膝には乗らず、縁側の縁に腰掛けたこの方の細い背。
乗らぬには意味がある。無理には招かず斜め横からその背を見る。
互いに考えている。その程度は判るから、この方からの声を待つ。
薄闇の中で夜風に吹かれるその髪が揺れても。
藍空が色を濃くし浮かぶ月の白さが増しても。
今宵のこの方は夜風を愉しむ気も、月の光を愛でるつもりもないらしい。
そしてその月が中空に高くなる頃、ようやく此方を振り向いた。
「私、間違えたの?」
先刻東屋で笑った事など嘘のように。
あれで気付かずに終わると思った俺が甘かった。
それでも知らぬ振りで終えられればと祈るよう、出来る限り何気ない声音で問い返す。
「何を」
「あなたが気が付かないはずない。何で突然みんなにイ・ソンゲのことを言ったの?」
「・・・奴らが余りに勝手な事を言うので」
縦しんば懸想されたのが事実としても、この方のせいではない。
それを理由にこの方を責めること自体が間違っている。
周囲の者は何とでも言える。何故なら無責任だからだ。
背負う命の重さも、殺したいほど憎い者を救う痛みも、その者を助けた以上他の者も必ず助けるという決意も、何も知らずに。
知らぬから好き勝手にほざける。好きだ嫌いだ、判る判らぬ。
間違っているとこの方を責める資格のある者など居らん。
もしもそれでも責めるなら、同じ重荷を背負ってからだ。
心から想う相手を殺す者を救ってから文句を言えば良い。
李 成桂の一件を持ち出せば、この方が傷つくと判っていた。
それでもあそこまで言わねば、この方の傷の深さは伝わるまい。
伝えればヒドがああ言い出す事も予想のうちだった。
その時にはこの体を張ってでも止める覚悟で。
恐らく奴らは調べるだろう。この方が誰を助けたか。
そのうちの誰に的を絞るかは奴ら次第だ。若しくは助けた者が多過ぎて絞り切れぬか。
若造一人の惚れた腫れたの騒ぎだった筈が、あそこまで大きくなるとは思わなかった。
誰も間違った事をしていない。そして皆が間違えている。
判っているつもりで実は何も判っておらぬと気付かぬまま、自分の気持ちだけを押し付け合って。
「イムジャ」
「うん」
「人は計算通りには動かない」
テギョンの病は真実かもしれん、だがこの方に想いを寄せたのはそれが理由ではない。
この方の診立ては正確だろう。しかしそれが総てな訳ではない。
この方は自分の天の医術の弾き出す答を信じ、それ以外のものを見ようとしない。
男の心と算術の答は違う。単なる足し引きで答が出る訳はない。
そして俺はこの方を護りたいと焦る余り、傷つくと知っていながら李 成桂の件を口にした。
これ程護りたいと願っていながら、結局は傷つけている。
周囲の者は皆、俺とこの方の間に波風など立たぬと思い込んでいる。
敵さえ居らねば、俺達が形影一如であると信じて。
そうでないと知るだけで、あれ程この方を責める。
在るべきものを在りのまま受け入れる事が、こんなにも難しい。
答はいつも単純に出来ている、そう知っていても。
考えるから遠廻りをする。考え事の苦手な己が足を止め考えても、碌な結果は生まれない。
計算通りに動く事こそ稀なのだ。戦にしても人にしても。
どれ程裏を読んだつもりでも、その通りになど進まない。
ただ今宵は疲れている。俺もこの方も。
この後手裏房がどう出て来るにせよ、ソンゲの存在を嗅ぎつけるにせよ素通りするにせよ。
真実を伝えねばそれで終いだ。奴ではない、そう言ってしまえばそれ以上知る事など出来ん。
この先の新王の顔など、立つまで誰も知る事はない。
この方が泣きながら助けた者はあいつ一人ではない。
人は計算通りには動かない。
そしてこの方はこの世の先を知る唯一の天人として、まさにその計算を狂わせようとしているのだろう。
如何なる手を使っても。
俺に向けられた真直ぐな瞳。
答を待つように黙ったままの紅い口唇。
ただ好かれただけで結局こんなにも傷ついたこの方の、小さな頭に手を伸ばす。
如何すれば助けられるのだろう。
如何すればこの方は今より楽になれるのだろう。
俺を護りたいと思って下さる余り、この方はいつも泣いている。
これ以上何を捨てさせるのだろう。
これから先、どれ程の犠牲を払わせるのだろう。
そんなこの方が誤解されるなら、俺が誤解された方が余程良い。
そっと撫でるとこの方はいつものように瞳を細めず、俺を見たままこの掌に頭を預ける。
「何を考えてるの?」
「何も」
考えて良い結果を生まぬなら、何も考えず動くが吉。
ああ、違う。一つだけいつでも考えている事がある。
それ以外は何も。
あなたの事以外は、何も。
その瞳がようやく細くなるまで、ただ黙って撫で続ける。
こうして無心に撫で続けられるだけで良い。
この指は命を奪う指。あなたの指には程遠い。
それでもただ労って、そして慰めたい。
それはいつもあなたがして下さる事だから。
俺に、そして俺の周囲の皆に、そして見ず知らずの民にまで。
そんなあなたを慰められぬのなら、横に居る資格はない。
あなたは間違ってなどいない。責める周囲の方が間違っている。
詰まらぬ悋気を乗り越えられぬ俺も含めて。
白い月が軌跡を描き、空の真上に掛かる頃。
草臥れ果てたこの方は瞳を閉じると力の抜けた体で、ようやくこの膝の中へ納まった。
それでも寝台へ運ぶまでもう少し。
俺はそのまま、その髪を静かに撫で続けた。

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ふたり反省会。
話が大きくなっちゃったけど
思ったように 物事は
進まないし、ならないし…
それでも 一生懸命がんばる
大事な人がそばにいるから
出来ること(。•́_•̀。)