2016再開祭 | 桃李成蹊・番外 ~ 慶煕 2017・11(終)

 

 

しんしんと底冷えのする冷たい回廊で眸を開ける。
よく見知った景色。嗅ぎ慣れた高麗の冬風の匂い。

見慣れた回廊の隅、其処に一人佇んでいた。降り頻っていた雪はもう止んでいる。

もう会わんと言い残した折の、最後の奴の視線を思う。
あの戸惑う視線が訊いていた。

本当に会えないの。

それでも奴なら判る。そして必ず乗り越える。何故会わんのか、そして奴は何を成すべきか。
目前にいつでも多くの道があり、成さねばならぬ事は山積で、選ばれるのを待っている。
その何処から手を着けるか、瞬時の判断がその先を決める。

真直ぐに行け。振り返る事も迷う事も許されん。そして時が過ぎたなら、必ず笑って言える。

また会えたね。

光の中、待つ者の倖せばかり考えるお前だから。

俺の果たせる役目はもうない。この眸で姿を確かめ、最後の言葉を掛けられただけで充分だ。
お前は天界で、そして俺は高麗で、己に出来る事を成す。
すぐにあの光の高みへと戻るお前に恥じぬように。
そして明るい方へ導こうとするあの方に恥じぬように。

やはりそれは明け方に、醒めた夢を追い駆けるのに似ている。
夢現の中で問いかける。今は夢の中か、それとも現実か。

しかしこの掌に握り込んだままの碧の紐が教えている。
真冬の白昼夢ではなかった。確かに俺は、奴に会った。
そして二度と会えずとも、何処かで繋がり続けている。

空も河も、そして山も海も繋がっている。悠久の先の天界へ。

己の場所へ戻った今、先ずは何をすべきか。
決まっている。あの方の顔を見ねばならん。

あの時、王様の御前を辞したのは昼前だった。
回廊の軒越しに重寒い雲間を見上げても、今の刻が判らない。
それでもその空が暗くない事に励まされ足が勝手に走り出す。

いつもそうだ。先に体が正直に動いて気付く。
この足はいつでもあの方の居所を正確に知っている。
俺の不在が長ければそれなりの騒ぎになっておろう。
それだけは覚悟して脇回廊を飛び出した途端、目の前を歩いて来た一団との正面衝突を危うく避ける。

「あ、大護軍!」
駆け出た勢いのまま半身を翻した俺に嬉し気な明るい声が掛かる。
「・・・テマナ」
「大護軍、王様との謁見では。こんな脇回廊でどうしました」
「トクマニ・・・」

呼ばれた二人は従いた迂達赤らに、先に行けと眼で合図を送る。
それを受けた奴らはそのまま俺に、続いて二人に頭を下げると、そのまま回廊を歩き出す。
「何かあったんですか、大護軍」

俺については鼻の利くテマンが嗅ぎ付け、心配気に此方を覗き込む。
「今の刻は」
「もうすぐ午の刻です」
「・・・そうか」

午の刻。俺が御前を辞してから約一刻。
まさか日を跨いでいれば、こいつらがこれ程平然としている訳が無い。
トクマンはともかくとして、テマンは走り回り俺を探す筈だ。
「チュンソクは」

俺の声にトクマンが不思議そうに首を傾げた。
「隊長は今、王様のお側です。この後副隊長と交替する予定ですが。王様との謁見中、いなかったですか」
「・・・いた」

確かにあの時康安殿の王様の私室、俺が鍛錬の案を報告する横に。
王様を守る穏やかな奴の顔を思い出し頷けば、いよいよトクマンも不審に思ったか、テマンと顔を見合わせる。
「大護軍、大丈夫ですか」
「ああ。問題無い」

問題無い。全ての辻褄は合った。踵を返す背に、テマンとトクマンが声を上げる。
「大護軍」
「予定通りに交代を行え」
「はい。大護軍は」
「すぐ戻る」
「判りました!」

足早に回廊を去る背後、遠ざかる二人の声が響いた。

 

*****

 

