「テウさん」
彼女が呼ぶ。
「はい」
俺が答える。
うふふ、と彼女が笑う。
首を傾げて先を促すと、
「何でもないです。ただ呼んだだけ」
「・・・用がある時だけ、呼んで下さい」
そんな下らない遣り取りが繰り返される、真っ白い雪の中。
2人きりしか存在しないと、勘違いするような静かな世界。
「テウさん」
呼ばれて、またかと思いながら振り返る。
「・・・はい」
振り返らなければ良い。応えなければ良いんだ。
重要な用なら何か言うだろうし、笑うだけなら無視すれば良い。
そうすれば腹が立つ事も、他に何か言わなければと焦る事もない。
なのに振り向いてしまう。腹が立つのに無視できない。
その声の奥に潜んでいる何かに引き寄せられるように。
ようやく雪が小降りになった、昼食からの帰り道。
彼女は何故か俺から視線を外し、頭上の木の枝に積もった雪をじっと見ながら小声で尋ねる。
「テウさんは、恋人は?」
「・・・は?」
「鈍くてごめんなさい。もうすぐクリスマスじゃないですか。
私は先にお伝えしたけど、テウさんの事は何も聞いていなくて。
もしかして、私が来たせいで、2人のお邪魔をしちゃってたら・・・」
実のある事を言ったと思ったら、その見当外れな質問と気遣い。
そんな相手がいても任務には無関係だし、第一本当にいないし。
「いません」
正直に短く答えると、クォン・ユジはこっちの顔をじっと見た。
「私に気を使って下さってるなら」
「使う必要もないでしょう。本当にいないんですから」
「でも」
「・・・クォン・ユジさん。俺にも男のプライドってものが。 いないと言ったら、それ以上聞かずに流してくれませんか」
「はい」
クォン・ユジは何故か嬉しそうに頷くと、もう一度その枝に積もる雪の塊に足元の黒い小石を埋め込んで行く。
枝から雪が落ちないように慎重な手つきで作業を終えると、嬉しそうに俺を振り返ってまた呼んだ。
「テウさん」
「はい」
「私、天才かもしれません」
「天才?」
その枝に積もった雪、埋め込まれた小石。
よく見るとそれは、何だかやけに可愛い白熊の形になっていた。
細い枝にこんもり積もった雪が丸い体。左右に垂れた枝が支える雪が小さな手足。
そして彼女が埋め込んだ黒い三角の小石が鼻、丸い2つの小石が両目。
「確かに。天才かもしれません」
よくこんなものが思いつくものだ。
俺の目には単に、枝に積もった雪の塊にしか見えない。
その褒め言葉に真実味を感じてくれたのか、クォン・ユジはあれこれ言わずにもう一度笑ってくれた。
*****
「見て見て、ヨンア!」
雪の庭から響く明るい声に、縁側で読んでいた急ぎの報せから眸を上げる。
風邪を得るかと気が気ではない。
しかし雪を跳ね回るあの方に付き合っては、返事が書けん。
「ほら、これ」
そう言われた途端に小さな嚏が聞こえる。
毛織布を引掴んで腰を上げ、沓脱石の上の沓を突掛け、細い指が差す処まで雪の中を駆けて行く。
「・・・これは」
毛織布にぐるぐると巻かれながら腕の中で此方を見上げ、あなたは満足気に眼を細めた。
冷たい雪遊びで赤く腫れた指で、まだ指し続ける枝を確かめる。
其処に乗る小さな雪の塊、埋め込まれた小石。
「シロクマよ。可愛いでしょ?ここが手足、それから目と鼻」
「イムジャ」
白い熊など聞いた事もない。赤毛か栗毛と相場が決まっている。
白では山の中で目立って仕方ない。虎に襲われるのが関の山だ。
「白い熊はおりません」
「ああ、そうよね。あのね、この熊は私の世界にいるの」
「白い熊が」
「うん。北極っていう、本当にすっっっごく寒いところにだけね。そこは一年中雪と氷の国だから、白は保護色なのよ」
「・・・成程」
理屈に適うと頷いた。夏山に白では目立って仕方がないが、周囲が氷雪ならば話が違う。
この世の熊は冬は穴籠りをするが、先の世のその熊は違うのだろう。
「ヨンアに見せたいものがたくさんあるわ。食べて欲しいものも、行きたいところも、教えたいことも。
ヨンアはとっても賢いし頭も良いから、きっといろんな事に興味を持ってくれる。今は私が下手な説明をするしかないから」
それでもこの方が木の枝に積もる雪に小石で拵えた目鼻を付けた姿を見れば、大方の想像は出来る。
やけに可愛らしい姿は俺の知る獰猛な獣とは全く違うが、先の世にはこうした熊もいるのだろう。
「上手です」
そう褒めるとあなたは嬉し気に微笑み、包む毛織布ごと俺の腕に擦り寄った。
「次に作る時はもっと上手に出来るわ。ヨンアがビックリするくらいにね。そうしたら、うんと褒めてくれる?」
「はい」
腕の中の温かい小さな塊を、再び降り出した白い雪から守るようそっと揺らして催促する。
「中へ」
「せっかく作ったのに」
拗ねた声で返されても、風邪を得させる訳にはいかん。
そして今は取り急ぎ、せねばならぬ事がある。
「文の返答を書かねば」
「はーい」
雪の中を縁側に戻りつつ、鳶色の瞳が枝の白い熊を名残惜しげに見詰め、紅い唇が俺に尋ねる。
「明日は一緒にスノーマン作ろっか?」
「すの・・・」
「うーん、それともスノーエンジェル?」
天界ではいろいろな雪遊びがあるらしい。それは判ったが。
「俺は」
「うん」
小さな塊を抱く腕にほんの少し力を籠めて、正直に伝える。
「共に歩ければ、それだけで」
あの約束の木の下で、幾度も一人で雪を見た。
その初雪の日に、並んで歩ければ。
あなたがそれを心の支えに、天門の向こうから遥かな道を戻って来てくれたよう、共に並んだ足跡が見られれば。
そして風邪を得ぬように、腕の中で温められればそれだけで。
もう二度と一人きり見せる事はないと、約束出来ればそれで良い。
いつも並んで歩こう。雪の日も、雨の日も晴の日も。
幾度季節が巡り来ようとも。どれ程刻が経とうとも。
いつでも並んで歩こう。幾度でも必ずあなたを捜しに行く。
出逢えたら二度と離さない。絶対に一人にはしないと誓う。
俺の正直な告白に、あなたは判っているというように頷いた。

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