2016 再開祭 | 彫心鏤骨・後篇

 

 

市を歩き始めてどれ程か。大通りを抜け、既に周辺には殆ど店はない。
ただ礼成江の流れが大きく開けている。
「気持ち良ーい!」

全く危機感の無いこの方が、川風に髪を遊ばせ空を見上げる。
「ね?」
「・・・はい」

顔を上げたまま瞳だけを此方へ流したこの方に渋々頷く。確かに心地は良い。
川風が歩く俺達の髪も、衣の裾も、そして河原の草も揺らして通り過ぎていく。

但し市から離れる程に、周囲に怪しい雰囲気が増した事も事実だ。
今はまだ危険な気配は無い。
鬼剣の柄を握ったままで、シウルとチホの先導に任せるがまま歩を進める。

周囲が点々とした民家のみになった辺り。
シウルが斜め横の俺へちらりと目を遣り、そのまま細い脇道へと潜る。
続いて俺達が入ったところでチホが頷き脇道の突当たり、小さな民家への垣の切れ目へ入っていく。

周囲に眸を走らせ、誰の気配も無いのを確かめる。
その後俺達はその背に続き、雑草の茂る小さな庭へと踏み入った。

 

*****

 

「・・・大護軍」

部屋に座す質素な身形の年嵩の男は、俺の顔を見て小さく頭を下げた。
その顔に見覚えはない。手裏房の顔と名を全て憶えるなど不可能だ。

民家の扉の中は、俺達が入れば身動きが取れなくなる程手狭だった。
一部屋だけのその宅の壁一面には設えた棚、其処へ並べた木箱。
小さな部屋中に漂う、嗅いだ事のある独特の土のような香。

「・・・凄い香だ」
侍医が満足気に呟き、この方もそれに頷く。
しかし年嵩の男は警戒を解かぬまま、侍医の顔をじっと見詰めている。

「ああ、良いんだよ爺さん。こっちの男は典医寺の御医だってさ」
「ヨンの旦那のお墨付きだからな」
シウルとチホに促されようやく男は棚に並んだ箱を取り上げ、俺達の前で蓋を開く。

「これが今ここにある、最高級の六年物」
男が言葉少なにそう言うと、その抜け目無い目が侍医とこの方を見た。
侍医が箱の中へ手を伸ばし、其処に寝かせた十本程の人参を一本ずつ吟味するように取り上げては見詰める。
全てを確認したところで侍医は男に向かい
「この人参の細根を一本、頂けますか」

そう言って箱の中の人参を一本指差した。
男が小さく頷くと茎から細根を折り取り、侍医へと渡す。
侍医は迷うことなくそれを齧り、暫し無言で噛み砕くと
「ここにある人参を、全て頂けますか」
そう尋ねて微笑んだ。

「相当な額だ」
「覚悟しております」
「布貨はなし。銭でもらう」
「構いません」
侍医が懐に納めた銭の紐を引き、其処に結わえた銭を重たげに鳴らして見せた。

 

「良かったのか」
質素な民家を出て、市の方へと戻る。
俺の短い問いに侍医は頷いた。
「文句ありません。良い品物でした」
先刻の銭の束と引換えに、今は大きな包みに収まった人参の箱を目の高さに持ち上げてみせる。

「成程な」
「旦那」
そんな侍医の横、小さく張り詰めたシウルの声が掛かる。
「・・・判っている」

確かに良い物なのだろう。他の者もこうして狙う程に。
民家を一歩出た途端、下手な追手がかかっている。
シウルとチホも気付いたか。
チホは担いでいた槍を下げて握り直し、シウルは背の矢筒から一本矢を抜く。

人通りが多くなる前に、この辺りで片を付けたい。
市まで戻れば人波の中で矢を射る訳にも、槍を振り回すわけにもいかん。
俺は半歩下がり、この方の横へ着く。
そのまま足を止めると、訳が分からぬ顔でこの方も歩を止める。
振り向いた瞬間に飛んで来た矢に、この方を抱き寄せ身を躱す。

シウルが構えた弓を放つと共に、チホが追手へと槍を構え突込んでいく。
チホが乙矢を番えた刹那。
シウルの槍先を抜けた追手が一人、迷う事無く此方へ駆け寄る。

しかし構えた剣の切先は、俺の怖れていた処とは全く違う方向へ向けられていた。
俺とシウルが左右を挟んで護るこの方でなく、大きな包みを握り手の自由の効かぬ侍医目掛け。

侍医は咄嗟に包ごとその手を上げ、刃の切先を躱そうとする。
それと同時に俺がこの方を超えて寄り、追手の剣腕へと鬼剣を伸ばす。

俺の失態はチホとシウルを挟んだ分、侍医から離れていた事だった。
鬼剣の先がその剣腕に届く寸前、追手の剣先は上げていた侍医の腕を斬った。

殆ど同時に鬼剣が捉えた追手の剣腕から飛んだ血と共に、青い空に二人の血が飛んだ。

追手は血の滴る傷を押さえると刀を捨て、そのまま駆け出していく。
仲間の怪我に動揺したか、それともそういう算段だったか。
チホの槍と剣を交えていた追手も射手も一斉に駆け出し、脇道へ消える。

「追うか!」
チホが叫び、シウルが次の一手を番える。
「良い」
今から追っても間に合わん。俺は唸ると先ずこの方を振り返る。
「無事ですね」

この方は幾度も頷きながら侍医へとしゃがみ込み、疵の具合を素早く確かめる。
「先生」
「・・・確かに危ない橋だったようです」

侍医は妙に余裕のある声で呟くと、苦笑いをし損ねて眉を顰めた。
「手、握ってみて」
その声に侍医の切られた左手が拳を作る。
「開いて」
「筋は斬られておりません。身肉だけです」

侍医は冷静に己の傷を確かめて言った。
寧ろその傷を確かめるこの方の方が動揺している。
「でも深いわ」
「そうですね。縫合は必要かと」

そんな声を交わす二人の横。
立ったまま侍医の様子を覗き込むシウルとチホへ振り返る。
「シウル」
「何だ」
「先刻の奴らの身元を割り出せ。恐らくあの民家で、闇取引に関わった者の手下だ。
手下を使えるなら貴族の、それもかなり身分の高い者だろう。血痕を追え」
「分かった!」

シウルは頷くと踵を返し、追手の消えた方へと走っていく。
「チホ」
「おう」
「あの男の場所を移せ。人参ごと。室内に一切痕跡を残すな。俺達はあの家に一旦戻る」
「分かった!」

チホはそのまま今来た途を、あの民家へと引き返す。
俺は落ちた包を拾い上げ、そのまま侍医に手を貸して地面から立ち上がらせた。

 

 

 

 

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