2016 再開祭 | 棣棠・柒

 

 

「トクマン、殿」

鍛錬が始まって、半刻は経ったろうか。
低かった太陽はようやく東空の真中あたりまで上っていた。
光の中、西京の兵が土の上に座り込み、息を切らして俺を見上げる。
「迂達赤では、いつも、こんなに・・・厳しい鍛錬を、されて」

俺と同じ年の頃だろう。しかし相手の官位が判らないのでは、口の利き方も分からない。
同等の口を利いて無礼を働いて、後になって大護軍に恥をかかせるわけにはいかないと、俺はひとまず丁寧に返す。
「この十倍は厳しいです。俺の大護軍の座右の銘は、死なぬ程度に鍛えるですから」

それは本当だ。こんなのは序の口で、大護軍の鍛錬ならここまでの鍛錬は本番前の体馴らし。
この程度で息を切らせば、あの長い足の容赦ない蹴りが飛ぶ。
「さあ、立って下さい」

その声に西京の兵たちは、驚いた顔でゆっくり腰を上げた。

 

「テマン殿・・・申し訳、ありません」
鍛錬場のあちこちに、疲れて尻餅をついてる奴らが増え始めた。
どうして良いのか考える。迂達赤にこんな早くへばる奴はいない。

自分達だけで鍛錬している時には、それに気付けない。
大護軍の鍛錬のおかげで迂達赤みんなが一緒に、同じくらい強くなってるから。
だけどこうして他の軍と鍛錬すると、俺達の強さがよく分かる。
こいつらも戦場に来る。俺の大護軍の事だから、きっとこいつらも生きて帰そうって無理をする。

ぎりぎりの戦場で大護軍が困らないように、無理させないように。
今俺がこいつらを鍛える事が、後で少しでも大護軍を助けるなら。
「つ、続けましょう」
俺の声に、尻餅をついてた奴らが
「はい!」
と頷く声だけは威勢よく、ふらつく足元で立ち上がる。

 

予想はしていたがと、朝陽の中で鍛錬場を見渡す。
迂達赤での大護軍の鍛錬を踏襲して、それを初めて受ける西京軍がついて来られるとは端から思っていなかった。

以前大護軍に手渡された勇衛軍の草案に記されていた鍛錬法。
これまで半ば放任する形の各軍に任されていた独自の鍛錬で、その技の差も実力の違いもあり過ぎた。
それを均す為の合同鍛錬。そして戦場に必要な陣形や武技の型。
一足先にあの書を通じて大護軍の案を読み取っていた俺には、今の大護軍の考えが判る。

これからこうした機会を増やす筈だ。西京だけではなく各軍で。
各軍営の長を集めての指南も増えるだろう。それを各軍に持ち帰り、同じ鍛錬が出来るように。

此度の西京軍での鍛錬の成否が、今後の指針を決める。
勢いに任せず、俺達の鍛錬法を一方的に押し付けるのではなく、冷静に場を読み一歩ずつ大護軍の鍛錬法を伝えねばならん。

出来る兵に重点的に教え込み、周囲の兵を引っ張る形を取るのか。
他軍からの指南を受けるより抵抗なく聞き入れ易いかもしれん。
逆に苦手な兵に重点的に教え込み、周囲の兵との力量を均すのか。
軍内の力量差を失くす分、全体的な底上げはその方が早かろう。

どちらの指南が向いているのかは、各軍の雰囲気にもよる。その軍の個々の兵の力量差は勿論、兵達の士気、上官への信頼。
率いる側の上官にも、教える事への向き不向きがあろう。
難しい顔で黙り込んだ俺に、周囲の西京兵から申し訳なさげな声が掛かる。
「迂達赤隊長」

呼ばれて顔を上げると、俺が鍛錬を付けていた西京の上官の先頭で昨夜の副将が
「もう一度、ご伝授下さい」
と、悔しそうに俯いて言った。
「自分達はこんな鍛錬法が初めてで、ご期待に沿えず」
「違う、そうではない」
俺は急いで首を振り、副将がようやく顔を上げる。
「俺の教え方に問題がある。それを考えていた」

大護軍は今回、西京軍への武技指南だけが目的で俺達を連れ出したのだろうか。
今後各軍を指南する方法を俺達に教える為、考えさせる為に連れ出したのではなかろうか。

下草の芽生え始めた土手に囲まれた鍛錬場を見渡す。
こんな重い課題を無言で問うあの人は、平素とまるきり変わらん涼し気な顔で鬼剣片手に、兵らの間を悠々と歩いている。
昨夜のあの女人との偶然の邂逅など、まるでなかったかのように。
その様子に俺の方が狐に化かされた気になって来る。
大護軍と医仙の再会を祈り過ぎる余り、そんな夢でも見たのかと。

その時鍛錬場の入口から掛かった
「隊長」
の声に、西京将師が振り向く。
歩哨と思われる兵が息を弾ませ、鍛錬場の俺達に深く一礼すると
「大護軍にお会いしたいと御客人がおいでです。どうしましょう」
と困った様子で尋ねた。

「大護軍に御客人」
将師は鍛錬場の大護軍を視線で探し、それに気付いた大護軍が歩を早めてこちらへ戻って来る。
「如何した」

戻った大護軍の声に歩哨を含め、その場の全員が頭を下げる。
「大護軍に、御客人がお見えなのですが」
武神とも謳われる大護軍を前に歩哨の緊張した声に、その黒い眉が怪訝そうに寄った。
「誰だ」

西京にお知り合いがいると聞いた事はない。歩哨に問う怪訝な大護軍の顔を見ても判る。
わざわざ昼に兵舎を訪う者がいるとすれば。

嫌な予感しかせん。

あの時既に大護軍は妓楼を飛び出て、聞いたのは俺達だけだった。
医仙、いや、あの女人は医仙の声で言っていた。

─── 大護軍様には明日にでも、改めてお詫びに伺います。

「妓楼のナンヒャンです。御存知ですか、大護軍」
歩哨の声に拭ったように、大護軍の顔から一切の表情が消える。

昨夜遅くに鳩舎から飛ばした文の返事が戻るまで、少なくともあと二日。
誰かすら判らんあの女人の方が、遥かに動きが早かった。

先を越された悔しさに唇を噛む。
再会が避けられんならせめて大護軍が惑わぬように、正体だけでも知っておきたかった。

西京の奴にしてみれば、昨夜顔を合わせたばかりの天下の美妓が宴席の世辞や戯言でなく足を運ぶ、そんな大護軍をさすがだと程度に思っているだろう。
周囲は委細を知らない者だらけ。会えば面倒だと判っておっても、俺が大護軍の制止に割り込むわけにもいかん。
俺達の遣り取りに気付き、それぞれに鍛錬を付けていたテマンとトクマンも、首を伸ばし探るような目でこちらを見詰めている。

そして俺の大護軍の判断は早い。早過ぎる程に。何がこの場で最もふさわしい動きか、悩む事なく決めていく。
俺と目が合い首を振っても、既に出した答は変えられなかった。
「暫し預ける」

それだけ低く俺に呟くと、先に立って鍛錬場を抜けていく。残された格好の歩哨が、慌ててその背に従いて駆け出て行った。

 

 

 

 

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