2016 再開祭 | 手套・後篇

 

 

ようやく陽が射しこむ回廊の隅。
半身は冷たい日陰に隠れたまま床も壁も霜つく程冷えたその場で、優に八半刻は待たされた。
一人の女人を伴って戻って来た叔母上の足音が聞こえ、体の芯まで悴んで日向へ出る。
凍った体をゆるゆると溶かすような光の中で待つ俺の目前、叔母上は苦い顔で言った。

「こちらはオクビン、武閣氏の兵だ。今の弓箭隊長でもあるからお主も顔くらい見知っておろう」
叔母上が連れて来た女人は、黙って其処で頭を下げた。
「何を頼むのか委細は知らぬが、くれぐれも」

叔母上だけが数歩進んで俺の前まで来ると、後ろの女人には届かぬ低い声で念を押す。
「医仙絡みとはいえ愚かな事を頼むでないぞ、ヨンア」
「判った」

確かに女人は何処かで見知った顔だった。
武芸大会か、それとも皇宮の回廊か。
王様の康安殿を訪われる折の、王妃媽媽の護衛だったかも知れん。

「市井へ出る。平服に着替えてくれ」
オクビンという女と叔母上が、不思議そうに目を見交わした。

 

*****

 

「タウン」
攻める時には一気呵成に。何処からも水が漏れぬように。
若芽湯は人に作ってもらう気持ちが嬉しいとおっしゃった。
宅で料理を任せられるのは、タウンしかおらん。

あの方の目を盗み、裏口から忍び込んだ薄暮の厨。
夕餉の支度中だったタウンは鍋から上がる湯気の中、驚いた顔で振り向いた。

「大護軍、何かございましたか」
「あの方から何か頼まれなかったか」
突然の問いに素直に頷くと、タウンは口許を綻ばせた。

「お誕生の日に、若芽湯が召し上がりたいと」
「作るな」
「・・・え」
首を振ればタウンが訝し気に此方を見つめ返す。

「俺が拵える」
「けれど大護軍が厨に入られるのは・・・如何なものかと」

上役に意見は許されても指図するのは許されん。
武人の則が染みついたタウンは、遠慮がちに口にした。
「此度は特別だ」
「畏まりました」
とにかく話が早い。それが気に入っている。
あれこれ詮索せずに頷いたタウンに、最後に忘れず口止めをする。

「あの方にはくれぐれも内密に」
「心得ております、大護軍」

確かに厨に忍び込めば、それくらいの肚裡は見えるのだろう。
返答に頷いて、来た時同様に厨を忍び出る。

庭の裏手を回る時、寝屋の窓の奥から聞こえて来た調子外れの鼻歌に笑み、部屋へ急ごうと足を早める。
歌が上手かろうと下手だろうと、機嫌が良ければそれで嬉しい。
結局、今の俺はそういう男なのだ。あの方を喜ばせるなら、最早体面すら繕えぬような。

 

*****

 

毎朝、寝屋を出る前に窓の朝日の中で暦の日付を数えつつ、入念に逆算していく。

若芽湯の具材の手配。あの方の喜びそうな飾り物。
前夜までに手配を済ませる必要がある。あの方に見つからぬよう全てを内密に。

そもそも飾り物が厄介だった。
買い物が大層お好きな方だが、何をお持ちで何を欲しがっているのか全く知らぬ。
揃いの金の輪以外で、特に目立つ飾り物を身に着けているのを目にした事もない。

天界で初めて逢ったあの日、あの方の耳にも首にも光る飾り物。
王妃媽媽すら纏われぬような煌びやかな飾り物は、一体この世の何処で手に入るのか。

それでもあの頃、せめてもの思い出にと買い物に誘った折にはあれ程嬉し気におっしゃった。
服も、沓も、買ってくれるかと。
あの印の日が近づく程に、焦がれるように思った。
何でもしようと。この方の笑顔を見る為なら何であれ。

あの暦の印。あれは全ての終わりを意味していた。
一刻が、一日が、暦に増えていく×の数が、まるで凌遅刑のように心を刻み削ぎ落とした。

もうあの暦の印に怯え、懼れる必要はない。
あの方は風変わりな遣り方で教えて下さる。
これからの暦には楽しい事のみ刻んでいく。
その嘉日を指折り数え、首を長くして待つ。

それがどれ程倖せか、どれ程あなたに感謝しているか、新たな暦に刻みたい。
けれどそれ以上は思いつかなかった。あの方に感謝を伝えるにはどんな物を贈れば良いのか。

驚かせたい。喜ばせたい。笑って欲しい。
しかしあの方を満足させられる飾り物を探し出す自信がない。
剣や弓なら目端が利いても、簪や絹飾りには全く疎い。

探し出す為にオクビンを伴った市井探索は、既に三度を数えていた。
「大護軍」
開京の飾り物屋、小間物屋、絹の店は一頻り回った気がする。
此処で見つからねば馬を駆り碧瀾渡にでも行くしかあるまい。
刻は迫っているが、あの方を喜ばせる為なら。

覚悟を決めて足は止めず、背後に従く女人の声を聞く。
「何だ」
「早めにお耳にと思います。妙な噂を聞き」
「噂」

肩越しに振り返り、一歩半の後のオクビンを確かめる。
困り果てたように眉を下げ、女人は小さく頭を下げた。
「私を伴っての探索が、周囲の目に誤解されているようです」
「如何ように」
「大護軍が、医仙様を蔑ろに・・・」

それ以上は言い難いのか言葉に詰まった女人を見て、初めて厭な予感に足を止める。
「おい。まさか」
「私に御心を移されたのではと」

女人と二人での市井探索。共に鎧は纏わぬ平服。廻るのは女人の品を扱う店ばかり。
店先に並んで吟味し、女人の選ぶ品に時に頷き、時に首を振る。
傍目にはもしやそれが、理無い仲とでも映ったのか。
「有り得ん」
激しく頭を振ると、心得ているとばかりにオクビンが頷き返す。
「おっしゃる通りです。ただ万一にでもそのような噂が、医仙様のお耳に入れば」

棒立ちの俺に決してそれ以上距離を縮めず、オクビンは往来にも拘らず真直ぐに腰を折り、深く頭を下げた。
「申し訳ありません、大護軍」
「お前のせいではない」
「宜しければ、医仙様の飾り物は武閣氏で手分けして探します」
「・・・いや。それでは意味がない」
「判りました」
「付き合わせて悪かった」
「構いません。お役に立てず、申し訳ありませんでした」

オクビンを其処へ一人残し大路を駆け出す。
一先ず典医寺へ。一刻も早くあの方の許へ。

日陰の根雪に足を滑らせぬよう開京の大路を駆けて行く俺を、周囲を行き交う民が驚いたように振り返った。

 

 


 

 

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