2016再開祭 | 鹿茸・柒

 

 

大護軍が来た。 隊長と一緒らしい。

草に隠れてても息をひそめてても、すぐに感じる。
大護軍が離れて俺を見てる。そして近づいて来る。

隊長はトクマンと合流して、さっきまで一人で騒いでたあいつを抑え込んでくれてるみたいだ。
やっと静かになった草原で、鹿もこれで少し安心できるだろう。
あとは待つしかない。そう決めて草の中に体を沈め直す。

雨も降ってないのに背中が湿ってくるのは、春の水をたっぷり吸った下草のおかげだ。
そこに寝っ転がったままの俺の上衣にじわりとしみ込む。

さく、さく。

春の土ごとその濡れた草を踏む、人とは違う足音に耳を立てる。
まだ離れてる。でもひづめの音が耳元の地面から伝わって来る。
風とは違う音で、寝転んだ周りの草が揺れ始める。
俺がここにいると知ってて、そして興味を持って近づいて来る。

おどかしたりしない。敵でもない。傷つけも、もちろん殺したりも。
何もしない、ただその角をくれないか。

閉じていた目をそっと開いて、寝転んだ草のすき間から見つめる。
まだ若い牡鹿だ。頭の上には今年生え変わった小さな角。
夏の固い角とは違う。毛でおおわれた赤ん坊みたいな角。

ヒドヒョンに習った息は、こんなところでも役に立つんだな。
鹿は俺に気付いていて遠慮なく寄って来る。
まるで生きてるか確かめるみたいに、真っ黒い大きな目で見つめながら。

俺と目が合って、その細い枝みたいな足がいったん止まる。
先に俺が目を閉じると、しばらくしてまた聞こえて来る足音。

さく、さく。

緑の草を踏みながら。だめだ、飛びつくにはまだ少しだけ遠い。

さく、さく。

さく、さく。

 

「・・・近い」
俺の声に横のこの方と、続いてトギも頷いた。
「本当にあんな近くへ寄ってくものなのね。人に慣れてるのかしら」
この方も緊張しているのか、低く囁くように言った。

無論山の鹿よりは人慣れしておろう。日々の餌を人の手で与えられているのだから。
しかしテマンだから出来る。これ程早く、あれ程近くへ鹿を寄せる。

奴は地に転がったままで動かない。距離を計っている。
今助太刀に飛び込むのが吉か。暫し様子を見るべきか。
そう思いながら足音も気配もひそめ先刻チュンソクが入った柵の扉へ移動し、いつでも飛び込めるように錠前へ指を掛けて開く。

 

大護軍が動いた。でもまだ入っては来ない。
すぐに動ける場所で、俺と鹿の様子をじっと見ている。

鹿は動いた影に気を取られるように動きを止めて、首を上へ伸ばすと耳を立てて、真っ黒い目で今度は大護軍の方を見た。
それは人を警戒するっていうよりも、まるで山の中で虎に出食わしたような緊張した顔だ。

山の生き物は俺たちよりもずっと目も利くし、鼻も耳もいい。
生きてくための本能は、こうして飼われててもなくなることはない。
鹿の目には、あの柵の扉に立ってる大護軍がどう見えるんだろう。
もしかしたら形じゃなく、大護軍の心の中が見えるのかもしれない。
だからそんなに緊張しているのかもしれない。
俺が初めて会った時感じたみたいに、大護軍の中に虎を見つけて。

そして鹿が目をそらした一瞬を逃さずに、俺は草を蹴ってそのまま鹿の体に飛びついた。

 

*****

 

テマンが叢から狼の素早さで身を起こし、目にも留まらぬ鮮やかさで確実に鹿を押さえつける。
奴が動くと同時に俺は扉から滑り込みそのまま真直ぐ駆ける。

気付いたトクマンとチュンソクも柵内でテマンの加勢に向かう。
テマンは鹿の足や首を避け、その胴を確りと押さえていた。
駈け付けた俺はまず一番厄介な蹴りを繰り出す後脚を纏め、懐から出した手拭いで足首を縛る。
駈け寄ったチュンソクは前脚を同じように押さえ、トクマンから渡された縄で纏めると、余りの縄で後脚を縛る。

完全に動きを封じられ首を振る鹿の口に、テマンは懐から取り出した竹筒の水を含ませる。
奴が掌で鹿の首を撫でているうち落ち着いたか振り立てた首を地面に落とし、鹿は黒く濡れた目でテマンを見た。

これ程間近で生きた鹿を見るのは初めてかもしれん。
頭の角は産毛に覆われ、見るからに柔らかそうだ。
「急ぐぞ」
「はい、大護軍」

テマンは懐から出した小振りの鋸を柔らかな角の根元に当てた。
よく研いでおいたのだろう、鋸の歯は易々ともぐりこんで行く。

思ったよりも出血もなく、角はすぐに頭から落ちる。
テマンは足許の蓬を毟るとよく揉んで、鹿の角跡の疵を拭いた。
そこにトクマンが掌を差し出す。テマンに受け取った鹿茸を手拭で包み、あの方の待つ柵へと駆ける。

柵向こうでそれを受け取り確かめたあの方は、小さく跳ねながら頭上に両腕で大きな丸を作った。
「あと一頭」
あの方の許から此方へ駆け戻ったトクマンは俺の声に頷き
「はい。念の為、あと一頭分取れればと」

テマンはそれを聞くと、両脚を縛っていた縄を手際良く解いていく。
万一にも蹴られぬように、巧妙に脚の届く範囲を避けて解き終える。
地に横たわっていた鹿は恐る恐る地面に立ち上がり、一目散に群れが遠巻きにする一角へ駈けて行く。
足取りにも異常はない。
群れに合流するとそのまま草を食み始めるまでを見守って、テマンが安堵の息を吐いた。

「無事か」
「はい。ちゃんと走れるし、群れも受け入れたし」
「あと一頭だ」
「はい!」
ああして騒いだ以上、もう近寄って来る鹿は居らんだろう。
テマンも判っているか先刻の縄を纏め腕を通して肩に掛け、姿勢を低くすると群れの一角へ突込んだ。

 

 

 

 

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