2016 再開祭 | 想乃儘・肆

 

 

立春次侯は蟄虫始振。
冬籠りの虫が動き出す頃の半ばも過ぎ、短い昼も少しずつ延びて来る。
雪の面を吹く風に温みはなくとも、射す陽に春の気配を感じるようになる。

寒さの峠を超えて最も侘しいのは、小さな掌を握る名分を失う事。
典医寺の門で落ち合ってチュホンの厩へ戻るまで、周囲に誰の気配も無いのを見計らい、その掌を包めなくなる。

それでも春が来れば風邪の流行は治まる。
この方の役目も少しは楽になるだろう。
昼餉時にも帰りにも典医寺へ駆けて、無事な姿を確かめられる。

今は民に病が広がらず、厳冬での凍死も少なく済むのが肝要だ。
この方にとっても、王様にとっても、そして己にとっても。
寝屋でのこの方の寝息は以前より楽になったように聞こえる。
腕の中で起こした時にも以前ほど辛そうな様子は見られない。

それだけ判れば良い。他の事など全てどうとでもなる。

東風解凍の時候の頃より少し色味を増した、曙の空を窓越しに見る。
もうすぐ春がやって来る。その後はこの方の再訪の許しを待つのみ。

ヨンア、もう良いわ。迎えに来て?

そんな優しい声を首を長くして待つ今年の春は、いつもの春より一層待ち遠しい。
そう思いつつ曙の薄日の照らされて眠る腕の中の頬を撫でる。

この方は少し眉を顰めて、それでも何かを呟くと寝台の上、俺の首に腕を伸ばして柔らかく抱き締める。
温かい寝息が近くなる。それでもまだ開かぬ瞼に、偶然の振りをして唇をつける。
心の中では起きるなと祈りつつ。
起きるまで幾度でも。その瞼が開けば、朝ですと伝える為に。

 

******

 

「大護軍」
「は」
「典医寺から、この冬の流行り風邪の報告を受けた」
「は」

春浅い康安殿の王様の御部屋。
飾り窓から射し込む陽射しも、日毎に温かい色を増している。
拝謁に伺った俺は御声に頷き頭を下げた。

「そなたらが率先して嗽手洗いを奨励し兵には重篤な患者が出なかったと、医仙がおっしゃっていた。
民にも甚大な被害が広まる事はなかったと」
「そういう訳では」

ですから、馬鹿は風邪をひかぬからでは。
さすがに王様に面と向かってそうお伝えするのは気が引ける。

この肚裡を御存知でない王様は満足気にゆったりと頷かれると
「謙遜は良い。だが民の凍死の方の被害は如何様か」
龍顔の御目許を厳しく改め、此方へと向けられる。
「各邑郡守と東西大悲院で確認中です。昨冬と変わらぬかと」
「何よりだ。本来ならば迂達赤のそなたの役ではないのに、煩わせて済まぬ」
「いえ」

王様は温かい陽射しには似つかわしくない重い息を吐くと御首を振られた。
「他の者に確かめさせたのでは、その者も己の失態や手抜きを隠蔽せんと、正しい報告を出さぬゆえ」
「は」

おっしゃる事はよく判る。
冬の間に不足した食料や薪を邑の備蓄から放出するのを控え、己の懐を肥やすのに執心な郡守も居る。
そうした不徳の者たちの事を憂いておられるのだろう。
参理や奇轍、そして徳興君という逆臣が消えたからとて、王様に心から仕える忠臣が増えたわけではない。
俺達だけでは駄目だ。王様に二心なく仕えるのが俺達だけでは限度がある。

周囲に信頼できる忠臣を増やさねばならん。
見極める事、そして奸臣を寄せ付けぬ事。
それも王様の安全を御守りする迂達赤の役目の一つ。
春になれば鍛錬に追われ、戦場への出征で留守が増える。
その前に一人でも多く可能性のある者を探し出し、接触を試みねばならん。
頭の中で主だった重臣らの顔を思い浮かべながら、俺は声を継いだ。

「冬の凍死が増えぬ分、春の食糧不足が」
「そうだな。備蓄の慈悲米の分配を考えねばならぬであろう。調べの結果が判り次第、教えて欲しい」
「は」
「そなたも春からは戦に備えねばなるまい。倭寇と紅巾族の動きは如何か」
「南北とも密偵よりの報せなく」
「そうか」

春からは戦。夏、秋を過ぎて鴨緑江が雪に閉ざされるまで。
そして次の冬の雪が降ればあの方の役目が慌ただしくなる。
幾度も巡るその季節の中、俺達は共に其々の役目へ向かう。
どれ程季節が移ろうと、変わらぬものを携えて。
俺はあの方を、あの方は俺を。想いの儘に信じ、そして護る為に。
何があろうと相手を傷つける事、悲しませる事だけは決してせぬと心に決めて。

そんな風に気を逸らした俺の耳に王様の忍び笑いの御声が届く。
我に返って玉座へ視線を戻せば王様は小さく咳払いをされ、御顔を引き締めた。

「実は典医寺から、別の報せも届いておる」
「・・・は」
「寡人との謁見が多い故、典医寺に出入を禁じられた者が居ると」

余計な事を軽々しく御耳に入れるのは何処の阿呆だ。
否とも応とも返答せずに、俺は黙って眸を下げる。
卓の影、膝上で硬く握り締めた拳の中が汗をかく。
そんな俺を御存知かどうか、王様は涼しい御顔で御口の端を下げる。
「そなたと医仙の心遣いで、寡人も王妃も風邪を得ずに済んでおる。無論、キム侍医の功労でもあるがな」
「は」
「昼は鍛錬尽くめ、夕は典医寺の門前で待ち惚けだそうだな」
「・・・いえ」

待ち惚けではない。あの方は役目が終われば必ず駈けて来て下さる。
ただ確かに立って待っていた事は事実だ。故に答えられず口を結ぶ。
その沈黙をどう受け取られたか、王様は静かに頷くと
「そなたも医仙も、満足に休む暇もなかろう。苦労を掛ける」

此方の返答はお望みではないらしい。
明るい春の御部屋の中、半ば独言のような小さな御声が響いた。

 

 

 

 

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2 件のコメント

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    さらんさまお帰りなさい。
    待っている間色々考えました。
    もし、このまま大好きなさらんさまのお話が読めなくなっても、さらんさまが決められた事なら潔く受け止めなくては…とでも、お話が再開した時に、どんなにさらんさまの書かれるシンイにヨンに会いたかったか思い知らされました。
    今は素直に嬉しいです。
    ただ心と身体は大切です。
    休みたい時には休養する勇気を‼︎
    想乃儘のヨンいいですね\(//∇//)\
    ウンスに対する大好きオーラが溢れてます
    王様にまでからかわれて(笑)
    早く風邪の患者さんが落ち着きますように
    久しぶりの甘々ヨンにメロメロです

  • SECRET: 0
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    さらんさんこんにちは。
    ヨンの熱い、暑い、厚い
    ウンスへの思い。(///∇///)
    起きぬウンスへ口づけしたり
    春にヨンも頭が春か?
    ウンスがチョニシに来ていいよ~
    と言ってくれるの、待ってたり(^w^)
    ワンビンマンマから聞いた、別の噂に
    汗かいたり
    あついわ~♪♥
    ぷぷ 続きも楽しみです!

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