2016 再開祭 | 孟春・後篇 〈 未病 〉

 

 

「ねえヨンア。私、これから薬房に・・・行って・・・」
船を下り、温宮までのほんのひと駆け。
「お静かに」

短距離だから良かろう、二頭連ねる必要はないと、チュホン一騎で出た己の甘さ。
「舌を噛みます」

軽いとはいえこの方もその鞍に乗せ碧瀾渡まで、そして船に揺られ公州までの旅疲れか。
いつもよりも愛馬の足取りが荒い。
その鞍上で話を続けようとするこの方は、俺の戒めの声に口を閉ざした。

しかし温宮に向かうというのに、この平然とした様子。
本当に事の重大さが判っておいでなのだろうか。
舌を噛みたくない俺は、黙って奥歯を噛み締める。
愛馬の一歩が目的の宮へ近寄る毎に、考えまいとしても気が重くなる。

如何する。例え王命にしろ、修繕の確認との名目があるにせよ身に余る。
過分だ。分不相応すぎる。
第一今日到着し、修繕箇所を確認した後の七日間は何をして過ごすのか。
いっそ修繕箇所が増えるよう、宮中で大暴れでもしてやるか。

この方を両膝の間に挟んで留め、愛馬の鞍上で揺れつつ考える。
何もかも忘れて愉しむ筈だった。水入らずでこの方と二人きり。
しかし逆に良かったのかも知れん。災い転じて福と為す。

鞍上で背から抱いているだけで真冬に体が火照る程に熱いのだ。
周囲に人目がなければ、何を仕出かすか判ったものではない。
己の自制心すらも信用ならん。
風邪とは明らかに違う熱と、開京を離れた開放感に惚けている。
少なくとも温宮の中であれば、後々死ぬほど悔いるような無体には絶対に及ぶまい。

目と鼻の先まで近付いた温宮の門が、雪景色の中に見えて来る。
「あそこね?」
この方は明るい声で叫ぶと鐙に足を立て、鞍上で腰を浮かせた。
黙って頷くとチュホンも気付いたか、今までより軽快に雪を蹴立て並足の歩を速めた。

 

*****

 

「大護軍、医仙様!」
門衛士も宮中の兵も王様のいらっしゃらぬ冬の今は、最低限の数しか揃えて居らぬのだろう。
最敬礼に迎えられて門をくぐるが早いか、鞍を降りる前に中から提調殿らしき方が駆け出て来た。
「ようこそおいでになった。王様より御命を頂いております」
「提調殿」

例え開京から離れた閑職とはいえ官位でいえば俺より高位だ。
そんな丁寧な言葉遣いをされては此方も却って立つ瀬がない。
それに気付いてもなかなか変えられぬのか、提調殿は俺達を順に見遣ると大きく頷いた。
「道中お疲れだろう。さ、中へ。お茶を一服差し上げましょう。開京は近頃如何でしょうかな。
大護軍と医仙様、御二人の御慶事の噂で持ち切りと伺っておりますが」

どうやら丁寧なだけでなく、閑職に話し相手に飢えておられたか。
この方はそんな提調殿に調子を合わせるように笑い、それでも先ず深く腰を折って一礼した。
「こんにちは、お世話になります。えーっと、お茶の前にお願いが」
「ええ、医仙様。何でもおっしゃって下さい」
「実は、医務室・・・えっと、治療室、診察室?ここでは何て呼ぶんでしょうか?ケガや病気の患者さんを診察する場所」
「はい、治療室ですな。すぐにご覧になりますか」
「ええ。見たいし、薬草が欲しいんです!頂いてもいいですか?」
「勿論ですとも。ご覧のとおり人も少ない離宮故、普段は済危宝の医官が此方での治療も兼ねております。
医仙様にお使い頂いてこそ、薬草も真価を発揮しましょう」
「ありがとうございます!じゃあ、さっそくお借りしていいですか?どこにありますか?」

焦れたようにこの方は言って、提調殿の背を押さんばかりに急ぎ足で宮内への道を歩き始めた。

 

「ああああ、よかった。全部あるわ、ヨンア」
冬の陽のたっぷりと入る部屋は、何処かしら典医寺の診察棟を思い起こさせる。
温宮の診察部屋。壁に据えた薬棚の抽斗を一頻り開けて中を確かめた後、この方が安堵の息を吐いた。

「何より」
「麦門冬、半夏、粳米、天草。さっき船で煎じちゃったから心配してたけど、紅参も大棗も」
「ええ。イ・・・医仙」
「すみません、さっそくだけど麦門冬湯を煎じたいんです。それで量なんですけど」
「はい、医仙様」

控えめに制したこの声など右から左か。
しかしこの方が案じておられるのが他ならぬ己自身だから、文句を言うのも筋違いな気がする。

船上で煎じて下さった紅参と棗の茶。
待っている間に静まり返った甲板で調息も試みた。
あの蜂蜜の飴を落として甘みを加えた薬湯を飲み、今は咳も怠さもすっかり収まっている。
体は軽く節々も痛む事なく、ただ温宮の訪問に気が重いだけで。

それも自制の役に立つと思えば、その肚の気鬱もだいぶ晴れる。
これから更に薬湯が必要とは思えん。
俺が飲むくらいならば、必要な患者が有益に使う方が良かろう。

だがこの方に言って、聞き入れられるのだろうか。
何しろ真横で諫めても全く聞き入れて頂けぬのに。
治療室の当直らしき医官は、医仙のこの方の迫力に圧されるようその一挙手一投足を目で追う。
考えたくはないが、この方から目を離せぬようにも見える。
医官としてならまだ許せる。だが明らかに顔を赤らめているように見えるのは、俺の思い込みか。

その視線も顔つきも、全て面白くない
熱によろめいた振りで、医官沓の爪先を踏み潰してやろうか。
そう思いつつ鬼剣の鞘先で、いつもよりも僅かに強く床を突く。

ようやく存在を思い出したか、天地の医官は話を止めて俺を見た。
一言言おうと咳払いをした途端、聞いたこの方が表情を変える。
「だから言ったでしょ、ヨンア!」

・・・何も言われておらんが。眸を細める俺に
「寝てなきゃダメ!部屋に行く?さっきの偉い人にお願いして」

冗談だろう。
顔見知りの誰かならば未だしも、初めて訪れた温宮で初見の医官とこの方を二人きりで残すだと。
そんな羽目に陥れば風邪でなく、悋気の熱で頭が燃える。
「此処で」
断言し、そのまま診察部屋の寝台に乱暴に腰を下ろす。
患者も碌に居らぬのか、その寝台は乾いた音で軋んだ。

あなたはそんな俺の頭を支えて静かに倒し、満足の笑みを浮かべ掛布を引張り出してこの肩を丁寧に包むと、優しく撫でた。
「患者さんは大人しく寝てて下さい。風邪は引き始めが大切なの。
重篤化してほしくないから。だから少し眠ってね、ん?」

・・・この方がこんな風に笑うなら、仮病に甘んじるしかなかろう。
眸の端で部屋隅の医官を最後に睨み、俺は黙って瞼を閉じる振りをして見せた。

 

 

 

 

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