2016再開祭 | 加密列・捌

 

 

帰り道に先生に案内されて行った水刺房っていうのは、王様のご飯を作る大きな台所のような場所だった。
「ああ、スラッカン!知ってる。有名なドラマの舞台になったのよ、あれはチャ」
「医官殿」

先生は咳払いして、中から出て来た女の人に必要な物を伝えた。
「菜種油、米の研ぎ汁に芋の煮汁。後は、黴の生えた餅か果物がないだろうか」

あのドラマで見たような尚宮の衣装じゃない。
もっと丈の長いチョゴリを着て、三つ編みの長い髪をうなじあたりでシニョンみたいにしてるし、テンギを結んでるわけでもない。
そんな衣装で出て来た女の人は、申し訳なさそうに頭を下げて言う。
「御医様、申し訳ございません。他の物は全てご用意できますが黴というのは・・・。
王様の御膳をお預かりするため、食材でも調味料でも、黴が生えればすぐ処分してしまいますので」

そんなもっともな事を言われて、2人でしょんぼり帰って来た。
チョニシに帰って来ると、あのしかめ面の女の子が先生に向かって走り寄って来て手をひらひらと動かした後、私をすごい顔で睨んだ。
「何もない。心配するな、トギ」

先生は笑顔を浮かべて、女の子をなだめるみたいに優しい声で言う。
ああ、そういう顔で笑えるんじゃない。今までは感情が読み取りにくいポーカーフェイスだったけど。

韓方の先生の笑顔の威力はすごい。
トギって呼ばれたその女の子は、仕方なさそうに渋々頷いて、庭をどこかに向かって走って行った。
まあ最後にもう一度、私を睨みつけるのは忘れてなかったけど。

先生は苦笑して、私を連れて建物の中に戻る。
通されたのはさっきまでとは違う部屋。その壁一面を本棚や薬棚がびっしり埋め尽くしてる。
匂いがすごい。まさに漢方薬局独特の、ハーブみたいな濃い強い匂い。

さっき逃げ出した部屋より窓が大きい分、室内が明るい気がする。
そして韓方の先生の、物思いにふける顔までよく見える。
「仕方ないわ。カビはすぐ周囲に広がるし。衛生的にも発見すれば、即処分するのは当然よ」

励ますように言ってみると、先生は顔を上げた。
「では生やします」
「カビを?」
「湿気。温度。床。これらが揃えば生えるでしょう」
「まあ・・・そりゃそうだけど。カビ菌がないと時間がかかるわよ?」
「何もせぬより良いでしょう」

気分を変えるみたいに立ち上がると、先生は薬棚の上の大きな陶製のツボを下ろす。
「医官殿の御所望の蜜蝋です。みんとおいると言うのは」
「えーっとね、ハッカ。ハッカを油に漬けて作るんだけど」
「ああ・・・」

それだけですぐ頷くと、先生は次に薬棚の扉を開けて小さめのビンを取り出した。
そのビンを見て思わずビックリよ。
ううん、考えてみればここが本当に高麗なら、まあ当然だろうけど。
「先生!」
「はい」
「これ、高麗青磁よね?でしょ?」
「確かにおっしゃる通り、青磁ですが・・・」

握ったビンをテーブルに置く前に勢い込んで叫ぶ私に、韓方の先生が目を丸くする。
だけど高麗青磁よ。それも割れても欠けてもいない、とてもキレイなエメラルド色のビン。
「欲しいなーぁ」

思わず本音が口から洩れる。
こんな状態のいいビンだもの。アンティークショップに持ってったら、きっと結構な値段よね?
ううん。本当にここが高麗で本当に王宮なんだったら、もしかしたら21世紀では歴史的発見になるのかも!

