2016 再開祭 | 鍾愛・後篇

 

 

「・・・おかしいのよね・・・」

幾度も不審そうに呟きながら、横のウンス殿が首を傾げる。
先刻から幾度目だろうと思いつつ、返答のない同じ言葉を繰り返す。
「何がですか」

懐炉用の灰の調合に麻殻を慎重に量りながら振り向く。
ウンス殿の横顔は相変わらず天秤の上の灰ではなく、窓の外の雪景色を眺めていた。
葉に載った雪の重みが、笹の枝を撓らせている。
木々に残った僅かな紅葉を引き立てる白の中、その横顔はなお白い。

「ねえ、先生?」
「はい」

私は天秤に、ウンス殿は雪景色に。
並んでいながらそれぞれ別の事に頭を占められつつ、互いに上の空で声を掛け合う。

患者の命が掛かっていない雪の日の、こんな穏やかなひと時だ。
互いに気を張らずとも許されると同僚の甘えが首をもたげる中で。

「男の人が急に優しくなる時って、どんな時?」

・・・予想もしない問いに、匙で掬った灰が滑って空を舞う。
粉雪のよう卓の上に降る灰を吸いこみ噎せる私に、ようやく窓越しの雪景色から目を戻したウンス殿がこの背を叩く。

「ちょっとやだ、大丈夫?」
「・・・ええ」
まだ灰で蘞辛い咽喉で咳払いを繰り返し、私はようやく頷いた。

「何故突然そんな事を」
「うーん。ちょっと気になったから、かな?」
「まあ・・・普通であれば疚しい事があるか、何かを誤魔化すか、機嫌取りか。そんなところでしょう。何れにせよウンス殿と」

其処まで言って、ウンス殿の強張る顔に仰天する。
「・・・ウンス殿とチェ・ヨン殿には、無縁の話ですよ。あのチェ・ヨン殿が、そんな姑息な手を使う訳はないでしょう」
「ああ、うん。友達の話よ、友達の。私じゃないってば」

白ばくれるウンス殿の表情を見れば、さすがの私にも判る。
「チェ・ヨン殿と、何かありましたか」
問いに慌てたように、ウンス殿が乾いた笑い声を上げた。
「あはは、先生考え過ぎ。ただどんな時かなって、ちょっと思って」
「愛おしくて堪らない時にも、優しくなるでしょう。男女の別なく。
御自身ならどんな時、チェ・ヨン殿に優しくされるのかお考えなさい」

私の声に首を傾げて、その視線が再び庭を彷徨う。
そして暫くの後、戻って来た目で私を困ったように見上げると
「・・・すごく好きだな、大切だなって思った時」
「ええ」

どうにか丸く収まりそうだと安心して息を吐く。
いくら生来とは云え私の余分な一言で御二人が揉めてしまえば、チェ・ヨン殿に合わせる顔がない。

しかしウンス殿はその後に、もっと困った顔で眉を下げた。
「あと・・・勢いで、ばれたくないような嘘をついちゃった時。申し訳なくて優しくしちゃう、と思う」
「ウンス殿」

全く丸く収まったわけではなかったらしい。その下った眉を見つめ、私は必死で首を振る。
「チェ・ヨン殿に限って有り得ない」
「でも、嘘は得意かって。天界では嘘はつくかって聞かれた事があるの」
「それは嘘が必要な状況だったからでしょう!あの方が必要以外で嘘を吐く程器用な方だと思いますか」
「だってすごく、すっごく優しいし。何だか知らないけど、やたらと近くに寄って来るし。おかしいんだもの」

友達の話とおっしゃった御自身の嘘は、最早どうでも良いらしい。
「あなたの婚約者です。当然でしょう」
「最初からそういう人なら気にしないわよ。急にそんな風になるから心配なんじゃない!」
「とにかく」

ぴしゃりとその声を跳ねのけると、ウンス殿は勢いに呑まれるように口を結んだ。
「男の気持ちは、男が一番判ります。チェ・ヨン殿を知る者は、全員同じ事を言う筈です。
あの方は、御自身の悪事を隠す嘘は吐きません」
「全員で口裏合わせたら?」
「・・・ウンス殿。其処まで疑っては、きりが」
「だって」

ウンス殿は再び首を振り向け、外の雪景色の中に逃げてしまう。
「だって、怖いじゃない。男の人って、何考えてるか分かんない。
前の日まで一緒に笑ってて、手作りのお弁当まで受け取っておいて、その影で別の女の人と会ってたり、婚約したりするもの」
「何処のふざけた男ですか。そんな男がいるわけが」

その話の男の余りの狼藉ぶりに呆れた声を上げた私に、ウンス殿の視線が戻る事はない。
ただ硬い横顔で唇を噛むと、ウンス殿は一人納得したように頷いた。
「いるのよ。本当に、そんな男はいるの」
「いるとしてもチェ・ヨン殿は違います」
「どうして先生に分るの?先生が言ったのよ?優しい時は怪しい事もあるって」
「絶対に違います」

水掛け論だ。証明のしようもない。ただ何で証明するよりも判る。
あの人はそんな男ではない。例えこの世の男が全てそんな狼藉を働こうと、あの人は絶対にしない。
百の言葉より千の証より、時に己自身の直感が一番正しいのだ。
皆が知っている。あのチェ・ヨンという男はそんな男ではない。

ウンス殿はこれ以上は無駄と思ったか、小さく頷くとそれ以上の声を上げようとはしなかった。

雪の典医寺に閉じ込められて、互いがそれぞれの思惑の中で吐く溜息で、部屋の窓が曇って行く。

 

*****

 

「イムジャ」

役目を終える法螺が兵舎に響くや脱兎の如く部屋を抜け、駆け付けた典医寺のあの方の私室。
開けた扉へ振り返る強張った笑顔に、厭な音で胸が打つ。
「・・・イムジャ」

お帰りと走って来て、咽喉を鳴らして跳び付く筈では無かったか。
待っていた、約束だ、早く連れて行けとねだる筈では無かったか。

この雪塗れの体を抱き締められ、慌てて遠ざけるのは俺の筈だ。
この額に当たる筈の掌が雪水で濡れぬよう、まず掌で拭うのは。
凍え切った頬を確かめるその掌が、冷えぬように気を揉むのは。

何故そんな怯えた瞳で俺を見る。
物言いたげな、しかし聞きたくなさげな不安な瞳は何なんだ。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    自分の嘘は棚に上げちゃうところが
    ウンス様
    ヨンはそんな人じゃないと
    わかってはいるけれど…
    気になりだしたら 止まらない
    ヨン困ったわね~ ウンスの様子が
    可怪しい… 困ったわね~
    あなたが優しい理由を コンコンと説明しないと…

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    さらん様
    ウンスはそう思っちゃったんですね。
    ヨンはただウンスが好きで好きで、愛しくて愛しくて。
    想っても想っても、また想っても足りないだけで。
    腕の中で眠っていても、寝返りを打って背中を向けられただけでも耐えられないくらい、ウンスを愛してるだけなのに。
    誰に聞いても、ヨンに限って疚しいことなんて微塵もないことは明らかなのに。
    ただいつもよりちょっと、自分の気持ちを出しただけなのに。
    早く誤解を解いて、ラブラブでお買い物に行ってほしいです。

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