2016再開祭 | 秋茜・壱

 

 

「あんたがそんな冗談言うなんて思わなかった、ソンジン」
何がそんなに可笑しいか。
横の女は目尻に滲んだ涙を指先で拭うと、この顔を覗き込んで笑い続ける。

「咥えたのは本当だ」
「わざわざ掴まえて?」
「ああ」
「それで尻尾を咥えてみたの?」
「ああ」
「馬鹿みたい」

本当にそうだ。この女にわざわざ言われずとも判っている。
そしてもっと馬鹿なのはこんな恥晒しな話を、暇潰しとは云えこの女に打ち明ける己自身。
その刹那に気配を感じ、横の女から距離を取り石段から腰を上げる。
「首医女様」

まだ倒れ込むように盛大に笑う女に向け、殿の影から駆けて来た別の医女服の女が声を掛ける。
「こちらにおいででしたか」
「・・・なに」

同僚が駆け寄ってきた途端、拭ったようにその顔の笑みが消える。
女は石段から立ち上がり、硬い声で応えた。
この女はいつもそうだ。あの頃、屋敷の下働きの女にもそうだった。
女に対してとても冷たい。そして男に対してはもっと手厳しい。
つまり俺以外の人間に対して、余りに取りつく島のない態度を取る。

これでよく内医院で首医女が務まるものだ。
周囲の人間に慕われなければ、すぐにも摩擦が起きそうなあの場所で。
呆れた顔でその遣り取りを眺める。一体何を考えているのか。
俺に見せる笑顔の半分でも見せてやれば、少しは楽になるだろうに。

そんな視線を充分知っているだろうに、女の態度は変わらない。
木で鼻を括るようなその態度に、駆けて来た同僚の医女が口籠る。
そして助けを求めるように、女ではなく俺の方を見て言った。
「王様が御呼びです。禁衛把摠と共にご拝謁に伺うようにと、チョ医官様からご通達が」
「判った」

医女が俺の方を見て言ったのも、気に喰わぬらしい。
女はそれだけ吐き捨てて、駆けて来た同僚を置き去りに歩き出す。
「行きましょ、ソンジン」

呼び出し。この女一人だけだけならまだしも、何故俺まで巻き添えを喰うのか。
全く得心がいかず、かと言って黙殺する事も出来ず。
この朝鮮という国で、王とはまるで天の如き力を持っている。
その声を無視などしたら、俺は良くとも周囲の全員に累が及ぶ。
まして俺達を宮廷に引き入れたパク・ウォンジョンが、黙ってはいないだろう。

一度は王様と呼んだ方を今再び王と言いたくなる俺の気持ちなど、誰にも伝わる訳がない。
だから厭なんだ。王の前に出たくない。
ましてこの女と並んで御前へ出るなど真平だ。

晋城大君媽媽と過ごした月日。守れと言われた初めての王命。
信じると言われた一言。その全てを今もはっきりと憶えている。

そして今、俺は決して怒りを抱いてはならん方に怒っている。

「ソンジン」
「何だ」
「王様の御呼び出しなんて、何だと思う?」
「知るか」

不機嫌に吐き捨てた俺に、女が黒い目を細める。
この女に王からの呼び出しが掛かるのはいつもの事だ。
王にしてみれば、身を挺し自身を庇った女。多少の恩恵は与えて当然だろう。

あの奉恩寺の一件。パク・ウォンジュンが反正で元王の転覆を計り、それを成したあの夜。
眸の前で風と光と共に開いた、お前が消えた門に背を向けて以来。

ウンス。俺は正しかったのか。
答が判らずに、空を見上げる。

生きるべき場所は此処だと思った。その判断は正しかったのか。
心はまるで由佐波利のようだ。
押されて一旦前へと出ても、その勢いでもっと大きく後へ戻る。

正しかった。逢いたい。正しかった。逢いたい。

その二つの思いの間でいつも大きく揺れている。

ウンス。俺はおかしいのか。
待ち侘びた時が長過ぎたか。

お前の影が重なる事がある。何一つ似ていない横のこの女に。
違うんだ、姿形ではない。
そんなものでなく外から見えないその奥の何かが、ふとした拍子に重なって困る。

行ってらっしゃいと、手を振る笑顔。
男も女もないと、言い切ったその声。
この女はお前のように寡黙ではない。口を開けば生意気ばかりだ。
お前とは比べ物にもならない。俺が待ち続けるのはお前の筈なのに。

それが腹が立つ。定まらずにいつでも揺れている事が。

「ソンジン」
その心を知ってか知らずか、呼び出しに応じ先を急ぐ女が呼んだ。
「秋茜って、薬なのよ」

藪から棒に何だ。先刻の戯言への仕返しかと眸を眇める俺に
「これは本当。解熱や強壮に効くんだって。宮廷の内医院の首医女の私が言うんだから確かよ」
女は目前を飛ぶ、小さな赤い雲の塊のような秋茜の群れを指した。
「試しに掴まえて食べてみたら?」

笑えん。声を無視して足を速める。
女は置いて行かれぬようにと思ったか、慌ててその歩を速めた。

 

 

 

 

 

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