2016再開祭 | 昊天・上篇

 

 

何処から確かめようと椀の中身は、見る限り喰い物とは思えない。
灰色の細糸を凝視する俺に笑い、女人は己の椀を指した。
「好みですけど、ムルネンミョンにお酢を入れると美味しいです。スープじゃなくて麺にかけるんです」
言いながら卓上の酢の瓶から柄杓で酢を掬う。椀へ注いでいるのだろう。
ヨンが俺を促すよう、頻りに眸で合図を送って来る。
俺にも、その真似事でもしろという意味か。

柄杓が瓶に戻った処で、酢を不気味な灰色の椀へぶち込む。
何故此処までせねばならんのかと、自分に腹を立てながら。

麺の上に乱暴にぶちこんだ酢が跳ねて、卓に水玉模様を描く。

「そのまま、かき混ぜて下さい」
女人が満足そうに頷いて椀に箸を突込み搔き回す手に倣い、己の椀も搔き回す。
「カラシを少しだけつけてー」
卓の小皿から辛子を箸先へ取ると麺へ乗せ

「でね、ここからが大切なんです。まず最初にこのゆで卵を食べて下さい。タンパク質で、夏に弱ってる胃粘膜を保護するんです。
一説には麺に含まれる有害物質を、卵の成分が弱体化するんですって」
卵が喰える事は知っている。
逆らわず黙って聞く俺に安心したよう、女人は次に麺を箸で取ると、自分の口に放り込んで見せる。

麺のおかげでようやく煩い声が止む。
久方振りの静寂にヨンもマンボも俺も蝉声の中、その口許を注視する。
少なくともそれで判った。吐き出さん以上、ひとまず喰える物だという事だけは。

暫し黙って噛み、飲み下した後
「マンボ姐さん」
女人に呼ばれ、マンボが頷く。
「何だい。失敗したかね」
「信じてたけど」

女人は静かに箸を卓へ戻すと、俺に立てた食指ではなく擘指を立てた。
「マンボ姐さん、天才!高麗でこんな美味しいネンミョンが食べられるなんて!」
甲高い叫び声の後、思いついたように両掌を打つ。
「私の世界で冷麺のルーツは、平壌のムルネンミョンと咸興のビビンネンミョンってことになってるんです。
平壌は開京のすぐ先だから、もしかしたらマンボ姐さんのこれこそルーツかもしれないですよ!」

相変わらず判らん。首を振る俺に女人を見守っていた眸が戻る。
それでも女人を律儀に背で庇うヨンに目で問えば、奴は気にするなと言うよう息を吐き
「・・・それ程美味いですか」
そう言って女人の椀を顎で示す。

「うん、最高。ヨンアも急いで食べて、ぬるくならないうちに」
「まずはヒドが」
成り行きとはいえ、立ったまま喰うような礼節外れは厭なのだろう。
そんな頑なさに、育ちの良さが見て取れる。
奴は腰掛けた俺を見て言うと頷いてみせる。強制とも懇願とも取れるその目付きに覚悟を決め、
「卵だな」

それだけ言うと卵を摘まみ、一口噛んでみせる。
「喰える」

先刻女人を見ていた皆は、今は俺の口許に当たっている。
そしてそれぞれ当然だとでも言うように無言で待っている。
卵が喰えるのは誰でも知っている。麺を喰えという事か。

覚悟を決め箸先で灰色の細糸を義理程度に掬い、口へ放り込む。
「おいしいでしょ?ね、ヒドさん」
ヨンの背向うから此方を覗き込むその目。
「・・・・・・・・・・・・」
「ね?ヒドさん?」

何と言えば諦める。
水ではなかった。黒褐色の細糸が浸かっていたのは水でなく、味がある。加えた酢や辛子の味とも違う。
水冷麺、そう言っていたから思い込んでいた。
「水ではないのか」
箸先で椀の縁を叩いて尋ねれば、女人は得意げに笑って頷いた。

「牛ダシとトンチミの汁を混ぜてもらったんです。元祖は凍るくらい冷たいトンチミの汁だけって聞いたんですけど」
「麺が黒い」
「はい、ソバ粉が原料なので。小麦粉や米は手に入りにくいけど、ソバ粉なら比較的手に入れやすいでしょ?
トトリも入れてているのでこんな色なんです。ソバは丸ごと挽いてるから食物繊維が豊富だし、トトリは解毒作用もあるんです。
お酒を飲む誰かさんたちには、特に食べて欲しいなと思って」

余計な最後の一言に眉を顰め、取り敢えず喰い物だと頷けば、ヨンに安堵の表情が浮かぶ。
相手が誰であれ、女人の料理が貶されるのは我慢ならんのだろう。
「じゃあヒドさん、もう1口。ヨンアも腹ごしらえしないと」

俺が黙って啜った事で場の雰囲気が少し和んだか。
女人は調子に乗ったようにそんな事を言い出した。
「これから大仕事が待ってるんですから!」
「・・・草刈りか」
「そうです。よろしくお願いします」

その声を聞いた途端のヨンの情けない顔。
俺も奴と並んで、風功の腕では赤月隊の頃から負けはない。
それを知るからそんな顔をするのだろう。
寸分違わず狙った獲物の肌を裂き咽喉を搔き斬った風の刃で、今は茂った夏草を刈っている。
真昼間から表に出で、酒も止められ、喰えるのかどうかも判らない黒い麺擬きまで口にして。

情けないのも溜息を吐きたいのも、お前ではなくこの俺だ。
大切なお前の顔を立てる為とはいえ、黙って女人の言いなりのまま麺まで喰らう体たらく。
それでも一箸で義理は果たした。これ以上は絶対に喰わぬ。
拒否の返答の代わりに握る箸を無言で卓へ放り出し腕を組む。

そんな俺の様子に、ヨンは無言で首を振った。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

3 件のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    何だかんだで ウンスの言うこと聞いちゃう
    兄弟そろって…
    素直に従った方が はやい(笑)
    でもさ、人間らしく生きてる
    顔の筋肉 ほぐれてきてるよねー
    眉間のシワも 消えてきた?
    (๑´ლ`๑)フフ♡

  • SECRET: 0
    PASS:
    ウンスとヒドヒョンとの掛け合い、そこに、ヨンの微妙な悋気!!
    大好物な場面♪♪♪
    お~~
    草刈りするのね。
    あの、「蟷螂」での草刈り、抜群でした。
    ヒド、もっと食べて。
    元気だして、風功での草刈り、
    お願いしまーす。

  • SECRET: 0
    PASS:
    こんにちは
    久方ぶりのヒドさんにお会いして嬉しいやら
    可愛いやら
    苦笑いやら
    楽しませて頂いてます。
    暑い盛りの庭先より

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です