2016 再開祭 | 桃李成蹊・10

 

 

「ものすごく・・・」

小食なこの方など却って気味悪い。
卓に並ぶ皿に碌々箸をつける事もなく、この方は気まずそうに呟くと、手にした二本の銀色のそれを卓へ戻す。
「申し訳ない気がしちゃって・・・」
「ああ、気にしないで下さい。食べないんです、撮影前は特に。絞らないといけないし、何しろ」

卓向かいの男は自嘲するよう左腕を眼で指してみせる。
「全治6週間、完治までは半年です。トレーニングしても、どこまで間に合うか」
「何したんですか?」

徐に席を立つと、この方は男の白い包帯を確かめるように見た。
「・・・骨折です」
「ふうん?」

この方の名は伝えたが、医官だとまでは伝えていない。
いきなり立ちあがり腕を眺め始めたこの方の視線に、警戒するのも無理はない。
諌めるように
「イムジャ」
掛けた俺の呼び声にも振り返るでもなく
「うん。骨折でしょうね。それはすぐ判りました。名医でしょ?まあ腕にギプスして、足の骨折だったらもちろん驚くけど。
尺骨?橈骨?まさか両方?」

目を丸くする者たちの注視の中、この方だけがにこにことミンホという男の目を見つめた。
奴はいきなりの声に僅かに声を詰まらせ、しかし覚悟を決めたか。
「と・・・う骨と言われました」
この方の顔をまっすぐに見て、ようやくそう答えた。

「んー、痛かったでしょう?開放骨折ですか?皮膚までパックリ?」
「いえ。ぶつけどころが悪くて折れたんですが、切り傷はないです。ただ内出血がひどかったので、かなり腫れて」
「ああ、俳優さんの大切な体に傷が増えなくて良かったですね・・・モンテジア骨折とかはないですか?肘関節は大丈夫だった?
今はギプスで曲がらないだろうけど、脱臼に気付くのが遅いと、肘関節に後遺症が残ります。
指や手の甲は?痺れたり痛かったりしません?神経系の後遺症の方が大変な時がありますよ」
「いえ、それはなかったです。今もそういう事は感じないかな」
「良かった。リハビリが大切ですよ。まだ若いから問題は少ないと思うけど、ギプスが取れ次第無理しない程度に。
6週間でもギプスを外すと、思わず笑っちゃうくらい細くなってますからね。
あ、もちろん専門のトレーナーはついていると思うけど、頑張って!」

その声に頷くと、男は俺と同じ形の目でこの方を捉えた。
「ユ・ウンスさんは、もしかしてドクターなんですか?」
「ああ、そうなんです。そこまでは知らなかったでしょ?もともとの専攻は心臓外科でした。
最後は江南の整形外科にいましたけど」
「・・・じゃあ、もしかして」

ミンホは言いにくそうに俺を見ると
「・・・いや。違いますね」
意味の判らぬ事を呟き、もう一度この方へ目を戻す。
視線の動きで判ったように、この方は自信に満ちた表情で首を振る。

「違います。あの人は100%天然。私が初めて逢った時は、もうあの顔でした。
ミンホさんの顔にって望む患者さんは多いと思いますが、実際骨格や顔筋の位置を計算すると、全く同じ顔というのは医学的に不可能です。
たとえ一時的に無理な手術でどうにかしても、絶対後遺症が残ります。輪郭形成、生え際、額、頬、鼻も一か所じゃない。
眉間、鼻筋、鼻翼、鼻尖修正、鼻中隔延長。上下唇、顎プロテーゼ。ゾッとするでしょ?まして顔筋置換なんて、顔面神経が麻痺します」
「よく判ります。実は俺・・・僕も、どこの病院だって聞かれるんです。けど、してないものは言いようもなくて。
むしろ本当に手術してれば言えるのに。してないのを証明する方が難しいなんて、おかしいですよね?」

男の答にこの方は楽しそうに声をひそめて笑う。
「確かにそうですね、その顔だと言われちゃうでしょう。国民性だし、人気のバロメータだと思って!
実際に来院患者さんのニーズや希望は、その時々の人気に正比例してますからね」
ミンホはそれを聞き、我慢出来ぬように噴き出した。
「はい。そう思うようにします」

喰い物無しでは機嫌の悪い方が、飯に箸をつけぬのが腹立たしい。
己の意味の判らぬ会話で二人が愉し気に笑い合うのも気に喰わん。

腕組みをして黙り込み、ただその遣り取りを聴く俺を振り返ると
「ねえねえ、ヨンア」
この方はこの肚裡など知らぬ気に、暢気な声で呼び掛ける。

「・・・何ですか」
「1つだけお願いがあるの」
「はい」
「1回でいいの。2人で並んでみてくれない?」
「・・・は?」

この方の突拍子も無い提案に眸を剥くと、部屋中の者たちが頷きつつ
「俺も見たいな」
「確かにここまで似てるなんて」
「いいですか、ミノさん、社長」
好き勝手にそんな声を上げる。

