2016 再開祭 | 瑠璃唐草・後篇

 

 

「左右衛」
真冬の暗い寝屋の中、深夜の寝台の上で腕の中の呟きに眸を開く。

「神虎衛、金吾衛、興戚衛、監門衛・・・」
咽喉元に鼻先を擦り寄せたあなたの、苦し気に寄せた眉が星灯りの中にも見える。

何という寝言だ。

うんざりする。王妃媽媽がどれ程御心を寄せて下さろうと。
たとえ王様から叔母上への、直々の御言葉があったにせよ。

見るに耐えぬ。日に日に疲れ、窶れて行く俺のこの方の姿など。
一思いに御史大夫を斬り捨てて、後から理屈を捏ねてやろうか。
王様直々の勅旨で医仙に就かれた天の医官を愚弄したと。
医の道にのみ精進すべき方に、要らぬ労力を割かせたと。
王様と王妃媽媽を守るべき医仙の役目の邪魔をした。
延いては王様と王妃媽媽の御健康を害する大逆罪ではないかと。
こんな事にばかり頭が廻る。
この方を救う方法は判らずに手を拱いているというのに。

寒い部屋の中で、せめて風邪をひかぬように。
夢の中まで忍んで行って、その悪夢から醒ましてやりたい。
もう一度抱き締めて寝言が続けば揺り起こす。
そう決めて細い体に腕を回すと、険しかった眉間の力が抜ける。
咽喉元に当たる呼吸がようやく少し深くなり、苦し気な寝言を呟いていた口許に淡い笑みが戻る。

穏やかになった寝息を受けながら、その寝顔をただ見詰める。
口に出す事は絶対ない。この方がそう思われるのを厭うと誰より判っている。
それでも思う。俺に出逢わねばこんな目に遭わずに済んだのに。

好んだ訳でなく攫われ、望んだ訳でもなく残され、選んだ訳でもなく繋がれた。
この方にこれ以上の無理を強いるなど、最早正気の沙汰とは思えん。
ただ俺の為に戻って下さった、それだけだと判っているのに。

この方が天人でも、扉の開け方の作法すら知らずとも構わん。
この方がただこの方のまま居て下されば。
紅い髪を靡かせて、懐かしい花の香を漂わせ、俺だけを見て笑って下されば他には何も要らぬ。

真に国の為を想うなら、この方がこの方らしく居て下さる事にのみ心を砕くべきだ。
それこそが民の体と心を、そして王様と王妃媽媽の御心と御体を守る、唯一つの道。
こんな苦しい寝言を呟かせるようでは、この国の先行きは暗い。
一時の体裁を取り繕う事は出来ようと、何れ必ず綻びが生じる。

朝になれば。そう思いながら、今は腕の中のあなたを抱き締める。
あなたの苦しい寝言が増え、俺の余分な溜息が増えた暗い寝屋で。

 

*****

 

「王様」
翌朝早々、拝謁を申し出た俺が向き合う康安殿。
上がったばかりの冬の陽が、磨き上げた窓枠を光らせる。

戸惑いを押し隠すよう玉座に腰を据えられた王様に体ごと向き合い、小さく顎を下げる。
「某よりの御願いです。医仙の徳育の御取り下げを」
「・・・いよいよ切羽詰まられたか」

判っておられるならば。
思わず口に出しそうになり、王様に倣って表情を消す。
「は」
「そうであろうな。唯でさえ典医寺の役目の合間を縫って、徳育の講義を受けておるのだから」

他人事のような御声に、肚の内に湧き上がる怒りをどうにか抑え頷き返す。
「は」
「では此処までとしよう。大護軍」
「は」
「四日後の都堂に、医仙と共に参座せよ」
「・・・は?」

