2016 再開祭 | 飄蕩・結篇(終)

 

 

眠れぬ夜を過ごしたのは俺だけではなかったらしい。
海風の中に混じる欠伸、砂を踏む音。
東空も染まり切らぬ明け方から、起きた奴らが動き出す。

「枝を落とせ」
全員が揃った処で告げると不思議そうに首を傾げ、代表するようにトクマンがおずおずと尋ねた。

「落ちた枝を集めるのではなく、木の枝を、ですか」
「そうだ」
「でも湿ってますよ、大護軍。そんなものを燃やしたら」
「狼煙ですか」

トクマンがみなまで言う前に、チョモが言葉を挟む。
「ああ」
「判りました」

奴はそう言うと集まった面々を見渡し
「とりあえず、うんと湿った枝を集める。丙丁組はついて来い。甲乙組は飯を頼む」
そう言うと頷いた丙丁組の奴らを率い、素早く木立へ分け入って消える。

トクマンは気付かなかった己が悔しいのか、舌打ちひとつした後で自棄になった声で叫んだ。
「飯だ、飯を作るぞ!」

全員が騒々しく行き交う浜に背を向け、波打ち際で海に向け眸を凝らす。
陽の色、風向き、雲の動き、海面に青の濃淡で線を引くよう、色を変える潮の流れ。
何一つ見落とさぬよう。

闇夜なら浜に焚いた火はすぐに見つかる。
その為に敢えて山中に陣を取らず、砂に塗れて浜に居座ったのだ。
しかしこの根岩の多い海域での夜の航海は、手練にも厳しかろう。

となれば船が通るのは昼。
海面の光も考えれば、焚火を見つけるのは厳しい。
目立つのは狼煙。

船が消えて一昼夜、捜索は必ず出ている。
周囲の水軍が集結し、あの船が発見され、この島に辿り着くまで。

後は天候が荒れぬ事を祈るしかないと、祈るように天を見上げる。

蒼穹の流れる雲間に見えるのは、しかし顔の判らぬ神仏ではない。
帰りたい。もう一度会いたい面影を其処に見て、心裡で一度だけ。

俺は此処に居る。

 

*****

 

「医仙、それは出来ぬ相談だ」
唖然とするアン・ジェ護軍さんにもう一度頼み込む。

「分かってる、ルールがあるんでしょ?でも考えて欲しいんです。王様もおっしゃったでしょ?
ケガ人がいるかもしれないから私を連れてくようにって。一緒に行かなきゃ意味ないじゃないですか」

田舎の軍港まで連れて来られたはいいものの、辺りには物々しい鎧姿の知らない人たちが歩き回ってるばかり。
こんなところで置いて行かれちゃたまらない。知らない場所で1人、黙って待ってるなんて出来っこない。

目の前の真っ青な海を見る。このどこかにあの人がいるのに。
もう一押しだと、私は声に力を入れる。

「王様がおっしゃったってことは、王命ですよね?医仙を連れてけって。それなら連れてって下さい」

王様のお言葉を思い出したのか言葉に詰まる護軍さん。
それでもどうにか言い訳を探すように
「生憎だがチェ・ヨンほど甘くない。女人を船に乗せる事はない。渡し舟ではないんだ。軍船は縁起を担ぐ」
「じゃあ、今から私は女じゃないわ」

どこまでこんな口論を続ければいいんだろう。この時代の軍人ってみんなこんなに頭が固いの?
タイム イズ マネー、時は金なりって言葉を知らないの?

私は思い出してしゃがみ込むと、あの人にもらったお守り代わりの短刀を、めくり上げたパジの裾から抜いた。
海辺の太陽の光を反射する銀の刃に、アン・ジェ護軍さんが息を吸い込む。

私の刃は人を傷つけない。あの人を守るためだけに使う。
迷わずそれをもう片方の手で握った髪の根元に押し付けると、私は刀を握った手に力を籠めた。
「医仙!!」

アン・ジェさんの大声に、辺りの鎧の人が驚いた顔で振り向いた。

 

*****

 

「大護軍、焼けましたね」
「・・・お前もな」

応えた俺にテマンが嬉しそうに頷くと、定位置になった浜で一番高い樹上へと戻って行った。
その姿は青く茂った若葉に隠れ、見上げても見つからない。
樹だけが陽の中に濃く長く、砂浜に写し絵のような影を描く。

