2016 再開祭 | 薺・前篇

 

 

「チュンソク!」
キョンヒ様の周りは、いつでも朗らかな音に満ちている。
呼び声を聞けば安心する。駆け寄る玉砂利の音を聞けば不安になる。
転ばんようにと音の元に急いで、小さな体を受け止める。

最後にこの腕の中に納まる時の、ぽすんと軽い絹の音。
「お帰り、チュンソク!」
会いたかったと何よりも、雄弁な丸い目が言っている。
「只今戻りました」

いつもそんな明るい音に迎えられ、昼と夜との区切りをつける。しかしその夕はいつもと違った。
腕の中のキョンヒ様はこの顔を見上げ、澄んだ明るい声で突然、思いもよらぬ事をおっしゃった。

「あのね、ウンスに会いたいんだ」

 

*****

 

「あのね、あのね」

キョンヒ様の周りは、いつでも明るい色に満ちている。
桃色の絹張りの座椅子に納まり、キョンヒ様は卓向かいの俺の顔を前のめりの姿勢で覗き込む。

燭台に揺れる淡い蝋燭の灯の中、きらきらと光を湛える丸い瞳。
物言いたげに弾むのを無理にこらえて引き締める、薄紅色の唇。
隠しきれずに頬だけでなく、耳朶まで染め上げるような珊瑚色。
これは大層気分が昂っている時のお顔だ。婚約まで交わせば、朴念仁の俺にもその程度は判る。

「婚儀の事を知りたいの。だからウンスに会いたいんだ」
「婚儀の事、とは・・・」
「ほら。ウンスが大護軍との婚儀で、花束を投げたろう」
「はい」

思い出す、眩しく明るい太陽が透かせる紅葉。
秋の光の中、何処までも青い天高く舞い上がった花束。

美しい陽射しの中、列席の全員がその行方を目で追った。
確かに医仙は花束を投げ、そしてチェ尚宮殿が確り受けた。

庭に溢れた笑い声、初めて見るチェ尚宮殿の照れた笑み。
医仙が大護軍の胸に寄り添い、大護軍は医仙の肩を支えた。
あの何よりも誇らしく目出度く、温かな秋の華燭の典の日。

俺達の目に映った、いつより凛々しかった大護軍の黒絹衣姿。
そして辺りを払うような、恐ろしい程美しい医仙の白絹衣姿。
参列の一同が笑い、泣き、そして心から慶んだあの秋の一日。

こうして思い返すだけで胸が締め付けられるように熱くなる。
大護軍だけをずっと見て来た。その背をずっと追って来た。
この人のようになりたいと焦り、願い、そして手も焼いても来た。

だからと言ってあの素晴らしい婚儀を真似る事は出来ん。あれは大護軍と医仙が作り上げたこの世で唯一つの婚儀だ。
大護軍があの日を、どれ程大切に思われているか知っている。だからこそ絶対に、二番煎じの婚儀にはしたくない。
キョンヒ様が医仙のような白絹の婚儀衣装を御召しになりたいと、駄々を捏ねた時にもはっきりと。

「判ってる!」
先回りするようキョンヒ様が小さく叫び、慌てた様子で座椅子を立つと、俺の膝許まで卓を回って来る。
「判ってる、お二人の婚儀の真似をしたい訳じゃないんだ。チュンソクが嫌だと教えてくれたから、そんな事はしない」
「はい」
「えらいでしょ」
御自分からそう確かめねば、もっと御立派なのだが。もう一息だと、小さな頭を撫でてみる。
得意そうな顔に微笑んで頷き返すと、キョンヒ様は満足げに笑う。

「でもいろいろ知りたいの。あの婚儀は本当にとても素敵だったから。ウンスにいろいろと教えてほしいんだ、天界の婚儀の事を」
「しかし・・・大護軍が、何とおっしゃるか」
決してキョンヒ様を疎ましがったり、避けておられる事はない。
俺の婚約者、何より王様の姪姫様として、十二分の礼を尽くして下さっている。

ただ頑迷な俺達の大護軍はキョンヒ様に限らず、医仙が天界の則を口にしたり、不用意に周囲に広める事には極度に敏感だ。
その肚裡はよく判る。いつ何処で誰にそれが漏れ、また新たな敵が生じぬとも限らんと、気が気ではないのだろう。
「だから、チュンソク」

成程。これが今宵、キョンヒ様が頬を染めていた理由だったのか。
柔らかな白い両手で俺の正座の膝を揺らし、キョンヒ様は今や隠すご様子もなく、はっきりとねだる。
「大護軍とウンス、お二人共にご招待すれば良いんじゃないかな」

 

*****

 

翌朝の迂達赤兵舎、火の気も人気もない底冷えの吹抜け。雪の積もった暗い天窓のせいで今の刻も判りにくい。
兵舎に響く法螺の音だけを頼りに見当をつけ、吹抜けの下で今や遅しと待ち構えていた。
そして目指す大護軍がそこへと入って来るなり、駆け寄って頭を下げる。

「大護軍、おはようございます」
「・・・おう」
物言いたげな、いや、もっと言ってしまえば訴えかけるようなこの視線に気付くと、大護軍は怪訝な顔の顎先で上階を指した。
朝っぱらから私用でお邪魔するなど、申し訳ないとは思う。しかしこちらもいろいろと、表立って口に出せぬ事情があるのだ。
俺は無言で頭を下げ、階を上がる大護軍の背に従いた。

 

「で」
俺達の背後で扉が閉まるや否や、一切無駄口のない大護軍は言いながら部屋内を進み、どかりと音高く三和土に腰を降ろす。
「何だ」
話が早いのは有り難いと、俺は深く頭を下げて言った。
「折り入ってお願いが」
「何の」
「大護軍と医仙を、儀賓大監の御宅にご招待したいと」
「・・・何故」

怪訝なお気持ちはよく判る。俺とて出来るなら、私用で大護軍を煩わせたりしたくはない。
気が緩めば愚痴が飛び出しそうな肚裡を宥め、慎重に言葉を選ぶ。
「実はキョンヒ様のご希望で」
「敬姫様」
「医仙に、天界の御婚儀について色々教えて頂きたいと」

その刹那大護軍の変わった顔色に、一瞬背筋が冷える。やはり折衝は失敗か。
それはそうだろう。国に関わるでも、王様の御身の守りに関わるでもない。
慎重に二重三重の案を巡らせ医仙を守る大護軍が、敢えてその知識をひけらかす必要もない俺達に。
「チュンソク」
「は」
「本気か」
「・・・は?」
「薦めんぞ」
「そう、なのですか」

・・・どうやら渋い顔の理由は、折衝の失敗が原因ではないらしい。
大護軍は予想と違う答を返して、苦々しく首を振って言った。

「何れ悔いる事になる、恐らくな」

 

 

 

 

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