2016 再開祭 | 春夜喜雨・廿伍

 

 

「あれ?」

庵の裏手の渓流へ降りる山道で小さな声を上げ、医仙が足を止めた。
今春に伸びた若竹が春の陽に新しい萌黄に透ける中、その視線が周囲を見渡す。
「ここ知ってる。このまま行くと、川よ?」

井戸端で洗われたばかりの頬を何故か頬を赤くし、道の先を示す指に
「はい」
俺が頷くと不思議そうに首を傾げ、医仙は再び歩き出した。

「あの人、1人で川まで行ってるの?」
「恐らくは。先程此方に降りて行かれたので」
「何だろう・・・水遊び、には時間も、季節も早いわよね」
「・・・遊んでいる訳では無いと・・・」

あの人が一人で川に入って、無邪気な幼子のように水遊びに興じるとは到底思えん。
並んで首を振る俺に小さく笑うと足元をふらつかせつつ、医仙が怖々と斜度を増した坂を下り始める。

大護軍の大切な方である以上、その体を支えるべきか。
いや。大切な方だからこそ、一切触れずに守るべきだ。
その瞬間、並んで守っていた医仙から大きく一歩前へ進み出る。
万一にもこの下り坂で足元を滑らせれば、己が盾になるように。

「絶対よ。覚えてる。ここの先にすぐ河原が・・・」
医仙はそうおっしゃると、碌に足元も確かめず俺の脇から木陰の先の明るい景色を覗き込む。

その瞬時、坂で傾いていた医仙の足が谷側へと横滑る。
「医仙!」
間に合わん伸ばした手、谷の下には河原へ続く岩交じりの林。
その風景が色を失い、落ちて行きそうな医仙の姿だけが妙にはっきりと目に映る。

叫んだ声と共に、坂の下から駆け上って来た影が俺を突き飛ばすように、大きく医仙へと腕を伸ばした。
その腕が滑った医仙の御体を、谷へ落ちる寸前に掬い取る。

「何をしている!!」

俺にか、それとも医仙にか。
鋭い声と同時に医仙は、その腕の中に縋るように収まっている。
「申し訳ありません!」

ずぶ濡れの平服で鎧も纏わず、逆光に遮られた影だけでも判る。
聞き違えようもない声。そして医仙が危険になれば、必ず最初に差し伸べられる腕。

逆光で顔の見えん大護軍の影に、深く頭を下げる。
下り坂で前に転べばと、余りに前面にばかり注意を向けていた己の失態だ。
まさか医仙が谷側へ滑るとは思わなかった。

「怪我は」
「滑っただけ。チュンソク隊長のせいじゃないわよ。それよりヨンア」
支えられ、目を丸くしたまま息を弾ませた医仙が大護軍を見上げる。
俺を睨み付けていた大護軍の目が途端に不安げに曇り、腕の中の医仙へ戻る。
「はい」

医仙は腕の中から無言の大護軍の眸をまっすぐに見、不思議そうに
「何でそんなびしょびしょなの?」
きょとんとした顔で、お尋ねになった。

 

*****

 

「大護軍」
その声に顔を上げる。 庵の入口から顔を覗かせた男が笑って言った。
「領主が来た。大護軍も、隊長も来てくれ。医仙も連れてな」
「判った」

三和土に座るあの方が、開京から運んだ包みを取り上げた。
「行こう、ヨンア」
弾む声に頷きその手の荷を受け取ると、空いた手を握る。

今朝もよくよく身に沁みた。この方がどれ程好き勝手に動くか。
道を覗いて谷から落ちそうになる慌て者。
あの慎重なチュンソクですら守り切れぬ方。

俺が護る。俺でなければ護れない。そう思う事が、どれ程に。
「ヨンア」
手を握られてこの方が庵の入口で俺を見上げ、首を傾げて問うた。
「何でそんなに嬉しそうなの?」

この方が俺の肚を読めぬのは、幸か不幸か。
少なくともこの独占欲を見透かされんのは幸運だろう。

あなたが思うよりもずっと、俺はあなたが。

娶って、妻にして、俺のものになったと皆も判っていながら。
それでも隣の気配に耳を欹て、周囲に面目を保つなど下らん。

そう思いながら、まだ何処かに蟠りがある。
少なくともチュンソクの気配の前で膝に乗せ、抱き締めて頬を寄せ、緩んだ顔を見せる事は出来ん。
そう出来ないから、庵を出た途端にその小さな手を離す。

離された手にこの方はふざけたよう、けれど不満げな声で小さく呟いた。
「今度は絶対、2人で来る」
「はい」

庵から出て来たチュンソクの姿を横目で確かめ頷いた俺に
「いっつも巴巽村なら、堂々と手がつなげたのに」
紅い唇を尖らせて、拗ねたような声が続く。

「チュンソク隊長、ちょっとひどいと思う」
「奴の所為では」
「分かってるけどほら、ちょっとタイミングをずらすとかあるわ。あ、ヨンアも気をつけてよ?
任務だからって、チュンソク隊長とキョンヒさまが一緒の時、びったり張り付いてたらダメよ?
2人きりの時間を作らせてあげないと」