「ねえ先生?このビン、私にくれない?」
「薄荷油ではなく、瓶ですか」
「ああ・・・えーっとね。中身も欲しいし、ビンも欲しいの」
「新しい油をお作りしましょうか」
「いい!そんな手間かけなくていいから、このままちょうだい」
「判りました。勿論どうぞ」

先生は不思議そうな顔で小ぶりな青磁のビンごと、腰かける私の目の前のテーブルにコトンと置いた。
「さて、医官殿。蜜蝋も薄荷油もありますが」

そう言うと長い腕の袖をまくりながら、韓方の先生が首を傾げる。
「これから何を」
「ああ、簡単よ。小さなナベと、火を貸してくれる?バームを作りたいの。あっという間に出来ちゃうから。
先生の方が力があるから、ミツロウを適当に割ってくれない?」

手作りコスメとすら言えないわ。ただ溶かして、混ぜて冷やすだけ。
「よし!」
私は勢いよくイスから立ち上がる。
これが夢じゃないなら、21世紀のコスメ大国の技術を見せてあげなきゃね。まあ混ぜるだけだけど。

 

*****

 

「こんにちは・・・」
さすがに度胸がないわ。呼び声が控えめになるのも仕方ない。
メイユイさんが仕えてるのはとってもえらい人だって、訪問前に韓方の先生に先にクギを刺された。
情報をくれた先生も、私が失礼な事をしないようにって監視のつもりか、私の横に黙って立ってる。

三代前の王様の奥さんの1人って言われても、そもそもここが高麗だって確信はないし、今の王様が誰なのかも知らないのに。
それでも元王様の奥さんなら、相当な権力者ってことよね?
少し緊張しながら立派な御殿の前で声を掛けると、すぐに中から小さなバッグ型の竹カゴをぶら下げたメイユイさんが出て来た。

「ウンスさん、御医様」
「さっきはありがとう、メイユイさん」
私が笑って手を振ると、メイユイさんが深々と頭を下げる。
「本当に来て下さるなんて」

頭を下げるメイユイさんに笑い返すと、私はさっき作ったばかりのバームを入れた小さな容器を、こっそりその手に渡した。
でもそれだって青磁のフタつきの器よ。私が欲しいくらいだわ。
「さっき洗濯までさせちゃったから、お礼に」
「そんな」
「バームよ。ミント入りだし100%オーガニックだから」
さっき握った手が、そして唇がカサカサなのが気になった。
これくらいしかお礼出来ないもの。どうせヒマを持て余してるし。

部屋の中で爆発しそうな頭を抱えてたらストレスが溜まる一方だし、呼んでも誰も来てくれないなら生産的な事をしたほうがマシ。
きょとんとしてるメイユイさんに、先生が困った顔で助け舟を出す。
「医官殿の言葉は、余り気にせぬよう」
「は、はあ・・・」

ミントバームは出来たけど、肝心の青カビがないんじゃペニシリンは作れない。
さすがの先生もちょっとイライラした顔で私に付き添って、メイユイさんのところまで一緒に来てくれたけど。

でも落ち込んでたって仕方がない。私はバームの使い方を教えようとメイユイさんの手を取る。
その拍子に提げてたメイユイさんのバッグが揺れて、カゴから中身がポロリと地面に落ちた。
「あ、ごめんなさい!」

落ちた青い物体を拾おうと手を伸ばしかけると、逆にメイユイさんが慌てるみたいに止めた。
「いえ、捨てるように公主様より仰せつかったものです。手が汚れてしまいますから」
「・・・これ、捨てる、の?」
「はい。公主様がお好きなので用意したのですが、量が多くて傷んでしまって」

青の・・・ううん、元は白かったのかもしれない。
元々はきっと柔らかかっただろう表面には、今は無数の細かいヒビが入ってる。
白かっただろう、今は青の濃淡まだらにカビがびっしり生えたお餅のお菓子らしきもの。
「・・・これ」

私は地面に落ちたそれを拾うと、韓方の先生に見せる。
先生は心から嬉しそうに笑って頷くと、懐から出した布でていねいにそのお菓子を包んだ。
「あ。御医様も、汚れますから!」
「メイユイ殿」

先生は初めてまっすぐメイユイさんに向き合うと、深々と頭を下げる。
「捨てるのであれば頂けませんか。必要ならば、私から徳寧公主様にお願い致します」
顔の前で両手を合わせて拝む私と、長い髪を垂らしたまま目の前で頭を下げ続ける先生。
メイユイさんはどうしていいのか分からないって顔で、目を白黒させた。

 

 

 

 

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