2016 再開祭 | 婆娑羅・28

 

 

「・・・大護軍」
扉外から掛かる聞き慣れた声に眸を開ける。同時に指先を握ったこの方の指が離れた。
「入れ」

短く応じると、チュンソクが扉を開けて滑り込んで来た。
「刻が掛かり過ぎかと。偵察を出しますか」
「待つも戦法だ」
「確かにそうなのですが・・・」
「焦れば負ける」

二人きりで奇皇后に直々に声掛けされる、手練れの刺客。
内功遣いならば刺客とはいえ、手裏房に情報が入って来るだろう。
そんな噂もなく、飛書にもなかった。

多勢に無勢。兵法からすれば圧倒的に不利だ。
兵舎の地形。一方は切り立った崖。もう一方は天門への行止まり。
その二方を塞がれた状況で上がって来るとすればあの丘からの急坂か、若しくは緩やかな回り道。
双方兵は配置してある。闇と雪に紛れて忍び込んでも、兵舎の中にまた兵が居る。
無勢故急襲で一気に片を付けるかと思ったが、此処まで待たせるならその手は遣えぬと判っておろう。

刻を与える程、此方は充分に準備を整える事が出来る。
多勢に無勢で勝利する、その手始めは開戦の間合い。
決して敵の間合いでは始めぬ。敵が痺れを切らし己の射程に飛び込んで来るのを待つ。

急襲で来なければ如何する。奇襲。陽動、誘引。
此方が焦れていればいる程、容易に掛かり易い。
「チュンソク」
「は」
虫の報せか、警戒に備え開いていた内気の所為か。
息を詰め鬼剣を握り直し庭を眇め見た眸に、チュンソクが続いて鎧の肩越しに振り向く。

その瞬間、昏い兵舎の庭に上がった緋色の火柱の勢いに兵舎が揺れた。
同時に庭の木々の枝から、まだ氷柱にならぬ積雪が烈しい音で落ちる。

横のこの方が息を呑み、カイが椅子を蹴立てて立ち上がる。
チュンソクが懐から取り出した警笛を吹き、急いで廊下へ駆け戻る。
「各兵、持ち場を動くな!!」

チュンソクの叫び声で廊下を守る兵はどうにかその場に踏み止まった。
兵舎中が俄に騒然とした気配に包まれる。

俺は廊下の扉から一歩だけ出で、その奥を守る兵長へ檄を飛ばす。
「火番の兵のみ庭の様子を確かめに行かせろ」
「はい、大護軍!!」

兵長は懐から同じように警笛を取り出し、廊下に向けて鋭く吹いた。
その音に廊下を慌ただしく駆ける兵の足音、怪我人はと怒鳴りあう声。
火を確かめろ、消せという怒号に紛れ、一人の兵が駆けて来ると入口のチュンソクに声を掛ける。
「延焼が心配です。一旦部屋から移動を!」

冬場の湿りを失くした空気の中、先刻庭で上がった火柱が未だ緋色に空を焦がしている。
目を射る鮮やかな火柱の所為で、廊下も部屋内も黒く沈んで見える。
隣に立つ朋の顔すら碌に見分けがつかない。
これ程長く燃え続けるなら、火種は油か火薬か。そしてその煙と共に廊下から部屋まで漂う臭い。

確かにこれ程乾いた粉雪が続いた処の出火。兵舎の延焼は不安だろう。
チュンソクも判断に悩むように部屋内を振り返る。
入口扉の二人の男が火柱の緋色の中、影絵のように切り取られている。

しかし俺は信じている。共に居る奴の誰一人疑う事は無い。
俺は先刻、国境隊長らに伝えた。各兵は守りの場所から動くな。
そして奴らは全員頷いた。
土壇場になろうと、万一足許に火が点こうと、俺が動くなと言えばその声を無視して駆け付ける兵がいる訳が無い。

警笛を吹き避難を報せるでも、庭の様子を見るでもなく駆け付けた男。
ならば持ち場を離れたこの男は、その伝令を知らぬ者。
「・・・チュンソク!」

鬼剣を鞘から抜きざまに呼ぶと、察した男の影が一つ素早く屈み込む。
同時に俺は迷いなく握る鬼剣で思い切り立っている影を前から突いた。
その鎧の男の顎を狙って強く突いた鞘先が、鈍い音と共に顎先へ入る。

受身も防御も取る隙を与えず顎を砕かれ、国境隊の鎧の男はその場へ勢い良く倒れ込んだ。
「大護軍!」
屈みこんだ己の足音へ倒れた男を確かめたチュンソクが唸る。
「陽動だ」

顎が砕けたか、男は血泡を吹いて昏倒している。
そうだ。これが陽動だとすればもう一人は思わぬ処から来る筈だ。
刺客の顎を砕いた鬼剣を握り直した時。
背後の窓が破られ、その木枠ごと外れるけたたましい音が響く。

あの方とカイを向かい合わせて座らせた、部屋奥のあの卓のすぐ真横。
「イムジャ!カイ!」

その声にあの方は急いで床へ屈む。
そして向こう見ずなカイは棒立ちから咄嗟に体が動いたのだろう。
破られた窓から侵入した影に足払いを掛ける。

影は予想外の攻撃に、崩れた態勢を立て直そうと踏み止まる。
その足許を掬うと、カイは男の側頭部を狙い蹴りを繰り出す。
影はカイの蹴りを瞬時に上げた腕貫で受け、片足を上げた姿勢のカイを斬りつけた。

暗い部屋、未だ庭で燃え残る焔に浮かぶカイの影が床へ跪く。
「カイ!」
「カイくん!」

今一度態勢を整えカイに狙いを定めた男の剣腕を、真直ぐ投げた鬼剣が寸分違わず貫いた。
刺客は握った剣を取り落とし、無傷の逆腕に握り込もうと腕を伸ばす。
その剣を伸ばした爪先で蹴り飛ばし、そのまま剣腕から抜いた鬼剣を構え直して咽喉元へ当てる。

そのままの態勢であの方の無事を確かめるように床へ眸を走らせる。
其処に小さくなっていたあの方は安心しろと言うように頷き返し、急いでカイへと寄った。
止めていた息を肚底から深く吐き、剣を突き付けた目前の刺客に対峙する。
「動くな」

これでは動くに動けぬだろう。咽喉に当たる鬼剣に顎を上げ、刺客は目玉だけで俺を見た。
「黒幇、雇い主は完者忽都 奇皇后。そうだな」

火番の兵が火消しを終えたか、兵舎にようやく静けさが戻る。
部屋内に揺れている蝋燭の灯は、まだ慣れぬ眸には頼りない。
それでも鬼剣を咽喉に寄せられた刺客の額に浮かぶ脂汗は見て取れる。

既に顎を砕かれ昏倒する男を置き、チュンソクが俺の対峙する男の口に素早く厳重に轡を咬ませる。
刺客には自害されるのが最も厄介と、こいつもよく判っている。
これ程分厚く轡を咬まされれば毒を噛むような真似も出来んだろう。

「続きは親鞠の場で確かめてやる」
轡を咬んだのを確かめ、男の咽喉元の鬼剣を退くと音を立てて鞘へと戻す。
同時にチュンソクは男の両腕を後ろ手に纏め、確りと縛り上げる。
「大護軍、国境隊長らに」
「ああ」

チュンソクが再び警笛を取り出すと、静けさの戻りかけた兵舎に響くよう廊下へ出で、高く吹き鳴らす。

 

 

 

 

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