女人とは、何と面倒なのだろう。
俺がチュンソクの気配を読むよう、チュンソクも同じ状況ではこんな風に思うという事か。
いや、俺以上に役目大事なあの男の事だ。
この状況ならば同じ庵で一晩過ごす事すら無いかもしれん。
敬姫様の過ごす居所の扉前、夜通し護る奴の姿が眸に浮かぶ。

「大護軍」
庵から出て門番の先導の後ろに従いたチュンソクが、俺の顔を確かめ小さく問い掛ける。
「何か愉快な事でも」

その声に力を籠めて口を引き結び、俺は首を振った。

 

 

 

 

13 件のコメント

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    さらんさん❤
    恐怖の抜歯から
    生還されたのですね(^^)
    熱は?痛みは?大丈夫ですか?
    1日も早く
    固形物が食べれますように
    祈ってますね❤
    “俺が護る、俺でなければ護れない”
    そうですよ!
    ウンスを護れるのは、ヨン~貴方だけだと、私も再確認しました(*^^*)

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    さらんさん、大丈夫ですか?
    まだ、抜歯の痛みと腫れが酷いはずです。
    もしかしたら、熱を出したり体調不良だったりしているかもしれませんね。
    そんな中、更新してくださり、本当にありがとうございます。
    ウンスを護ってあげられるのは、やはり、ヨンだけなのですね。あのチュンソクさんでも、ウンスを護ってさしあげようと思っていても、咄嗟には無理でした。やはり、ヨンでした。さすがです。

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    ウンス…
    ヨンが目を離せないのも 納得ね
    どんなときでも ウンスを守りに
    現れる ステキな旦那さま♥
    チュンソクも ヨンの手前
    どうしたものか 迷っちゃったわね。
    愛しのキョンヒ様なら 迷わないでしょ。
    ふふふ 何気に女ごころを 教える
    ウンスさん いまや 高麗一 扱いの難しい
    女人ですから その主人は 大変です。
    がんばれー!

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    良かった(^^)
    更新してくれたのは、少しは快復したんですね?
    ちょっと、安心しました(^o^)v
    可愛い(*≧з≦)、ヨンにまたあえて、嬉しいです(//∇//)

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    さらん様~前回のヨンの様な状態になってないか心配してました!!
    さらん様に続き、私も来週3本一気にやられちまう自体に…Σ(゚Д゚lll)
    おっと、ウンス気をつけないと危ないよー!!
    危ない所で助けに来るヨンさん素敵❤
    俺が護る。俺でなければ守れない。
    うんうん、その通りです!!
    ウンスの行動に翻弄されながら頑張って護ってあげて♪
    久しぶりにお話が読めて幸せですヨン(//∇//)

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    大丈夫ですか?
    やっぱり辛い日々を送っておられたのでは?
    やっと大好きなヨンに会えました(^^)
    本当に待っていたのですよ~f^_^;
    まだまだ気をつけてくださいね!
    お大事に!

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    お話ありがとうございます。もう大丈夫なのでしょうか?無理はなさらないで下さいね。前回のコメント、2回投稿されてました。すみません。機械オンチの私、1回しか送ってないはず(当たり前ですが)なのに「何故?」の状態です。ごめんなさい。

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    さらん様
    抜歯の痛みはいかがですか?
    私の大昔の記憶だと、当日麻酔が切れた後、苦しみましたが・・・。
    更新されたということは、だいぶよくなられたのでしょうか。
    そうだといいのですが。
    液体以外のものは口にされましたか?
    食べられないと元気も出ませんから心配です。
    引き続きお大事になさってください。

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    さらんさん
    親知らず、大変でしたね~
    落ち着きましたか❓
    お話再開されたので
    さらんさんも復活されたのかと‥
    よかったです
    更新ありがとうございます

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    さらんさん、こんにちは♪
    歯の具合は大丈夫でしょうか?
    独占欲の強いヨンいいですね~❤️
    目の離せないウンス、やっぱり自分しか護れないと自負してますね( ´艸`)
    俺が付いてないと的な*(\´∀`\)*:
    チュンソク怒鳴られてとばっちりだけどw
    ウンスの言葉で女心もちょっとは理解したからしらね❤️
    確かにチュンソクは庵の前で護ってそうw
    堅物だからね(๑•̀ㅂ•́)و✧

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    そっか~理解出来たと思います。
    ヨンが何故びしょびしょなのか?ヨンが何故嬉しそうな顔を作るのかも!
    どうして、これ程不器用なんでしょう!!
    さらんさん
    親知らず大丈夫でしたか?相当な痛みだったのでは?

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