2016 再開祭 | 冬薔薇・中篇

 

 

「迂達赤隊長ともあろう者が、皇宮の回廊で叫ぶな」

北風の吹き抜ける回廊の端。
周囲の視線を避けられる小さな朝陽の日向。
白い陽射しの中、叔母上は呆れた顔で首を振った。

「お主の一挙手一投足を見張る者、隙あらば追い落とそうとする者。
そんな奴が山ほど居ろう、第一」
「叔母上」

そんな説教など喰らう暇はない。
後で纏めて聞いてやると覚悟を決め、叔母上の声に強引に割り込む。
「医仙は何用だった」
「・・・何の事だ」
「昨夜行っただろう、坤成殿に」
「ああ、その事か」

ようやく合点がいったのか頷く叔母上を急き立てるよう
「何の用だったんだ」
「案ずるな」
「案じずにいられるか!」

思わず荒げた声に眉を顰めると、叔母上は不機嫌に吐き捨てる。
「お主には関係ない」
「叔母上、知ってるだろう。あの方が幾度皇宮から勝手に逃げようとしたか」
「逃げる相談ではない」
「相談してから逃げるような方じゃないんだ!」
「・・・ヨンア」

その声にようやく口を引き結んだ俺に、叔母上は厭々といった顔で首を横に振った。
「勘違いするな」
「何を」
「医仙はお主のものではない。その手の届く方でもない」
「・・・ああ」
「まずはこの国の医仙。王命にてその座に就いておる。そして徳成府院君が狙う女人だ。余計な手を出せば」
「判ってる」
「判っているなら言わせるな。良いか。次はお前か医仙か、若しくは二人とも殺される」

あながち口から出任せとも思えない。
確かに奇轍ならそれを成す執念深さも、そして力も金も充分にある。
「それでも」
「それでも」

鸚鵡返しの叔母上の声を聞きながら、無表情を装うその顔を見る。
「・・・今は放って置いてくれ」

白い息と共に己の口から吐き出された声。
それを誰より信じられないのは己自身だ。

放って置かれて、何をするつもりなのか。
口喧しい事は脇に置いても、少なくとも母上亡き後母代わりを務めてくれた。
俺が迂達赤隊長としての役を引き受けた後、武閣氏隊長そして筆頭尚宮としての助言に間違いはなかった。

その叔母上に逆らってまで何をするつもりだ。何処へ行くつもりだ。
答は判らぬのに、足は勝手に今来た回廊を戻り始める。

「・・・馬鹿者めが」

この背で呟かれた声は、耳に届く事なく風に消えた。

 

*****

 

「て、隊長!!」
「隊長」
勝手な足の運ぶ先。
走り込む俺の勢いに呆気に取られる医官や薬員の脇を駆け抜け、真直ぐ最奥のあの方の部屋を目指す。

小さな薬園の中を縫って続く階を一足飛びで降りる。
其処に立っていたテマンとトクマンが姿を見つけて声を上げた。
テマンの声に頷きながら、その脇の丈高いトクマンの顔を睨む。
奴も察したか両の腕を海老のように丸め、俺の蹴りから身を護ろうと半身の防御姿勢で構える。

頭隠して尻隠さずだ。

庇い切れず此方に向けた腰を思い切り蹴りつければ、頭を隠した奴の両の腕が勢いで下がる。
伽藍と空いた鎧の下、上衣の襟首を思い切り締め上げつつ大きく一歩寄り、その鼻先へ面を寄せる。
「何してた」

腰の痛みと俺の睨みに歪めた奴の鼻面で低く問えば、奴は慌てて首を振る。
「昨夕急に、医仙が坤成殿へ行きたいと。もちろん行き帰りとも御伴しました」
「医仙は」

その声にテマンとトクマンは同時に眼であの方の部屋を示す。
「中にいらっしゃいます」
「・・・逃げてないのか」
「は、はい」

テマンが急いで頷き、同時にトクマンが
「そんな事なら、俺もすぐに隊長に報告します!」
汚名返上とばかりにこの鼻先で、幾度も烈しく頷いた。

奴の襟首を締めあげた掌を緩め
「油断はするな」
それだけ残して扉へ向かう俺に、漸くの息をつきながら
「はい、隊長!」
トクマンは言いながら小さく噎せこんだ。

 

部屋の扉を静かに開ける。
其処に漂う濃く強い薄荷の香の中、窓際の姿に見入る。

目塞ぎの薄紗の朝陽越し、何かしきりに動かす指先。
その窓際に据えた器内、指先を真剣に見つめる横顔。
思いあぐねるように指を止め、小刻みに叩く紅い唇。
こうして踏み入った事など、気にも留めておられぬようだ。

声を掛けて良いのか。
それともこうして無事が判った以上、黙って退室すべきか。
しかし皇宮内とはい奇轍が我が物顔で出入りする以上、勝手に彼方此方と出歩かれるのは困る。
ましてや畏れ多くも手順に則り御拝謁の許しを得る前に、王妃媽媽の坤成殿へ踏み込むなど。
「・・・医仙」

意を決し、朝陽の中の姿に声を掛ける。
この声に紅い髪が靡き、視線が此方へ流れて来た。
見つめ返せず逸らそうとした眸は、先にその視線に掴まえられる。

 

 

 

 

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