2016 再開祭 | 嘉禎・37

 

 

此処から弥勒菩薩までの途と距離。行く手を阻む光の川。
いざとなれば荷を捨てても、この方を担いで走る。

頭に幾度も景色を描き、その中の途を幾度も辿る。
これで完璧か。抜けも漏れも無いか。必ずこの方を護れるか。
己の中で良しの声が返るまで。

えれべーたが静かに止まった瞬間、その扉から滑り出る。
左右へ眸を走らせ、この方の手を引いて部屋へと駆ける。
回廊の床が足音を吸い込む。という事は追手の足音も消す。

進みながら空いた一方の手で、上衣の胸からあの板を取り出す。
部屋の扉の溝にそれを挿し込み、開いた扉から内へと滑り込む。

滑り込んだ後の扉は完全に締めず、内の金具を倒して噛ませ、細く隙間を開けておく。
頭上に灯った光。部屋向こうに宵の空が見える。

正面の透明な分厚い窓の手前。卓上に置いてあった袋を取り上げ寝台の上へ逆さに返す。

そこから転げ出た、この方が高麗で履く沓だけを除ける。
麒麟鎧を纏うわけには行かぬのだろう。仕方ない。
昨夜手に入れた紙の束と飯屋で譲られた赤い袋、そして今日買い求めた品々。
一式載せ、そのまま寝台の薄い上掛けで包み込む。

鎧のせいでかなりの重さだ。嵩張る事この上無い。
それでも背に腹は変えられん。今は逃げる。ひたすらに。
この方を背に庇い、右も左も判らん天界では戦うにも限度がある。

出来る限り潰したその荷を、上掛けごと襷に背負う。
最後に背負った上掛けの両端を、この胸前で音を立てきつく結ぶ。

無言で成り行きを眺めていたこの方が、ようやく気付いたように問い掛けた。
「帰るの?」
「はい」

顎で頷き、寝台の上に除けていたこの方の沓を指先に取り、その足許へしゃがみ込む。
「その沓では走れません」

有無を言わさず小さな足から天界の沓を脱がせ、代わりにこの沓を着けさせる。
ああそうだ、この方はこれ程小さいのだと思い出す。
高麗の沓に履き替えた途端、その瞳の高さが変わる。

この方はおっしゃった。天界の鎧だと。
では高い踵の天界の沓もそうだったのだろう。

本当のこの方よりも、随分と丈を高く見せていた。
天界にいる間中そうしてご自身をより大きく強く、丈高く見せかけていたのだとすれば。

随分と低くなったその頭の上、柔らかな髪に一瞬だけ唇を落とす。
あなたの強さも弱さも、本当の大きさも知っている。
大丈夫だ。離れん。離さん。
必ず共に戻る。それが王命だ。

卓に立て掛けていた鬼剣を取り上げ、掌に握り込む。
その柄、手に馴染む重さ、刃が鞘に触れる小さな音。
幾度選べるとしても、俺の掌はこの剣の重みを担う責がある。
肚から一息整え、高麗で見つめて下さる時と同じ高さでこの眸を見上げる瞳を覗き込む。

「いざ」

その声にこの方が無言で頷き、部屋の扉へと駆ける。

 

回廊を抜け、えれべーたへ飛び乗り、大広間へと下るほんの刹那。
「天門まで走ります」
「わかった」
この方は固い表情で俺を見上げて頷いた。

「何があっても止まらず」
「・・・うん」
「護ります」
俺の声に、白く強張った頬にようやく笑みが戻る。

「信じてる」
その瞬間小さな音を立て、えれべーたの扉が開く。

この方の手を握り締め、そのまま真直ぐ大広間を突切る。
剣を片手に下げ大きな荷を背にした俺と、手を牽かれたこの方。
大広間の灯の許、すれ違う者共の視線が一斉に俺達を追い駆ける。

それでもただ見ているだけだ。其処から追手は掛からない。
「ユ、ユ・ウンスさま!」

あの女人が驚いたように、卓越しに叫んで飛び出してくる。
「お出掛けですか」
「ああ、あの、いえ、チェックアウトを」
「それではご精算いたします。ディポジットのご返金もありますので少々お待ちを」
「良いんです、返金はいらない。チップだと思ってどうぞ」
「いえ、額が大きいですから、少々お待ち頂けませんか」
「あ、じゃじゃあ、このシーツ!シーツ代にして下さい!!」

大広間の突き当り、大きな扉へ向かう俺たちの横へぴたりと従い、この行く手を阻むよう女人は喋り続ける。
「そういうわけにも参りません。ホテルの備品を販売するわけには」
「ほんとにごめんなさい、急いでるんです!」

大声を交わし合いながら広間を歩き続ける二人の女人。
一人は手を牽かれ、その手を牽く俺は剣を片手に握り。
これでは厭でも人目を引いて仕方無い。
「イムジャ」

低い呼び掛けに言い合いの声を止め、この方が俺を見上げる。
「走ります」

告げた瞬間強くこの方の手を牽き、大広間の磨かれた床を走り出す。
突然の事に天界の沓を履いたままの女人と、僅かな距離が開く。

その距離を使い大広間の突き当り、天井まで届く扉を蹴るように開ける。
「お客様!」
開いた扉から、最後に女の声が響く。

宵の通りの人波へ紛れる俺達の背後。
紺の上下衣に腕に白い腕章、黄色の肩紐に房飾りをつけた男達が二人、続いて走って来る姿が眸の端に見える。

 

 

 

 

9 件のコメント

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    何も聞かないウンス。
    ヨンを信じているからですよね❤
    どうかどうか無事に!
    さらんさん~
    半端なくドキドキしてます。
    仕事が手につかないですよ~(^^;

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    あ~朝からドキドキ!
    天界の鎧は もうウンスには必要ないよね
    ヨンという最強の鎧が傍にいてくれるから
    目的の品は揃った
    後は天門目指し 止まらずにダッシュ!

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    ヨン、ウンス、必ず必ず必ず・・、捕まらずに戻ってね!
    天界の皆さん、邪魔しないで!
    ヨンとウンスを、そっとしておいて!
    もう、戦うわけにはいかないはず。
    ヨンとウンスを、見逃して!何も、悪いことしていないのだから!
    ドキドキです。高麗に戻るまで・・

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    あんにょん♪
    ハラハラ、ドキドキ、手に汗にぎりスリル満点です。
    かなり心の臓わるいかもです(@_@;)
    天界でのつかの間の生活はヨンにとっては
    衝撃なことばかりでしたね。
    どの様な事態でも、高麗と同じ様に
    ウンスのみを護る事に徹したヨン。
    調達した品々と共に、ヨン❤ウンスが無事
    高麗に戻れる事を祈っています!(^^)!

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    わぁ なんとも 絵にかいたような
    ヨンの流れるような 動作
    もう 完璧に習得しちゃったのねー
    慌ただしく 帰るのね
    帰っちゃうのね…
    さみしいような~ でも
    ヨンと一緒なら とこだって。
    無事 天門まで着けますように
    しかし、 大荷物になっちゃった♥

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    「何があっても止まらず」「……うん」「護ります」「信じてる」
    この会話だけで二人の愛情と信頼がどれだけ大きいのか、お互いの存在がどれだけ「かけがえのない存在」なのかを感じました。

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    さらんさん、おはヨンございます❤️
    フロントのお姉さん上司に言われて目を光らせてたのね。
    この場に留め置こうと必死だものね。
    ひぇ~警備員に囲まれる~
    ど、どうするヨン!!
    警察呼ばれたら大変…
    ハラハラ|ω・ิ)ㄘラッ

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