「医仙!」
まだ雪は残ってるけど、ほんのちょっとずつ日が長くなってる。
仕事終わりに迎えに来てくれたこの人と並んで歩く夕方の皇宮。
大きな呼び声が聞こえて、私たちは足を止めた。
回廊から庭の私たちに向けて急ぎ足で近寄って来る官服の一行。
横にいたあなたは私から半歩だけ離れて、近寄る一行の先頭に向けて黙ったまま顎を下げた。
「大監様!」
私の声に、先頭の大監が頷き返す。
「医仙、ご機嫌はいかがですかな」
「大監様こそ、とってもご機嫌がよさそうですね」
その顔色を確かめると、大監は私の手を握らんばかりに近寄って頭を下げてくれた。
「医仙の早い治療のおかげで命拾いをした。最近は本当に体が軽いので、何をするにも楽でな」
「よかったです!黄疸も治まってますよ。ちょっとだけ、脈を診てよろしいですか?」
頷いた大監の預けてくれる手も、すっかり浮腫みがひいている。
「本当に努力されてますね。でも無理は禁物なんです。肝は沈黙の臓器って呼ばれるくらいで、本当に病状が悪化するまではなかなか自覚症状が出ないですから」
「あんな苦しい思いは懲り懲りだ。天の医仙の言葉にはこれからも素直に従わせてもらおう」
「そうして下さったら嬉しいです」
あの会議から6週間。最初は顔色と症状とで慢性肝炎を疑ったけど、大監の症状はそこまで深刻じゃなかった。
薬湯と食事、そして口を酸っぱくして伝えた休養を取った大監は、週に1度の往診のたびに脈も症状もどんどん落ち着いていった。
今は見違えるほど顔色が良くなった大監が、私たちにニコニコ笑う。
そんな大監の後ろに並んだ重臣もボスの言葉には従わざるを得ないのか、全員が笑顔を浮かべてる。
その一行の後ろの方にあの御史大夫を見つける。
目が合ったらそのままそらされたけど、別に気にしないわ。
あの時の言葉は嘘じゃない。私は御史大夫の治療は出来ない。医者と患者にだってケミストリーはある。人間同士だもの。
医者側は嫌いな患者の診察はどうしたって義務的になるし、患者は嫌いな医者に診察されれば、同じ処方でも不思議と治りが遅くなる。
身分の違いなんて知らない。 患者を信じて、患者に信じてもらう。
結局はこれに尽きる。大監が信じてくれるなら、きっとこれからの治療だってうまく行く。
それが皇宮の掟に相応しいのかどうかなんて分からない。だけど私は医者だから、その部分は譲れないもの。
「何かお困りのことがあれば次は必ず儂がお助けしよう。遠慮なくお訪ね下され、医仙も大護軍も」
大監の言葉にあなたは御史大夫をちらっと見た後、小さく頭を下げ直す。
同時に私はいつも通り、大きな声で遠慮なく答えてしまう。
「は」
「ありがとうございます!」
そんな私たちの様子に何度も満足そうに頷いて、大監一行は回廊へ戻って歩き出した。
そして私たちはその背中が離れてから、もう一度庭を大門の方へ。
「ああ、よかったー。安心したわ」
歩きながらも何度も後ろを振り返って、離れてく大監一行を目で追う私の頭の上に、大きな手のひらがぽんと乗る。
そして優しく前を向かせながら、横のあなたはつまらなそうに
「禍福糾纆」
唇を尖らせて、そんな難しいことを不満げに言った。
「なにそれ?いいことだった、って意味よね?」
「禍福は予想がつかぬと」
「じゃあ、なんでそんなにつまんなそうな顔するの?」
「別に」
「別にじゃ分かんないわよ!ちゃんと言ってよ」
「医仙」
急にあなたの声に呼ばれて、慌てて口を改める。
「はい、大護軍」
「・・・大護軍」
「そうよ。だって尚宮オンニも叔・・・チェ尚宮様も皇宮にいる時はあなたのこと、ちゃんと大護軍って呼びなさいって」