「俺は別に、全然。いいですか、ヨンさん」
ミンホは椅子を立ち、卓を半周して俺の横へ立つ。
此処で断る理由も無いと、己も椅子を蹴りその横へ立つ。

妻であるはずの方がはしゃいだ笑い声を上げつつ卓を廻り込むと、他の者らと並び見開いたその瞳で俺達をじっと見る。

「ヨンア、横むいて?」
その声に横を向けばミンホは逆に体を回し、互いが背向かいになる。

「後ろむいて?」
踵を返しあの方へ背を向ければ、同じく背を向けたミンホと眸が合う。

「奥さん、楽しい方ですね。キレイなうえに明るくて可愛い」
笑った瞳で楽し気に囁く声に、頷くべきか首を振るべきか。
それとも同じ顔でふざけるなとその顔に一発見舞うべきか。

それを決める前に再び明るい声が呼ぶ。
「振り向いて?」

肩越しに振り向けば奴も同じように肩越しにその首を回す。
「・・・うーん。まさにリアルマダムタッソーだわ」
あの方の訳の判らぬ呟きに、部屋の者たちが声を上げて笑う。
誰より大声で笑いながらミンホが俺の眸を見つめ
「ちょっといいですか、ヨンさん」

そう言って棒立ちになる俺の肩を抱いたと思えば、次に軽く凭れ、そしてこの腕にその腕を通して組み。

ああ、この男にもでるは天職なのだと思う。
笑うのも動くのも流れるように、そして図ったように正しく。
視線、腕の振り、足の一歩も流す処は流し止める処は止めて、まるで剣舞の上手の模範を見るようだ。

一連の動きを終えると横の俺を頭から足先までゆっくり眺め
「僕の人形が3年前に上海のマダムタッソー美術館に飾られたけど、正直こんなに似てません。
型取りなんか物凄い時間かかったのに。ずーっと口開けっ放しで何時間も。顎が外れるところでした」

ミンホはそう言って愉しそうに笑った。
「武の心得があるか」
「いえ、本格的にじっくりやった事はないな。乗馬、剣、アクション全般は、撮影前に先生に付くんですけど」
「・・・剣をやるのか」

剣を握った上で斬りあうのは、町のごろつきの喧嘩では無い。
これ以上、あの方を無闇に褒めるなら。
眸を光らせた俺の声に、この方が慌てて両手と首を振る。

「よ、ヨンア?ほら、ミノさんは俳優さんだから。お芝居に必要でそういうのをやるのよ」
「ヨンさんは武術が得意なんですか?何するんですか?」
「剣、弓、槍、手縛、何も無ければ拳も振るう」
「えーーーっとね、ヨンア?」
「すごいな。じゃあ乗馬とかは?」
「馬に乗れねばいく」

戦にも出られぬ。そう言おうとした処で
「ヨンア、お腹空いたね!!やっぱりご飯食べようかな!!」
この方が甲高く叫び俺の許へ駆けて来る。そしてミンホに頭を下げ、
「無理なお願いしてすみません。一生の思い出になっちゃった」

そう笑うとこの指先を細い指で握り締め、そのまま横の椅子へ導く。
導かれるまま脇の椅子へ腰を下ろしつつ、眸は向いの顔の一つへ置いておく。

先程からだ。この方に、共に並べと提案された時から。
ミンホが笑い、部屋中の皆が囃し立てる中。
一人顔を強張らせ、しかし冷徹な目で俺と並ぶミンホとを誰より具に観察していた女。

ミンホが卓を半周して戻り、己の椅子へと掛け直しながら
「とんでもないです。俺こそ楽しかった。写真撮れないのが残念で」
残念そうにそう言って、横の女に目を当てる。

「写真、やっぱり駄目だよね?社長」
女は答えず、ただ何かを考えるようにじっと俺を見つめている。
同じ顔、同じ形の目を二組その顔に集めて。
返答の無い女に痺れを切らしたよう、ミンホがもう一度呼び掛ける。
「・・・社長?」

肩に手を掛けられ揺すられた女が、意を決したように口を開いた。
「ミンホ、残って。後はみんな一回部屋を出てもらえますか」

その一言に皆が顔を見合わせ、何を言う事もなく一礼の後に次々と扉を抜けていく。
俺も立ち上がり、卓上の飯を未練の目で追い駆けるこの方の肘をそっと掴む。
立ち上がらせて、その後に続こうとした処で
「あ、ああ、ごめんなさい。ヨンさん、ウンスさん、御二人には残って頂きたいんです」

女の制止の声に、この方は瞳で俺に問う。
成程な。先刻女人が言った願いとやらの宣告らしい。
飯の後という約束は反故だろう。

もう中身が判ったような気がする。
ミンホの腕の白い布、並ぶ俺達を眺めた視線の意味、そしてその声。

「身代わりか」

立ち上がったままの俺の短い一言に、ミンホとこの方が声を失い俺を見た。

 

 

 

 

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