2016 再開祭 | 天界顛末記・丗壱

 

 

朝餉を終え皿を洗う我々の周囲を心配そうに歩き廻り、ソナ殿が幾度も手許を覗き込む。
「私がします。お兄さん達は休んでて下さい」
「いえ」

俺が何か返す前に、並んで立つ御医が嬉し気に首を振る。
そして汲む事もないのに流れ続ける水の管を眺めながら言った。
「ソナ殿は病み上がりです。お休み下さい。せめてものお礼です。
毎朝こうして、朝餉を頂いているのですから」

本音の処は、尽きる事のない温かい湯が楽しくて仕方ないのだろう。
火を熾す事も、竈にかけることもないのに、溢れ続ける温かい水。

食事中に断わって席を立った隊長は、未だ戻っていらっしゃらん。
幾らあの国都図があるとはいえ、外出が長すぎはしまいか。

「だってチュンソクお兄さんもチェ・ヨンさんも、疲れてるでしょう?昨日遅くまで、帰って来なかったでしょう?」
「御存知でしたか」
「粥を運ぶたびに、心配されていらっしゃいました」
俺の声に御医が静かに言葉を添える。

「初めてのソウルで、あんな雪の中で・・・事故にでも遭ったらって」
ソナ殿の芯から心配げな声に、申し訳なさで胸が痛い。
「ご心配をお掛けしました」
「見つかったんですか?探してる方は」
「いえ、残念ながら」
「今日も探しに行くんですか?」
「はい。隊長が戻り次第」
「そうなんですね・・・私も一緒に」
「いえ、ソナ殿は病み上がりです。温かくして部屋でお休み下さい」

僅かに厳しくした声に、御医が横眼で俺の顔を確かめる。
「そうですね。それが宜しいかと。この寒空はまだ不安です」
「じゃあ!」

慌てたように急いだ声でソナ殿が俺を見つめる。
「じゃあ、あの地図コピーします。約束したし、みんなで1枚ずつ持てたらもっと効率良いと思うし。
予備があれば濡れて汚れても安心だし、道に迷わずに、ここに・・・うちに、帰って来られるし・・・」
「今は隊長がお持ちです」

その声に酷く落胆したように、ソナ殿の細い肩が落ちる。
「・・・では、帰って来たらお願いできますか」
余りの落胆ぶりに見ていられずに、つい言ってしまう。
この声に上げたソナ殿の顔が、表の雪よりも輝いた。

 

*****

 

「・・・それぞれに国都図が持てるとはな」
朝餉の片付けの終わった部屋の中。

ようやく帰った隊長から受け取った図とまるで同じ紙束を、ソナ殿が卓上に並べて行く。
書き写した様子もないのに、並んだ紙には寸分狂わず、全く同じ国都図が描かれていた。

紙束を指先に三枚とも取ると、隊長はそれらを重ねて部屋の窓からの陽に透かす。
「歪みもずれもない」
「・・・はい、コピーなので・・・?」

隊長の手許の紙束を不思議そうに見ながら、ソナ殿は不得要領な顔で頷いた。
「うちにもマークを付けてくれたんですね?」
写した紙束を確かめるように一枚ずつ捲り、ソナ殿が嬉し気に隊長へ顔を向けた。
「は」
「カラーコピーにすれば良かったなぁ・・・」

そう言いながら卓上の筆立てから一本抜くと、ソナ殿は小さな手にその天界の筆を握って、国都図へ印をつけ直して行く。
「ここと、ここと、ここ・・・と、ここ」
次々にその白黒の国都図に、再び鮮やかな赤い印が増えて行く。
「警察署で教えてもらったところです。で、ここがうちです」

筆立てから別の筆を取り、ソナ殿は隊長に倣い青い印を付ける。
隊長がつけた青い印をなぞり終えると頷いて、続いて取り出したのは硬そうな、向こうが透けて見える小さな板。

何処かで見覚えがあると考えて思い出す。
あの時隊長が天界から持ち帰った盾。あれにそっくりだ。
ソナ殿はその板に国都図を一枚ずつ挟むと、俺達にそれぞれ手渡して下さった。

「はい、チュンソクお兄さん」
「・・・ありがとうございます」
「どうぞ、ビンお兄さん」
「ありがとうございます」
「チェ・ヨンさんの分です。どうぞ」
「有難うございます」

其々の手に納まった板。何故わざわざ。
折り畳んで懐へ仕舞えば持ち運びも便利だろうに、硬い板が邪魔して畳む事が出来ん。
御二人も同じ事を考えているのだろう。
透き通った板の面を指先で撫で、困ったように首を捻っている。
「あ、あの・・・」

ソナ殿は困ったように俺達の様子を眺めて言い淀む。
「大きい分邪魔になるかもしれないけど・・・雪や雨に濡れてもぐちゃぐちゃにならなくて良いかなって」
「畳めた方が便利かと・・・やはり両手は空いていた方が・・・」

控えめにそう言った声にソナ殿が眉を下げる。
「ただ」
そう続けると救いを求めるように、その丸い黒い瞳がこちらを見た。
「厨の袋をお借りして良いですか」

先刻朝餉の片付けの折、目の前の棚に入っていたのを見かけている。
そう言って俺が腰を上げると、ソナ殿が急いで後に従う。
「これです」
「これ?」
棚の上に置かれたその袋の入った箱は、ソナ殿には高い。
爪先立ちのソナ殿の横から腕を伸ばすと箱を取り、小さな掌へ渡す。
渡された箱をしげしげと眺め、ソナ殿が俺をもう一度見た。

「あったのも忘れてた。フリーザーバッグですよ?これで何か役に立ちますか?」
「はい。畳めますし、丸められそうです。打ってつけかと」
「本当ですか?!」

声を途中で遮るように、ソナ殿は渡したその袋を箱ごとこの鼻先へ突き付けた。
「こんなので良かったら、全部どうぞ!」
「い、え、我々の三枚だけで」
「でも予備も必要かもだし、破れちゃうかも。だからどうぞ」
「・・・その時は」

ソナ殿が頬を赤くして差し出すその箱に首を振る。
「改めて頂戴します。ですから此度は三枚で」
「本当に?」
「はい」
「ほんとに、また言ってくれますか?」
「はい」
「じゃあ待ってます。ほんとに言って下さいね?」
「・・・はい」

その懸命な念の押しように頭を下げる。
「ありがとうございます」
そう言って、ソナ殿が潰しそうな勢いで強く握る箱をそっと奪うと、元あった棚に戻す。
袋三枚を手に戻り、隊長と御医へとそれぞれ渡す。
隊長は最初の硬い入れ物から国都図を引き抜き、新たな薄い袋へ入れる。そうしながら
「早く破れれば良いか」

俺にともなくソナ殿にともなく、聞こえぬ程の低い声で呟いた。

 

 

 

 

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