呑んだ息は思った以上に大きな音だったらしい。天界の方のお耳に届くほど。
しかし王様も、その御心は同様だったようだ。
内官としてあるまじき無礼をお咎めになる事もなく、見開いた御目で王妃媽媽だけをご覧になり、平静を装った御声で静かに問われる。
「・・・何があったのです、王妃。何故、これ程急に」
「全ては妾が至らぬせいです。チェ尚宮の心中を慮る事が出来ず」
その御答に王様は御首を横に振る。
「それでは判らぬ。あの者は寡人が禿魯花に出る以前、物心つく頃より育ててくれた大切な保母尚宮でもあるのです。
話せば必ず判ってくれよう。確かに頭は固く礼節に厳しいが、それはただ王妃への深い忠義故。
信用できる数少ない者です。決して側から離してはならぬ」
「・・・王様」
「あの者が去れば、誰があなたを安全に御守りできるのか。あの者が居るからこそ、寡人も安堵して政務に励めるのだ。
寡人の母代わりという事は、あなたの母代わりでもある。
今一度、互いに御心を割って話してごらんなさい。そうすれば必ず通じ合う」
王様は御本心からおっしゃっている。お側に従いて来た私にも判る。
皇宮とはどれほど多くの人に溢れていても、心から信頼の出来る者は数えるほどしか見つからぬ場所。
その難しさも寂しさも誰より御存知の私の王様は、信頼出来る方々の大切さもまた誰より深く御存知なのだ。
大護軍殿を筆頭に、比類なく強固な一枚岩となり王様を守る迂達赤。
チェ尚宮様が率い、一糸乱れず王妃媽媽にお仕えする武閣氏。
そして王様、王妃媽媽と高麗を守る為天から授かった至宝、医仙様。
王様にとり、どなたも欠かす事は出来ない程に大切な方々。
それなのに何故、その内のお二人に一度にこんな大事が起きるのか。
「お話しなさい。それまではチェ尚宮解任の王命を下すつもりはない。王妃の胸に仕舞うように」
「王様・・・」
王妃媽媽の御声のわずかな変調に、私と迂達赤副隊長は大急ぎで目を逸らし、今まで以上に頭を垂れて床を見つめる。
貴い方の涙は決して見てはならない。他言無用で済む事ではないのだから。
けれど王妃媽媽はすぐ御息を整えられると、今まで通りの嫋やかな御声でおっしゃった。
「・・・王様の御母上代わりが妾の御母上様とおっしゃって下さるなら、妾のお姉さまのお相手は、王様のお義兄様ですね」
王妃媽媽の御姉上様。元の魏王御一家の事だろうか。
私にはどなたの事を指しておいでなのかは分からない。
けれど王様はそれで全てを御諒察された御様子で、御声のないまま王妃媽媽を、そしてその横の医仙様を順にご覧になられた。
「お忙しいのに御邪魔を致しました。申し訳ございません、王様」
「王妃」
引き留めるような王様の御声に優しく頷かれた王妃媽媽は、音もなく優雅に椅子を立たれる。
横で医仙様が慌てたように椅子を鳴らして立ち上がり、王様に向かって礼をされた。
間の悪い事は重なるものだ。
先刻退出した内官が外の気配に気付いて裏戸を開け、届けられた茶盆を受ける。
王様もお気づきになられたか、私の捧げ持つ盆を一顧されるとおっしゃった。
「王妃、医仙、茶を」
けれど王妃媽媽はゆっくりと御首を振り
「妾は次の機会をお待ち致します。先に茶席を共にすべきは別の者」
そう柔らかく王様を制され御召物の裾を静かに捌いて、御部屋の扉へ向かわれる。
そして内官の手が開けた扉から、いらした時と同じよう音もなく御部屋をお出になられた。
その引いた裳裾の消えると同時に、王様は物思われるよう小さな息を吐かれると、御自身の横を守る迂達赤副隊長に向かい
「・・・大護軍を呼びなさい」
それだけおっしゃり、両の御目を静かに閉じられた。
*****
王様のお部屋を出て以来、前を歩かれる媽媽は一言も口をきかない。
扉外で待っていた武閣氏のオンニを従えて、静かに歩いて行かれる。
さすがの私もお気持ちが分かるから、こういう時は沈黙こそ金よね。
坤成殿に帰る長い廊下。
その廊下に沿って点々と立った禁軍さんが、進む媽媽にまず頭を下げた後で、気付いたみたいに体を90°回すと曲がり角の先に頭を下げた。
角を曲がる前の私たちには見えない。だけどそっちから誰か来てる。
そのまま進んで曲がらずに、媽媽は曲がり角手前で足を止められる。
禁軍さんたちがあんなに嬉しそうに頭を下げる人。聞こえない足音。
そして頭を下げたままの禁軍さんの列の中、すぐにその人影が角を曲がって、こっちの廊下に出て来る。
朝からの雨。お昼なのに薄暗い廊下。廊下の窓からの淡い光を背に歩いて来る逆光の中の黒い影。
その鎧のシルエット。伸びた背中も肩のラインも、誰よりも知ってる。
媽媽と一緒に足を止めて、でも駆け寄れないからそこで手を振って。
呼んでもいいのかな?媽媽も武閣氏オンニたちも禁軍さんもいるし、やっぱりダメ?
フードで隠しきれなかったんだろう。髪の先が雨で少し濡れてる。
出来れば脈を診たいけど、さすがにここで脈診はマズイわよね。
ホッとする。その姿を見ただけで、これでもう大丈夫だって思える。
どんなに大変な時も、問題が起きてる時も。
あなたが来てくれたからもう大丈夫、全部うまく行く、そんな風に安心できる。
このまま皇宮に引き止めること。今のあなたがそれを望んでないのは分かる。
だけど私が側にいる。どうかお願い、私と一緒に乗り越えて。
必ず最後に思ってくれるはず。あの時一緒に残って良かったって。
怖い夢を思い出すの。
いつかの私たちがいたかもしれない世界で、自分を責めながら冷たくなったあなたの姿。
起きてくれるように泣きながら、その額に何度もキスをした。
そんなことは絶対に起こさせない、そのために戻って来たの。
いつも私がいる。あなたの側に必ずいる。
私も逃げたりしないから、あなたもどうか逃げないで。
キスならあんな風に泣きながらじゃなく、2人で笑いながらしたい。
温かいあなたを抱きしめて、光の中で笑い転げて、ふざけながら。
王様と媽媽から離れたらダメ。国を捨てるようなことをしちゃダメ。
この気持ちが通じても通じなくても、あなたを心から愛してる。
それだけは疑わないで。たとえ最後に私のしたことを全部知っても。
胸の高さで振った手をこっそり降ろして背中に隠して、唇だけで呼んでみる。
ヨ ン ア。
あなたはそれを読み取って、黒い瞳で頷くと目尻だけで笑い返してくれた。

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なんとか ヨンを留めるために
あれこれ 忙しかったかな?
かわいそうだけど
ヨンがいる場所は ここなのね…
ここに 一緒に居ましょう
ウンスのかわいらしい仕草を
しっかり見て
ヨンの返す 仕草が
また たまらん
ウンス キュン死だわ♥