2016 再開祭 | 李・結篇(終)

 

 

「あれー?」
あなたは心から不思議そうに、膝立ちのまま俺の腰に両腕を廻し緩やかに抱き締めた。

「偶然。私、今日夢に見たのよ。ヒョヌ先輩。大学生時代の先輩なんだけど・・・あ」

女人の勘の鋭さの片鱗は、その中にも多少はあるらしい。
この想いが伝わらずに焦れていた頃の鈍さとは別人の如く、あなたは思い当たったかのように頷いた。

「もしかして、寝言で言ったんじゃない?」
「・・・ええ」
「やーだ恥ずかしい。どこまで聞いた?もしかして全部聞いた?」
「名のみ」
「えーっ、そうだったの?」

何故俺が膨れ面を見せられねばならぬのだろう。
この方は白い頬を膨らませ、紅い唇を尖らせた。
此方が気抜けする程、本当に全く申し訳なさげな風情はない。
寧ろ得意げにつんと澄まし、小さな鼻先が天井を向いている。

何故それ程堂々としているんだ。俺に済まないと思わぬのか。
寝言で呼んだ自覚があるなら、一言詫びるのが筋ではないか。

「つまんないのー。どうせだったら全部聞いて欲しかったのに」

言うに事欠き詰まらぬだのと。此方は詰まって仕方ないんだ。
言いたい事は山積だというのに、笑顔一つで出鼻を挫かれる。
「御免蒙る」

肚裡の怒りは収まらぬまま、唾棄するが如く短く吐き捨てる。
さすがのこの方もそれで気付いたか、それでも笑って頷いた。

「あ、だから怒ってるんでしょ。だから抱っこしてくれないんだ」

抱っこ抱っこと、今はこの方がその腕の中に俺を抱いているのに。
膝立のままこの眸を見ていた視線が逸れ、小さな頭が俺の夜着の膝上に落ちる。
甘えるように頭を擦り付けた拍子に亜麻色の絹糸が半ば隠した横顔の口許は、確かに笑っている。

「私、すごく幸せですって言えたの」
伏せた長い睫毛、それでもその奥の瞳は満足気な光を湛えている。

「朝起きても、夜寝る時も感謝できる人。夢でも逢いたい人。この先何度生まれ変わっても、ずっと一緒にいたい人。
他の人と会うなんて時間のムダだから、最初に見つけて欲しい人がいるって」

どんな顔で聴けば良いのか。膝枕の上の唐突で気恥ずかしい告白を。
小さな頭に手を伸ばし、亜麻色の髪を一筋ずつそっと除ける。
あなたは露になった横顔の瞳だけで俺を見上げると、突然声を上げて笑った。

「そう、私の髪を触るのが好きな人。かきむしると怒る人」
「・・・当然でしょう」

触れて良いのも、そして掻き毟るのを許さぬのも、俺のものだから。
俺の全てはあなただけのもので、あなたは俺だけのものだから。
「そうなの?」
「はい」

そういう理なのだ。夫婦になるとは。
偕老の契りを結ぶとは俺にとり、己の全てを懸け、あなたの全てを引き受けるという事だ。
俺の両親のように、未だお会い出来ぬこの方の御両親のように。

忘れないで欲しい。次こそ真先にあなたを探す。あなたの元へ迷わずに真直ぐ駆けて行く。
他の男など見るな。下らぬ者など相手にするな。黙って俺が行くまで一人で待っていろ。

そうすれば次の世であなたが呼ぶ名は、俺のものだけだ。
そしてその次も、その次も、その次も。此処から永遠に。
「ウンスヤ」
「なあに?」
「・・・ウンスヤ」

気付いているのか、いないのか。焦らしているなら次こそ怒る。
「・・・ウンス」
「なあに、ヨンア」

ようやくかと肚から息を吐くと、気付いたあなたが膝上で笑う。
「愛してる、ヨンア」

声は返さず上体を倒し、亜麻色の髪が隠す細い肩に口づける。
朝陽の射す温かい寝屋に、もっと温かな小さく甘い音が降る。
あなたは擽ったそうに笑うと、もう一度膝に頭を擦り付ける。
幾度も幾度も降る音が床に、寝台の上に、俺達の心に積もる。

「ウンスヤ」
その声の次の一滴は、亜麻色の柔らかな髪の旋毛の上に降る。

「うん、ヨンア」
飽く事も止む事も知らぬ、口づけの雨。
最初の一滴から最後の一滴まであなたの上だけに。

気付いて欲しい。そして見上げて、笑って欲しい。
最初の一滴を肩に受けた時から、最後の一滴が止むまで。
その後の晴れ空を共に眺めよう。そして再びの慈雨を共に待とう。

寝屋の窓外、庭先で風に揺れる李の白い花。
その花弁が風に乗り、庭中に温かな沫雪のように流れ散る。
今年の夏には、またたわわに重い実をつけるだろうか。
その時は共に捥いで喰おう。あなたは果物なら何でも好きだから。

俺が捥いで、井戸で冷やして、綺麗に拭いてその口へと運ぼう。
あなたは丸い口を開けて、黙って其処で待っていれば良い。

共にしたい事は多過ぎ、休暇の日は短過ぎる。けれど今一番したいのは。

「イムジャ」
「なあに、ヨンア」
「・・・二度寝を」
「寝るだけ?」

釘を刺しているお積りか、それとも焦らしているのか。
何方でも構わない。決して乱暴には扱わぬ自信がある。

今日の最後の一滴を柔らかな髪に降らせ、膝に乗った頭ごと抱き上げ、俺は勢い良く寝台の上に倒れた。
その勢いであなたは弾み、俺の上へと降って来る。降って来たのを抱き締めて、髪に隠れた耳に言う。
「他の男の名は今此処で、全て忘れて下さい」

あなたはそんなつまらぬ悋気に、笑いながら首を振る。
「とっくに忘れてるってば」
「ヒョヌなど。賢そうな」
「え・・・?」
「雨が付くのが気に入りません」
「つかないと思うけどな?漢字なんて知らないし、聞いたかも知れないけど覚えてないわ」

その程度の男だ。漢名も忘れられる程。
「・・・イムジャ」
「なあに、ヨンア」
「俺の名は、書けますね」

途端に腕の中で瞳が泳ぐ。
「う、うん!もち、ろん」
「・・・書けますか」
「書けるわよ!馬鹿にしちゃダメよ?」

細い指先が空に伸びる。
それを凝視する俺の前、指先が描く線は・・・全く違う。
「イムジャ」

抱き締めたあなたごと、倒れ込んだばかりの寝台に跳ね起きる。
「おいで下さい」
小さな体を腕に収めたまま、俺は寝屋の扉を蹴り開けた。

行先は春の陽射しで温まる居間。目標は硯と墨。
確りと憶えて頂かねば困る。此処から永遠に呼ぶ名なら。
「ヨンア、ねえ、二度寝は?!」
「後です」
「だって!」

腕の中の騒がしい方が落ちぬよう、逃げ出さぬよう抱えたまま。
俺は居間への廊下を足早に辿った。

 

 

【 2016 再開祭 | 李 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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