「・・・ヨンア?」
温める薬缶から立ち上る湯気で柔らかく煙る冬の窓。
その脇で薬缶の紙蓋をずらし中を確かめる横顔が、踏み入った気配に気付いて上がる。

其処に立つ俺を確めたあなたの瞳が、不思議そうに丸くなった。
此方へ小さく駆け寄ると、いつものように細い指先が伸びて来る。
そのまま頬に、額に、頸に伸び、最後に手首を確かめる温かさに実感が湧く。
戻って来た。まるで何事も無かったかのように。
何かあればこの方が、こんなに穏やかな様子で脈を診る筈はない。

脈を診終えてこの眸を見上げ、その声がいつのもように問う。
「どうしたの?王様と大切な話があるって、朝言ってなかった?」
「はい」

確かに言った。
春からの鍛錬のご報告がある。昼は典医寺に伺えそうもありません。
あなたは亜麻色の髪に降りかかる粉雪を払い、紅い唇を尖らせた。

私、子供じゃないから。別にいっつも来なくたって平気よ。

その強がりに頷き返し、典医寺に入って行くのを見届けた。

「もう終わったの?」
「はい」
「そう。話したい事、ちゃんと全部話せた?」
「・・・はい」

国を左右する春よりの戦の見通し、鍛錬の案。
そしてもう一人、気に掛かっていた男とも。
「イムジャ」
「なぁに?」
「少しだけ話せますか」
改まった問い掛けに、あなたはいつも通りに頷いた。

「うん、もちろん。どうしたの?」
その声に握っていた掌を開き、中の紐をあなたへと示す。
「キレイ。こんなターコイズの紐が高麗にもあるのね。私の時代もこういうのあったわ。
ミサンガっていうの、懐か・・・」

無邪気に碧の紐を指先に取り、それを確かめていたあなたの声が突然途切れる。
「・・・ヨンア、これ」
気付いた。この方の素直なその声音の違いですぐに判る。
「これ、どこで手に入れたの?前からずっと持ってた?」
「いえ」
「そうよね。じゃあ今日手に入れたの?どうやって?」
「ミンホに会いました」
「はいぃ?!」

驚いたのだろうから無理もない。張り上げたあなたの声に頷いて繰る。
「会って参りました」
「どうやって?!だって朝、ここに一緒にいたじゃない。こんな短い時間で天門まで往復するなんて、絶対不可能でしょ?!」
「・・・偶さか」

皇宮内に天門があったなど、口が裂けても言えん。
好奇心の強いこの方の事だ。俺の眸が届かぬ処で一人で探し出し勝手に潜りでもすれば、目も当てられん事になる。
「たまさかって何?!どういう意味?何が起きたの」

さすがに声が大き過ぎる。
落ち着かせようと背をそっと押し、部屋の椅子へと腰掛けさせ向いに腰を降ろす。
その途端待ち切れぬような声が矢継ぎ早に飛んで来る。
「待って。朝私と一緒にいて、王様にも会って、その後ミンホさんに会って今戻って来てるの?」
「はい」
「・・・そうよね。信じがたいけど私自身が証人だし、このミサンガが証拠だわ。
確かに今朝あなたといた。そしてこれは絶対天界のもの。この素材も刻印も。第一英語だし」
「イムジャを懐かしがっていた」
「そりゃ私も懐かしいし、あの時の骨折も気になる・・・でもちゃんとした先生がいたし、ギプスが取れるのも見届けたし」

ふと声を切ると、その瞳が真正面から俺を見た。
「そんなに気になってた?ミンホさんに言い残した事があったの?」
「いえ」
「照れちゃって、素直じゃないんだから」
「照れてなど」
「そうだったんだ」

白く細い指先に、あの男に託された紐の碧がよく映える。
弄びながら瞳の高さに掲げた飾りの文字を辿っていたあなたが、小さく首を傾げた。
「ミンホさんと、何か約束したの?」

