2016再開祭 | 加密列・玖(終)

 

 

「いきなり黴の生えた餅菓子をくれと頼まれて」
皇庭の庭先のカミツレを揺らす風。

メイユイさんは思い出したようにクスクス笑うと、洗濯物を踏む足を止めて私を見た。
「あの時からウンスさんは・・・いえ、医仙様は只者ではないと」
「ウンスで良いんだってば」
「しーっ!」
今回も人差し指を唇の前に立てて、慌てたみたいにメイユイさんが周囲を見渡す。

そろそろ桶の中の洗濯物を足で踏んで洗うのはつらい季節。
しばらくすると、水の中の爪先が冷えて痺れて来る。
メイユイさんは何でもない顔でずっとそうしてるけど・・・女性には冷えは大敵よ。

「御医様が頭を下げて下さいました。たかが雑司の私に。当時はウンスさんが誰かも知らなかった」
メイユイさんは懐かしそうにそう言うと私を見た。
「そうそう、ここまで追い掛けられちゃって。体中石鹸だらけで。
あの時メイユイさんが教えてくれたのよ。高麗での沐浴は、服を着たままでいいんだって」

隣どうしの区切りの中からそれぞれ洗濯桶の中に立ったまま、私達は笑いながら顔を見合わせる。
「ウンスさん」
「ん?」
「服を着ての沐浴の習慣は、高麗にあるのかどうか知りません」

申し訳なさそうに私を見て、メイユイさんが頭を下げた。
「えーっ?!」
だってあんなに自信満々に断言してたじゃない?!そう言おうとしたのに。
「あの時ウンスさんの白い衣が汚れていて。だらりと羽織った上衣がなんだか・・・胡服を着慣れていないのが判ってしまって」
そんな風にメイユイさんに先手を取られてしまう。

「私の顔を見たウンスさんが、泣き出しそうに見えて。初めて元から亦憐真班様のところに来た頃の自分を思い出しました」
「・・・そうだった?」
「なんだか迷子のようで、放っておけなかったんです」
「そうだったんだ」
「まさか天人様だったなんて、全く知らずに失礼を」
「そんなの構わないわ。本当に汚れてて、キレイにしたかったの。誰も私に話しかけてくれなかったし、答えてもくれなかった」
「騙すつもりはなかったんです」
「そんな事、全然思ってないわよ!助けてもらったんだもん」
「御医様の上衣の着方も、ご存じなかったですものね」
「そうそう。チャン先生が上衣を貸してくれたわねー」
「その後に亦憐真班様の御殿に、戻って来て下さいました」
「そうよ、それで青カビが手に入ったんだもの!」

その時手に入れた青カビで、本当にチャン先生はあの後ペニシリンを完成させてしまった。
あの時メイユイさんに会えなかったら、カビをもらえなかったら、今頃どうなってたか分からない。

「・・・医仙」

あの最初の出会いの日と同じ。
洗濯場に続く建物の陰から、静かな声がかかる。
私とメイユイさんはその声に同時に振り向いた。

その角からこっちに向かってゆったりと歩いて来る、背の高い影。
「あ、もうお昼?」

私はその影に大きく手を振り、メイユイさんは丁寧に頭を下げる。
「今ちょうど、チャン先生の話で盛り上がってたのよ」

私の声に低く笑うと、その影は私の横まで来て
「泡が」
上衣の懐から手拭いを出して言いながら、私の鼻の頭を優しく拭く。

そして桶の中の私に手を差し出すと、もう片方の手で洗濯場の横の水ガメから柄杓で水をすくった。
「足を」
言われて差し出された手に掴まって片足だけ桶からひょいと出すと、柄杓の水で石鹸の泡を流してくれる。
洗った素足でそのまま靴を片方だけ履く。
その間に汲んでいた新しい柄杓の水で、もう片方の足の泡も同じように流してくれる。

「喜んでいるでしょう、奴も」

私が両足に靴を履いてしっかり立ったのを確かめてから、支えてくれてた大きな手が離れる。
そんな私達2人を微笑んだまま見守ってくれていたメイユイさんが
「この度は、本当におめでとうございます」

そう言って、改めてこの人に頭を下げた。
「・・・ああ」
「でも、この人がこんな風にしてくれるのは、メイユイさんの前でだけなの」

メイユイさんがにっこり笑う。初めて会ったあの日みたいに。
「私の高麗の最初の友達って言ってるから、安心なのかもね」
「そうなんですか」
「本当の事だもの。初めて高麗で私の名前を呼んでくれた人よ。ね、ヨンア」

私が見上げると、その黒い瞳が頷き返す。
メイユイさんは顔を赤くしながら、恥ずかしそうな声で言った。
「嬉しいです」
「これからも頼む」
「もちろんです、大護軍様」
「あとで餅菓子持っていくわね。一緒に食べましょ?」
「はい、ウ・・・医仙様」
「やめてってば!!」

私の大声に、この人もメイユイさんも目を丸くする。
「友達でしょ?!ウンスで良いんだって」
「・・・はい、ウンスさん」
メイユイさんはあの日と変わらない顔で笑うと
「今日は華刺繍をお教えしましょうか。婚儀の小物にお好きなものを刺せるように。お時間はありますか」
「・・・やめてくれ」

私が何かを言う前に、この人が低い声で言って首を振る。
「指を突くのが関の山だ」
その声には全く同意見らしいメイユイさんが、無言で深く頷く。
「畏まりました」
「ちょーっと!2人とも失礼なんじゃない?今度は上手にできるかもしれないでしょ?」

その大声に2人は黙ったまんま、私から視線を逸らす。
ひどい。
やっぱり何だかんだ言っても、私の実力を一番信じてくれたのはチャン先生かもしれないわ。
会いたいな。またみんなで、もしできるなら。
ねえ先生、今ここにいたら何て言ってくれる?

私、結婚するの。
先生が命を懸けて守ってくれたおかげで、この人と一生一緒にいられるの。
祝ってくれる、大切な人がたくさんいるの。先生のおかげで出会えた大切な人たちが。

もう誰も怖い顔したりしてないわ。
あの時の無表情な若い御二人も、厳しい顔で床に膝をついていた尚宮さまも。
水を頼んだ私に顔をしかめた女の子も、鎧を着てるみんなも、そしてもちろんサイコも。

ねえ、先生も祝ってくれる?

返事は返って来ない。秋の風の中で、皇庭のカミツレが揺れるだけ。

ねえ先生、あの花はカミツレ、別名はカモミール。ハーブよね。
健胃・発汗・消炎作用、ワインと一緒に飲めば肝臓の痛みに頭痛、偏頭痛にも効き目がある。
乾燥させた花をお茶として煎じて飲めば、安眠・リラックス作用。
どうよ、かなり優秀ないい生徒でしょ?

御立派です。頑張りましたね、医仙。

先生の声が風の中で聞こえた気がして、胸の奥が少しだけ痛い。

誰も忘れないわ。もちろん私も。
先生は高麗で最初の、私の大切な、大好きな、頼りになる男友達。
そして命の重さと厳しさを教えてくれた、高麗で最初の私の師匠。

「会いたいなぁ」

愛する人はその声に、秋の雲が流れる高い青い空を見上げる。
そして最初の女友達は、吹く秋風に懐かしそうに目を細めた。

 

 

【 2016再開祭 | 加密列 ~ Fin ~ 】

 

 

 

 

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