2016 再会祭 | 待雪草・後篇 〈 帰途 〉

 

 

異変に気付いたのは下山を始めて、半刻ほどした時だった。
「ハナ殿」

背負っているハナ殿の体がやけに温かい。まるで温石を背に当てているように熱を持っている。

「ハナ殿!」
「・・・はい」
大きくなった呼び声にようやく、ぼけたような声がゆっくり返る。
いつものハナ殿の、控えめだけど凛とした優しい声とは違う。いや、いつものと言えるほど何度も声を交わしてはいないけど。
「ハナ殿」
抱え上げた体を支えていた後ろ手を組み直し、揺すり上げようとし指先が傷口の上の長衣を掠め、その熱さにぎょっとする。

次の瞬間、出来る限り背を伸ばしたままで膝を折り、山道の脇の出来る限りきれいそうな雪をひと握り掬って、衣の上から当てる。
ハナ殿はふうと快さげに息を吐いて
「ありがとうございます。ごめんなさい」
それだけ小さく言った。

どうやら雪を当てたのは正解だったらしい。そんなに我慢しなくても、熱いと言ってくれれば良いのに。
「俺は役得です。ハナ殿をおぶれて。だから謝らないで」
「トクマン様は、本当にお優しいですね」
「誰にでも優しいんじゃありません。好いた女人にだけです」
「私は」

意を決した告白を受け流す為か、それとも体調が悪いのか
「そんな事を言って頂ける身分ではありません」
ハナ殿は言葉を濁しそれだけ言った。

「こうやってご迷惑をかけるだけで」
「迷惑なんて思いません!でも」

気になっていたし、今は何か話していたい。そうでないと顔が見えない分、ハナ殿の具合が判らない。
「何故この冬山に、金柑取りになど上ったのですか」
「大監の御宅には金柑がなくて」
「だったら誰かに頼むとか、市に行くとか」
「自分で新鮮なものを用意したくて」

ハナ殿はそこで息を切ってから、怠そうな声で続けた。
「姫様の御庭に実の生る木がないのは、私たちのせいなんです。姫様がお小さい頃、青梅を口にされて」
「そんなの子供なら誰でもする事ですよ。あなたのせいじゃない」
「母は姫様の乳母です。私は乳姉妹です。姫様を見ているべきでした。
母も私も、姫様を危険に晒した罪を、命で償っても当然でした」
「そんな!」
「大監も翁主様も、私と母を一言もお責めになりませんでした。ただ姫様の殿の御庭から実の生る木を抜いただけで。
私も子供でしたが、子供だからこそ、責められれば覚えています」
「そうだったのですか」
「花の美しさより大切な物があるとおっしゃったそうです。姫様の御命とご健康、そして母や私が自分を責めるなら梅など要らぬと」
「・・・素晴らしい方々ですね。なかなか言えません、そこまでは」
「はい」

自分が褒められるより、儀賓大監御一家を褒めた方が嬉しいのか。
背から聞こえるハナ殿の声に、生き生きした響きが戻る。
「だから御一家の為なら、私も母も何でもします」
「それは判りますが・・・では俺も呼んで下さい、次から」
「え」
「俺はハナ殿だけが大切なので、一緒に行きます」
「トクマン様」

それきりハナ殿は静かになってしまった。 それでも最後に
「・・・ありがとうございます」
と、小さな声で一言呟いて。

 

寝かせておいた方が良いのか、起きてもらった方が良いのか。俺は医官ではないから、正しい対処が判らない。
ただ時折傷口の熱を衣の上から確かめて、熱ければ雪を当てて、出来る限り急いで山道を下りた。

ようやく麓が見えて来て、さすがに我慢できずに
「ハナ殿、山道は終わりです!あとはもう」
大声を掛けた時は、ハナ殿は短い息を繰り返しているだけだった。

山道を下りたら、水鳥を思わせるほど大きな樏は邪魔なだけだ。
けれどそれを脱ぐ間も惜しい。そしてハナ殿の短い息が怖い。

俺はその場にしゃがみ込み、脛から抜いた短刀で樏を結んだ縄を切り落し、身軽になってそのまま東大門へと真直ぐ駆け出す。
山道が終わったからと言って、道の雪がなくなったわけではない。凍り付いた雪道で鞋が幾度も横滑りする。
転ぶ訳にはいかないと足許を踏みしめ、背中のハナ殿をもう一度しっかりと揺すり上げる。
「ハナ殿。もう少し、頑張って」

ハナ殿は声も返せないか、それでも背中でしっかり頷いてくれる。
そして荒縄で括りつけた背、掛けた俺の上衣の中から、この胸に垂らした両手をせめてもの意思表示のように握り締めた。
「大丈夫。大丈夫。すぐですよ」

泣きそうに情けなく震える声に、背負うハナ殿の頭が縦に幾度か揺れた。

 

 

 

 

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4 件のコメント

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    冬山の遭難のお話で、こちらも緊張しているはずなのに、不謹慎にも言った‼告白した‼次の約束も取り付けた‼と内心で、いえ、しっかり拳を握っていました。早くウンスに診てもらってね‼温かな春を迎えられるように。

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    思いを知っている人が
    心を尽くす人が
    労りを知る人が
    幸せと感じる日常があるといいな
    伸ばされる手 手を取る事は恥ずかしくない
    手を伸ばしてもいいんだよ
    ちょこっと、閉ざした扉を開けてみたら
    見えないものも見えてくる
    かたちを変えるだけ

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    身分という物があるんですよね
    なかなか難しい…(-_-;)
    ハナさんも躊躇しますよね…
    好きな女人にしかしません(//∇//)
    トクマンよく言った!!

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