天候は崩れるどころか、陽の明るさと強さを増していた。

それぞれ俺にばかり頼っていてはならんと思ったか。
海辺育ちの泳ぎ達者がテマンと共に素潜りを教え、三日目にもなると器用な奴は貝や雲丹を拾って来るようになった。

その隙を縫いテマンは弓隊と山へ入り、兎だ鳥だを下げて来る。
そして俺は日がな一日、焦る気持ちを押さえて釣り糸を垂れる。

砂浜で潮風と陽射しの許に丸三日。
どの顔も今は赤銅色に深みを増し、開京の近衛とは思えぬような風格が漂って来る。
「それにしても」

相変わらず炊事に追われながら、トクマンが焚火の前で立ち上がり唸り声と共に腰を伸ばす。
「開京にいる頃より飯が豪華です。魚に肉に」
「・・・ならば残るか」

俺の声に奴が慌てて首を振る。
「厭ですよ、そうしたらハ・・・」
「は」

横にいたチョモが、言い掛けたトクマンの言葉尻を捕えた。
「は、何だよトクマニ」
「何でもないっ!」
トクマンは灼けた鼻頭を赤く染め、チョモは訝し気に眉を顰める。

そうだ。逢いたい者がいるのは俺だけではない。
耳にした遣り取りに心を新たにした刹那、橙色に変わり始めた浜に劈くような警笛が響く。

尾を引くよう甲高く長く一度。一旦途切れ、短く鋭く二度。

浜にいた奴らは全員その場で手を止めると、俺に向け砂を蹴散らし駆け寄った。
同時に木立の方から両腕に折り取った枝を抱えた奴らが一斉に飛び出して来る。

「大護軍」
「大護軍!」
「大護軍、今の警笛は」
騒めく男らの中、樹上のテマンの怒鳴り声が浜に響き渡った。

「大護軍!ふ、ふ船が、見えます!!」
「狼煙を上げろ!」
俺の声に周囲の男らは我先を争い、湿った枝を焚火に燃ベ始めた。

 

座礁した十六歩船より一回り小さな水軍の船でも、島の入江まで入るには重過ぎる。
沖合で錨を打った船から船縁の小舟が全て海へ降ろされ、それぞれ島へ向かい橙色に染まり始めた海面を進んで来る。

迎えに出たいが却って足手纏いにならぬよう、迂達赤は波打ち際で一列に小舟の到着を待つ。
そして金粉を撒いたような海面からの光の中、近寄る先頭の小舟の舳先に乗る影を見た刹那。

俺は止める間もなく打ち寄せる波頭を割って海へ飛び込み、すぐに抜き手で泳ぎ出す。
そして舳先の影は揺れる小舟の舳先で危なかしく揺れながら立ち上がり、声を限りに叫んだ。

「ヨンア!!!」

その舳先に指が掛かる程近寄った俺に向け、その影は迷う事無く海へと身を投げた。
派手な飛沫を上げた小さな体が沈まぬように、慌てて腕に抱き留める。

頭の先からびっしょりと潮に濡れたその影を固く抱き
「衣で泳ぐなとおっしゃったでしょう!!」

思わず怒鳴った俺に、この方は顎から水を滴らせた泣き笑いの顔で首に腕を廻すと、縋るようにぶら下がった。
その海中での抱擁に、小舟の上から咳払いがする。

気付いて見上げると呆れたような顔のアン・ジェが、白布を巻いた手を上げて
「邪魔して悪いがな、一先ず島まで行くぞ」
と、今来たばかりの島を指した。

 

*****

 

「皆無事か」
上陸した水軍は先ず武器と鎧を小舟に積むと、残りの小舟に乗れる限りの馬を乗せ、沖の船へと戻って行った。

アン・ジェは頷き返す俺を確かめ
「三往復といったところだな」
と呟いて、顔を顰めると白布を巻いた手を振った。

「・・・如何した」
これ見よがしに振った手を眺め尋ねる俺に、アン・ジェは無言で肩を竦め、この方は申し訳なさそうに頭を下げる。
二人にだけ判らぬ空気が気に喰わん。俺の居ぬ間に何があったか。
「何だ」

語尾に滲んだ怒りに気付いたアン・ジェは
「・・・まあ、名誉の負傷とでもしておこう」
何処か困ったような声で首を振り、話をすり替えるように言った。

「今宵は一晩、沖で過ごす事になるかもしれんな。一刻も早く戻りたいところだが、夜にこの周辺の根岩は厄介だ」
「ああ」
「王様が首を長くしてお待ちだぞ」
「そうだな」

たかが数日離れただけで、別の世の話のような気がする。
釣りと、海と、仲間だけがいた島から開京に戻ると思っただけで。
足りなかったのは、俺のこの方だけだ。
此処にこの方が居て下されば、本当に二人きりこの島で隠遁生活も悪くない。

一旦船で荷を揚げた小舟が、再び島へ戻って来る。
先刻より色を濃くした海の中の舟影を見詰め、トクマンがぽつりと
「本当に戻れるんですね、大護軍」
夢から醒めたような声で言った。
「何言ってる」

その声にようやく船影から目を離し、俺に向き合うトクマンに
「お前は残るんだろ」
揶揄うような軽口に、奴はさっと顔色を変える。委細を知らぬアン・ジェは
「ほう、そうなのか」
と頷いた。

「ほ、護軍。それは」
言い訳口調のトクマンに向かい、俺のこの方が煽るように
「そうなのねー。じゃあ夏にはこの人と一緒に遊びに来るわね」
と、楽し気な笑顔を浮かべて言った。
「医仙までやめて下さい!大護軍、俺も帰ります。帰りますよ!乗せてって下さい!」

必死の形相のトクマンの声に、浜の皆が声を立てて笑う。
その笑い声は短い飄蕩の日々を過ごした小島の山間まで響き渡り、初夏の木々の合間に吸い込まれていった。

 

 

【 2016 再開祭 | 飄蕩 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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