2016 再開祭 | 桃李成蹊・24

 

 

「・・・ヨーロッパ?」
「はい」

もう夏は終わりかけ。朝や夜には涼しい風が吹いてるはず。
外に全然出ないから、あんまり実感はないけど。

でも広いリビングに差し込む日差しにも真夏の強さがない。
真っ白かった夏の光が、いつの間にか少しだけ柔らかい色。

そんなリビングで社長さんとテーブルを挟んで座って、渡された新しいスケジュール表を目で追いかける。

長い。最初にびっくりしたのはそこ。それも1か国じゃない。
帰国の経由国もはさんで、1か月近くのヨーロッパ周遊・・・
じゃないわ。全部の国でそれぞれロケがあるんだから、それは遊びじゃなくって立派なビジネス。

今のドラマって、こんなに海外ロケが多いの?
それともそれだけ期待度が高いドラマってこと?

あなたは慣れたのか、それとも腹を決めたのか。
ミンホさんと目を見交わした後に黙ったまんまで息を吐く。
「知ってたの?ヨンア」
「は」
「今回の海外ロケのこと、もう知ってたの?」

ここのところジムのあと格闘技のトレーニング、台本の読み合わせ、国内分の最初の撮影。
帰って来ればミンホさんの部屋に直行して、2人であれこれやってたのは知ってる。
そのおかげかミンホさんも体が締まって、こうやって並んでるのを見る限り最初よりずっとシンクロ率が高い。
今後の入れ替わりを思えば、最高だとは思うけど・・・
「何の事か」
「本当に?」
「はい」

平然としたポーカーフェイス。
自分の感情を抑えるのに慣れた人だけど、ミンホさんと入れ替わって以来その技に磨きがかかった気がして仕方ない。
あなたをじっと見つめる私に困った顔で、社長さんがもう一度話を始める。
「今回はアクションシーンが多いので。ただこのロケから帰る頃は、ミンホのギプスは外れているはずです」
「そうなんですね」
「その後の事もこちらで考えています。安心して下さい」
「それは良いんですけど、むしろ会社の方々や撮影関係者から何か言われたりは・・・」
「それは全くないです、ヨンさんのおかげで。あ、ただ・・・」
「え?!」

社長さんの声にぎょっとして、緊張で乾いたノドを潤そうとして持ち上げたボトルの水が口元で止まる。
「癖があるんです、ミンホに。ヨンさんはそれだけは、どうしても苦手みたいで」
「く、せ?」
「ちょっとした時に唇を尖らせるんですけど・・・最近見ないねって」

社長さんの声に、ミンホさんがあなたに向けて本当に唇を尖らせた。
それを見たあなたがうんざりした顔で首を横に振る。
そんな風に顔を見合わせるあなたにも、そしてミンホさんにも。
最初の頃の、ストレスでくすんだような肌色や浮腫みがない。
それにひと安心する。
そしてこの人とのトレーニングも、お互いのストレス解消に役立っているだろうってことも。

あなたの脈診をする限り弦脈や緊脈もない。心配なのはトレーニングしすぎで、数脈気味なことくらい。
これで弦脈もあればストレスを疑うけど・・・

確かめて発熱がない以上、まずは緊張を解くために水を飲んでもらう。
そうして一緒にベッドにゴロゴロしてるついでにさりげなく触れると、いつもの脈に戻ってるんだから不思議よね。

まあ欲を言えばミンホさんの脈も読みたいけど、普段の脈を読んでいない私には何も言えないし。
しっかり現代医学の最先端を行く主治医の先生がいるから、きっと私の脈診よりも確実だろうし。

「移動する国が多いので、空港で多少なりとも写真を撮られるかもしれません。大丈夫ですか?」
社長さんがそう言って、心配そうに私たちを見つめる。

2人が元気で、無事にこの役を乗り切ってくれればそれで良い。
そしてその最終ステップが今回のロケなら。
あなたがミンホさんとうまく意思疎通が出来てるなら、私が口を挟むことじゃない。
そう考えて、私は黙って頷いた。

 

*****

 

あの鉄の鳥に再び乗る。聞いた時にもこれで最後ならと、辛抱して頷いたものを。
此度は調子が違うと知ったのは、乗り込む前の部屋の中。
ちーふまねーじゃーの男に囁かれた時だった。
「今回のフライト、14時間くらいです」

それが何を意味するかは判らん。
ただ俺の向かいのあなたの変わった顔色から、良くない報せという事だけしか。

何ですか。
声に出さずに眸で尋ねれば、あの方は作り笑顔を浮かべて言った。
「・・・睡眠導入剤、飲んでおこうか。あなたならすぐ効くと思うし」

そして乗り込むが早いか、あの方は縛りつけるように椅子の硬い腰紐でこの腰を締める。
次に手にした包みの中から透明の柔らかな瓶に入った水と、小さな青い粒を手渡した。
「寝太郎だから、大丈夫だとは思うけど」

小声で呟きながら俺の眸を見て頷き
「飲んで。ひとまず様子を見るわ。気分が悪くなったらすぐ言って」

言われるがまま渡された瓶から水を煽り、続けて青い粒を掌から口の中へ放り込む。
「はい、水ごとごっくんして」

言われたとおりに飲み下せば、次にこの方は俺の首の下に奇妙に縊れた首当てを通し
「なるべく横向いてね。万が一って事があるから」
そう言って首当てを調節し、この顔が仰向かぬよう気を遣う。
「今はリクライニング出来ないけど、水平飛行に入ったら調節する。少し目をつむって?」

そして瞑った。そこまでは確かに憶えている。

「・・・起きて・・・」

聞き慣れた愛おしい声に、耳が先に起きる。
何故名を呼ばぬのか。何故あの声でヨンアと呼んでくれぬのか。

薄ぼんやりとした頭で繰り返す。何故だ。

「起きて・・・起きられる?」

肩にかかる温かな手が俺を優しく揺らす。
何故だ。腕の中にいるなら揺らすのは肩ではなくこの胸の筈だ。

いつもと違う目覚めに跳ね起きようとすれば、硬い腰紐が軋む。
「良かった。おはよう」

微笑む瞳を斜めから見上げ、幾度か瞬きをする。
「イム・・・」
「し!」

呼ぼうと掠れ声を上げた刹那、紅い唇の前に細い指が一本立つ。
周囲を素早く見渡した後、誰も見ておらぬ事に安堵の息を吐き
「もう着くわ」

もう着く。着くとは。
次の瞬間、耳奥の痛くなるような低い唸りに思い出す。
そうだ、今はまだあの鉄の鳥の中。

狐に抓まれたような心持で、倒れていた椅子を起こすと息を吐く。

 

 

 

 

1 個のコメント

  • SECRET: 0
    PASS:
    すっかり 意気投合?
    海外ロケもなんのその…じゃないわね
    一大決心で 飛行機に乗らなくちゃ。
    でも わかる わかるわ~
    私も 飛行機大嫌いだもん
    海外なんて とんでもない 14時間??
    むり むり~
    私も睡眠導入剤いるわ~
    がんばれ~ ヨン! 

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です