私の声にあなたの眉間のシワが、どんどん深くなっていく。
「ならねば良かった」
「何に?」
「大護軍になど」
「ダメだってば!あな・・・えーっと、大護軍は、これからもっと」
「俺は」
この人は今回に限って、どうしてこんなに機嫌が悪いんだろう?いつもなら高麗や皇宮のルールを覚えて、って言うはずなのに。
今回は我ながら頑張ったし、この人にも恥をかかせてないと思う。
「どうしたの?私、頑張ったと思わない?今までは迂達赤のことしか知らなかったけど、今はもっと知ってるし」
ほめて欲しいわ。あなたが恥ずかしくないような妻になろうって、久々に全力で頑張ったんだから。
「迂達赤のチュンソク隊長は中郎将、それから鷹揚軍のアン・ジェ隊長は護軍で、北方隊長は両界の」
せめて成果だけでも認めてもらいたくて一生懸命覚えた単語を並べてみせるのに、その表情は険しくなる一方。
最後に唇を噛むと、黒い瞳が呆れたみたいに私から逃げちゃう。
「もう結構」
「だって覚えたのよ?今までは、あなたとチュンソク隊長しか」
ガマンできなくなったように足を止めると、あなたは私を見た。
「あなたの隊長は俺だけだ」
「そういうわけにはいかないじゃない。どの隊にも当然隊長がいるんだし、昇級と共に変わってくんだし」
「イムジャ」
呼びながら首を振ると、黒い瞳が夕焼けの中で私を見た。
「俺一人で良い」
「そうなの?」
「徳育は終わった。忘れて下さい」
「え、やあよ、せっかく頑張って覚えたんだもの!」
「徳育の前に学ぶべき事が・・・」
あなたはひとり言みたいに呟くと、大股にどんどん歩き出す。
その足元の白い庭の日の当たる場所、ほんのちょっとだけ覗いた地面の一角に咲いた花のカーペット。
そうよ。この際だと思って漢字まで少し覚えたのに。
薬草だって全部漢字表記で、今まで全然読めなかったから。
「ねえ、ヨ・・・じゃなく、大護軍」
そう呼ぶと本気で怒ったみたいに、こっちに返る鋭い視線。
「あの花も覚えたのよ。瑠璃唐草。すごいでしょ?」
私が指を差すと、その花を確かめたあなたが言った。
「別名をご存知ですか」
「別名があるの?」
言う事を素直に聞かない私に張りあうと決めたのか、あなたは得意げに頷いて見せる。
「天人唐草」
「そうなの?!」
「はい」
あなたは懐かしそうに、群れ咲く小さな花を見た。
「春の丘で眺めて待ちました。もう一度隊長と呼んでもらう日を」
「・・・だから怒ってるの?」
「はい」
本当にヘソを曲げちゃったんだろう。あなたはプイっとそっぽを向いて、またすたすた歩き出す。
「だって、あなたに恥をかかせたくなくて!」
「今更」
「いっつも手を焼かせたら、悪いと思ったからなのよ」
「覚悟の上です」
「そんなに怒らないでってば」
あなたの腕に手を掛けて踏ん張って、どうにか止まってもらう。
「ごめんなさい、隊長」
「・・・」
夕陽とは違う理由で急に赤くなったあなたの耳。
そんなに喜んでくれるんだ、こんな風に呼ぶだけで。
「もう怒らないで?」
「・・・」
「仲直りしましょ、隊長?」
「・・・一度で結構です」
ようやく機嫌の直ったあなたが、さっきよりゆっくり歩き出す。その横にくっつきながら
「でも皇宮では呼べないから、2人っきりの時だけね?」
周りにばれないように内緒話みたいに声をひそめると、
「徳育も役に立つ」
大好きな低い声が言って、黒い瞳が優しく笑った。
【 2016 再開祭 | 瑠璃唐草 ~ Fin ~ 】

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