2016 再開祭 | 玉散氷刃・拾柒

 

 

チェ・ヨンの叩いた扉を開けたのは、白い衣に点々と血を飛ばした薬員だった。
「医仙は」

その声に部屋内から瞳だけで振り向いたウンスが、衝立の影から
「こっちに来て、2人とも」
と声を飛ばす。

足許の床に、夥しい血に染まった布が幾枚も重なっている。公卿を促し其処まで歩く。
衝立の影からウンスを確かめたチェ・ヨンの眸に、見る気は無くても寝台上の患者が見えた。

ウンスの血に染まる白い両手。
腹だけをくり貫かれた、患者を覆う布。
そしてその布の中、ぽかりと開いた腹。

その中に蠢く、赤いような黒いような、白いような臓腑。
嗅ぎ慣れたはずなのに鼻を突く、体に染み込む血の臭い。

人を斬って来た。時に首を落とし、時に手足を落とし。
それでもその傷跡を、敢えて振り返り確かめる真似はしなかった。
斃れれば終いで、起き上がるなら斃れるまで斬った。

斬らねば斬られるからだ。
考えるのは何処を斬れば相手が苦しまず絶命するか、それだけだった。
虎や熊が本能で急所に牙を立て、掌を振るうように、ただ斬って来た。

「旦那さん」
ウンスはその腹の穴に手を突込みながら、公卿を呼んだ。
武人であるチェ・ヨンですら、目の前の手術光景に今薄らと汗をかいている。

確かに王妃の首の創は見た事がある。
武人であればそんな創口を眸にするのは日常茶飯事だ。
深さや向き、流れる血で死ぬか、それともまだ生きられるか判る。
しかし腹に開けた穴に手を突込むなど、今までした事はなかった。

チェ・ヨンですらそんな経験などない。
まして公卿は蒼白を通り超え紙のような顔色で、額から蟀谷へと滝のような汗を流していた。
情けなく唇を戦慄かせ、今や逃がさぬよう掴んでいた筈のチェ・ヨンの腕に半ば縋り、足を震わせつつようやく立っていた。

そんなオク公卿をちらりと確かめるとウンスは患者の腹の中から、真赤な血の塊のようなものを取り上げた。
その塊はまだ腹の中と、一本の灰色の管でつながっている。
臓腑なのかと、チェ・ヨンは思わず目を凝らす。いや。

ウンスが取り上げた途端、その塊から声が上がる。

それは聞き慣れない、しかしいつも何処かで聞こえる声。
一つの命がこの世に生まれ落ちた刹那にだけ上げる謳声。

「お父さんにだけ、手を洗ってもらって」
命そのものの声の響く中、ウンスが冷静な声で言った。
薬員の一人がチェ・ヨンからオク公卿を静かに引き離す。

公卿は覚束ぬ足取りで引かれるまま手洗いの器に寄り、言われるまま石鹸で手を洗い、魂の抜けたような顔で戻って来た。
そんな様子に斟酌する事もなく
「ここを切って下さい。はい、これ」

ウンスは血に塗れた手で、公卿の手に冷たく耀く天界の治療道具を手渡す。
公卿はどうして良いか判らぬように、ただ怯えた目でチェ・ヨンを見た。

チェ・ヨンが顎でその冷たい耀きを示すと、ようやく公卿はそれを手に取る。ウンスが促すよう、
「ここ。このはさんである、すぐ上を」

そう言って別の天界の道具で挟んだ灰色の管を、どうにか指の先で示す。
公卿は其処へ天界の道具の尖った切先を入れ、力を込めた。

ぱちりという音と共に、赤子はその管から離れて自由になる。
一つの命が温かい母の腹から出で、初めて一人の人間になる。
横の薬員が用意した布で、自由になった赤子を宝物のように包み、奥へ消えようとする。 その足に
「待って」
と、再び腹に手を突込みながらウンスが声を掛けた。

「一瞬だけ、そのままお父さんに抱いてもらって」
薬員は静かに笑って頷くと、有無を言わさず公卿の両手に納まりそうな、小さく頼りない塊を乗せる。

赤子は血に染まったまま泣きながら、それでも見えているのかどうか判らぬ目で腕の主を見上げた。
そして腕の主はどうして良いか判らぬ顔で、新しい命を腕にただ立っていた。

恐らく自分の目から涙が零れ落ちているのも洟が垂れているのも、気付いておらぬに違いない。
チェ・ヨンはその光景を一歩離れて俯瞰する。
命がこの世に出ずるとは、こういう事なのかと思いながら。

続いてウンスは腹内から明らかにこれは臓腑と判る、濡れ濡れとした灰色の塊を引き摺り出した。
その先は先刻公卿が刃を入れた灰色の管が、未だぶらりと下がっている。

「これが奥さんに悪さをしたんです。だからお腹を開いて、先に赤ちゃんを取り上げました。
じゃあお腹を閉じるので。その間に赤ちゃんは、産湯を使いますね」

ウンスはそう言うと、薬員が差し出した大きな陶皿にその濡れた灰色の塊を置く。
薬員はそれを皿ごと脇机に据え、続いて公卿の手からそっと赤子を受け取った。

何もかもが、血に濡れている。床の布、皿の上、開いた腹。
その中で誰よりウンスが。その衣も手も、血に塗れている。
しかしそれは穢れではない。命を繋ぐ為に血に濡れている。

「ヨンア、お父さんと一緒に私の部屋で待っててくれる?」
腹の創に見慣れた天界の針を通しながらウンスは言って、目許をチェ・ヨンにだけ判るよう三日月の形に緩めた。

 

 

 

 

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