そのまま二の句を継げぬ俺を何処か気の毒そうに眺めやる視線。
王様はそのまま深い息を吐く。
「チェ・ヨン」
「は」
「一度で良い。御史大夫を黙らせる為に参座せよ。そなたでなく医仙の為だと思って」
「王様」
「そなたが文官らの問答になど興味がない事は、よく判っておる。故に今まで参座を強制はしなかったな」
「は」
「しかしそうしてばかりもおられぬ。現に医仙を隠しておるから、こんな騒動になったのだ。
黙らせるならその前に、一度くらいは拝ませてやらねば」
「しかし」

徳育がどの程度まで進んでいるのかは俺にも判らぬ。
あの方は毎夜この腕の中で苦し気に三十八領やら六衛やら、はたまた官位やらの切端を呟くだけで。
そんな姿を見ていられぬから、無礼を承知でこの冬の早朝に拝謁を願い出たのだ。
胸糞悪い重臣との顔繋ぎや、まして都堂段の参座を願い出る為ではない。
その肚裡は御存じだろうと思っていたのに。

「某は」
「徳育で憶えた事が身に染みついておるうちに。
一度拝ませてさえやれば、御史大夫も医仙を攻撃する名目がなくなる」

王様の仰りたい事はよく判る。
そしてそんな面倒が厭だからこそ、こうして出向いたのだ。
あの方が笑顔を忘れる事。したくもない事に苦しむ姿。
そんな無理を押し通し体裁だけ取り繕って、一体何の意味がある。

「王様」
「チェ・ヨン」
王様はこれ以上の言葉など聞きたく思われぬかも知れん。
それでも頑なに首を振り、声を続ける。

それで迂達赤を追われ、皇宮から地方へ飛ばされるなら望む処だ。
鄙まで行けば俺もあの方も、これ以上下らぬ耳目を気にせず済む。
しかし王様の御口から続いた御言葉は、その予想とは違っていた。

「寡人は考えたのだ。王妃が此度は何故、医仙に無茶と思われる徳育を授けようと思ったのかを」
「・・・は」
「いつもの王妃であれば、御史大夫を黙らせたろう。医仙に無理を強いるのでなく」
「は」

そうだ。その点だけは俺も合点がいかぬ。
畏れ多くも俺のあの方を姉と慕われるほど近しく御配慮頂いている王妃媽媽が、何故。

よもや早朝から額を突き合わせ、互いの伴侶の話に興じるなどと思ってもみなかったが。
王様は困った様子で口端を下げ、苦い笑いを浮かべられると
「寡人が守ってやりきれなかったのかもしれぬ。現に冷たく遇して来た時期がある。
王妃も元から輿入れし、淋しく思う事も多かったろう。
周囲に心を開く事も出来ずに、元の宮廷とは全く違う風習に戸惑う事もあったろう。
ああした方ゆえ、口にはせなんだが」

そのまま俺から視線を外され、光る窓外へと御目を投げた。
それでも高麗は宗主国である元の風習に倣う処が多い筈だ。
例え国が変わろうと言葉が違おうと、俺のあの方の天界と高麗程の違いはないのではないか。
しかし流石に王様に向かい、其処までお伝えする事は出来ん。

「余所者だと思う気持ちが何処かにあったのだと思う。
だからこそ王妃は、医仙にそのような思いをさせたくないのかも知れぬ」
「王様」
「故に認めさせたいのだろう。例え出自は他国であろうと、誰より国を想い、民を案じている事を。
医仙も、そして王妃自身も」

そんな事までおっしゃられれば、これ以上固辞する事など出来ぬ。
朝陽に照らされた部屋の中、妻の心中を慮る事は出来ても救い方の判らぬ男が二人、手を拱いて息を吐く。

いっその事手取り早く、都堂の会場で御史大夫を斬ってやろうか。
そしてその傷を治療する、あの天界の時と同じ手腕を目にすれば良い。
さすればどれ程の重臣であろうと、二度とあの方を愚弄するなど思いもよらぬだろうに。

 

 

 

 

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