。どれ程薄めたか、どんな症状がどれ程後に出たか具に残さなければ意味がないのです。
冷静に確かめ、正しく記録を残さなければ」
「では、あなたは娘に毒を飲ませて、それを全て克明に」
「勿論です。後ほど御医にお見せしましょう」

悍ましさを通り越して、背に悪寒が走る。
頭の芯まで冷たく凍り、男の声が遠くに聞こえる。
この男は狂っている。
まともな人間であれば、己の娘にそんな事をしようと考える訳がない。
「結構だ。読む気はありません。そしてそんな怖ろしいことに手を染める気もない。
毒であろうと薬であろうとも、どんな病や怪我であろうとも、私は私の方法で対処する。失礼します」

私は吐き捨てると、薬房から飛び出した。
そのまま其処に居れば男の狂った欲が足許から黴のように拡がり、この心を侵食されそうで。

どす黒く床に溜まる澱のような妄執を踏まぬように注意をして庭に出てから、明るい日差しと吹く風にようやく深く息をする。

医に携わる誰もが思う。新しい道を、一人でも多くを救える道を。
けれどそれを見つけるのも試すのも、己自身でなければいけない。
私はあの薬師とは相容れない。
結果として優れた書を残そうと、それを読み学ぶ気にはなれない。
それこそ焚書にすべきだ。己の子に己の手で乳と共に毒を飲ませその様子を記した書など。

胸中に吸い込んでしまったあの男の撒き散らす毒気を清めるよう深く息を吸いながら薬園を歩けば、あの娘の姿が見える。
親が健在である以上、私に何が出来る訳でもない。それでも無視する事は出来ない。

あの子は知っているのだろうか。父が己に何をしているか。
それを暴露する気には到底なれない。それでも。

一歩ずつその小さな影に近寄りつつ、注意深くその様子を見守る。
体は小さい。はっきりとした年は判らないが、かなり痩せている。
私の足音を聞きつけたのか、その小さな影が叢の中で立ち上がる。

「・・・こんにちは」
他に何が言えるでもなく笑って言うと、娘は不思議そうな顔でこちらを見てから、小さな頭をぺこりと下げた。

何が出来るだろう。何の罪もないこの幼い子に。
今ここで攫って典医寺へ連れ帰る事も出来ない。
粗塩風呂で汗をかかせて、炭入りの麦飯や青菜を充分に食べさせ、そんな消極的な方法では解毒までどれ程時が掛かるか判らない。

「君の名は」

結局何も出来ないのだ。あの男の妄執の前では。
父であるだけで思い上がり、己の子を好きに扱う欲望を前に、手も足も出せない自分の無力さ。

私の問い掛けにその子は口だけを動かした。

と ぎ

ああ。そうか。毒が奪ったのか、それとも生まれつきなのか。
それすら判らない。ただ判ったのはこの子が既に声を失っている事だけだった。

「・・・トギ。良い名だね」

私の声に幼子は、何も知らぬ純粋な笑顔を浮かべた。

 

 

 

 

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