天女の千里眼か。何故其処まで判ると眉を顰め、何気なく訊いてみる。
「何故」
「うん。ここに書いてあったから、ちょっとそんな気がしたの」
「何と書いてありますか」

指先の紐を此方へ見えるよう翳し、あなたが教える。
「PROMIZ、スペルは違うけど当て字だと思うわ。Promiseなら約束って意味よ」
「約束・・・」

翳された指先に揺れる紐に眸を移す。約束の許に結ばれる碧の紐。
渡したあの時、あいつが其処まで深く考えたかどうかは判らない。
しかし繋がっている。開京に吹く風も降る雪も、咲く花も陽射しも、あの天界へ繋がっている。

今生で二度と会えずとも繋がっているから、いつかまた巡り会う。
その繰り返される再会を、決して悪縁にはしたくないから。
「そう。約束。だから、何か約束したのかと思ったの」

あなたの優しい声に頷いて、差し出された碧の紐を受け取ろうと掌を出す俺に首を振り、細い指先が紐を俺の手首へ巻いていく。
「私の世界では、ミサンガにはおまじないがあるの。こうして結んでこれが切れた時に、願いが叶うんだって」
「切れた時」

巻かれるがままに手首の紐を眸で確かめる。
頑丈に組まれた碧の紐と飾りの銀。容易には切れそうもない。
その視線に気付いたのか、巻き終えた紐の両端を結びつつあなたが楽し気に笑い出す。
「お願いを叶えるためだからって、無理に引き千切っちゃダメよ?」
「はい」

結ばれた約束。千切れた時に叶う願い。それなら二年待ってみるのも悪くない。
硬く結ばれた碧の紐を逆手の指で辿る。
それ以上何も言わぬまま、あなたは卓向こうから優しい視線で見詰めていた。
「私もいつかまた会いたいわ。その時は一緒に連れてってくれる?」
「はい」
「ほんとに?約束よ?」

時が流れ、形を変えても必ずまた会える。互いが案じ続けていれば。
頷く俺に卓向こうから約束の小指が差し出される。
「はい、約束」

天界の約束は未だに慣れん。
そう思いながら折れそうな白い小指に、俺は己の無骨な小指をそっと絡めた。

 

 

【2016 再開祭 | 桃李成蹊・番外 ~ 慶煕 2017 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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6 件のコメント

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    天界で過ごした時間は、高麗の一刻しか経ってなかったのですね。
    ウンスは、ヨンが天界に行ったと気付いたなんて、さすが。
    ミサンガに、英語のスペルが書いてあるのですから、ウンスなら分かりますよね。
    約束…
    ヨンとミンホの、約束…
    2年間が過ぎたら、ヨンとミンホとウンスは、また再会できるのかなあ。
    ミンホさん、今日のネットにいろいろ書かれていました。写真も…
    健康に気を付けて、任務を遂行されることを祈っています。
    ヨンも願っているはず…

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    ミノ君の公益勤務始まりましたね。ガードマン付きは初日だけでしょうか。
    ミノ君が言ってた通り、自分を見つめ直してリフレッシュできると良いですね。
    シンイ観て待ってますから、元気に帰って来てほしいです。

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    大切なひとたちを!2年でも4年でも待ちます。
    約束の丘に咲く黄菊みたいに
    風に吹かれて待つことしか出来ませんが
    こうして、さらん様が・・・
    『約束』の言葉を届けて下さった!
    ウンスがヨンの髪に挿した、あの唯一、一輪の黄菊のように
    大切にしようと思います。
    いろいろな想いのこもったお作を読ませて頂きました。
    ほんとうにありがとうございました。
    服務ニュースは笑顔でしたが、実際の訓練もやはり心配です。
    少しでもおだやかな世界でありますように(祈)

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    このミサンガ、グッズであるんですね。
    ググって見てきました^^
    もしかしてミサンガしたチェヨンの肖像画が、後の世まで残り、いつかイミンホの目に留まったら面白いかも~
    なんて思ってしまいました( ´艸`)
    好きな俳優さんが続々と兵役に行ってしまいます(>_<)
    でも戻って来る人もいるし^^
    私トンペンなんで今年の再活動が楽しみです♪

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