2016再開祭 | 加密列・参

 

 

何処に行くつもりだ、あの天の女人は。

紅い髪は皇庭を縫う石畳の径の庭木の向う、見え隠れしながら確実に正殿へと向かっている。
向かう程にその径を行き交う禁軍や尚宮らの人影も増す。
足許すら覚束ぬ俺が不審の目を引かず何処まで追えるか。

その時。
天の助けのように近寄る気配と意識して抑えた足音に、呼ばれる一瞬前に振り返る。
そこに立つ侍医は振り向いた俺に目を向け、振り向く事すら予期していたかのように頭を下げた。
「・・・隊長」
「遅い」

ああ、と溜めていた息を吐く。これで今は解放される。
休みたい。何処でも良い、物陰に座って息を整えたい。
「何処が痛むのです」

お節介な侍医の声が突如厳しさを増す。
懲りもせずに手を伸ばし、どうにかこの脈を読もうとして来る。
お前が今気にするべきは、俺ではない。
奴の長い指先から半歩退いて身を躱す。
付き纏う程気掛かりなら、一歩たりとも無駄な動きをさせるな。

そろそろ限界だ。
あの天の女人を此処まで連れて来て、この先何が起きるかも予想の外だというのに。
揺れる声、切れる息が露呈せぬよう腹に力を入れる。
熱を持った傷口が鎧の下で、引き攣れるように痛む。
痛んでも蹲る事など出来ん。ましてこの男の目前で。

「隊長」
その声を、顰めた端正な形の眉を、不安げな目を正面から睨む。
煩い、黙れ、放って置け。
付き合いの長い男には口には出さんその声の全てが通じた筈だ。

それが証拠に指を引き、奴は黙って俺より余程大きな息を吐く。
「・・・あれこれ言いません。お願いですから一度だけ診察を」
「そのうち」

いつですか。奴がそう言いたいのはよく判る。
何しろ付き合いの長さでは迂達赤の奴らと同等だ。
此方の肚も読まれる代わり、奴の肚裡も手に取るように読める。

言ったろう。そのうちだ。もうしばらくは生きていなければならん。
眸を離した隙にまた少し離れた、あの紅い髪の天人を確かに天門から返すまでは。

これ以上話す事はない。
紅い髪の姿に眸を移し、上げた顎の先でその背を示す。
「掴まえろ」

俺の声に頷くと、侍医は小さく頭を下げその背に向けて駆け出した。

 

*****

 

隊長の体調の悪さは、これで完全に見て取れた。これ以上一刻の猶予もない。
引き摺ってでも典医寺へ連れて行くか、さもなくば迂達赤兵舎へ乗り込むか。
しかし何方も得策とは思えない。まず兵舎への乗り込みは無理だ。
これ程まで厳重に周囲に秘す以上、そんな事をしようものなら隊長が逃げるのは目に見えている。

普段の体調で逃げるならまだしも、今自分の手の届かぬ場所に姿を消されたら、その命に係る。
自分の身勝手で隊長の命を危険に晒す事だけは出来ない。

では典医寺へ引き摺って行くか。それも今はどうしても出来ない。
何しろまず引き摺って戻るべき天の医官が我々の目前を、花を探す蝶か蜂のようにふらふらと歩き廻っているのだから。

あの自由奔放な医官と、頑として診察を拒む隊長と、一遍に二人が相手では私にも荷が重い。
そして隊長がこう言う以上、ご本人の治療を優先すれば怒りに油を注ぐだけだ。
無駄な感情の発露も、怒鳴る事も全て傷に障る。
この手から逃れる為に一歩退くだけでも辛そうなのだ。

今手を伸ばし掴まえて、典医寺まで引き摺って行くべきは天の医官。
そう腹を据え、隊長の声に頷く。

従うのは今だけだ。あなたを見殺しにするくらいなら、私は二度と医官を名乗る資格などない。患者を診る資格もない。
頷くのは今だけだ。次こそどうあっても診せて頂く。しかしそれにはまず、隊長の目下の心配事を軽くせねばならない。

その心配の種、皇居の庭の径を私達から遠ざかっていく紅い髪の後姿を追いかけて走り出す。
ああ、隊長に伺うのを忘れていた。医官の部屋扉に錠を掛けて閉じ込めますが、構いませんか。
しかし答えは判っている。あの隊長なら、まして天の医官のこんな姿を見た以上は。
必ずあの低い声で、吐き捨てるようにこう怒鳴る筈だ。

訊く前にやれよ。

 

 


 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

1 個のコメント

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です