2016 再開祭 | 想乃儘・序

 

 

【 想乃儘 】

 

 

七十二候の上では飛ぶように過ぎる暦。
立春初候は東風解凍。
東風が厚い氷を解かし始める頃と呼ばれても、曙光の寝屋の中、吐く息は白い。

長い冬の間は昼に手を握る口実があった。
手套を嵌めぬ小さな手を寒さから守る為。
このまま暦もそして季節も春に移って息の白さが消えたなら、次は何を口実にすれば良い。

いつまで経っても慣れる事が出来ない。
大切過ぎて壊さぬように、力が籠り過ぎぬように。
ほんの僅かな隙間を開けて両の腕を廻し抱き締める、柔らかな温もりに。

静かに閉じたままの睫毛の先を、この指先で揺らしてみる。

鬱陶しそうに夢の中で顰める眉を続いてそっと辿ってみる。

こうして指先で触れるだけで、小さな寝息の色彩が変わる。

先刻まで深かった息は浅くなり、瞳が薄く開く。
「・・・んーーっ」
夢の途中で邪魔された瞼を硬く閉じ直し、この指先を避けるように腕の中で体を丸めた。

こうして擦り寄り温めてくれる小さな体を、離したいわけがない。
それでも心を鬼にして、胸に押し当てられた頬を掌で撫でてみる。
「や・・・」
腕の中のこの方が掌に抗うように首を振る。
頸元で振られる髪に隠れた耳に静かに諭す。

「朝です」
「やだ」

厭だと言われて刻を戻せれば苦労はない。
それが出来れば毎明けに夜を呼び戻し、抱き締めたまま寝台上だけで過ごしたい。
それが無理でも、せめてこの方が満足するまで寝かせてやりたい。
それも無理ならせめて眠らせたまま、抱いて典医寺まで運びたい。

其れも此れも無理だから冬の明け方、寝台上の俺の心は少し痛い。

 

*****

 

今朝のこの方は一際怠そうに瞼を閉じたまま、湯屋で億劫そうに立ち尽くしている。
横で様子を見ていても、咥えたままのこの方の手製の房楊枝は全く動く気配がない。
「イムジャ」
低く呼んでも長い睫毛は伏せられたまま、その体がゆらりと船を漕ぐように傾いた。
一瞬早く房楊枝を己の口へ突込み、空いた両掌で細い肩を支える。

まさかと乱れた亜麻色の髪を白い額へ上げれば、聞こえる深い寝息。
立ったまま眠り込む程疲れ切っているのかと、思わず太い息を吐く。
「イムジャ」

幾ら呼び掛けようと寝息の深さは変わらず、支えた細い肩から完全に力が抜けている。
半開きの紅い唇に咥えた柳の房楊枝が、寝息に合わせ上下に揺れる。
この方を片腕で抱いてそのまま、湯屋の床へと静かに腰を落とす。

それでも起きぬ半開きの唇に咥えた房楊枝をこの手で握り直し、小さな真珠のような歯を磨く。
いつも教えられる通り、歯と歯の隙間にその房先が入るように丁寧に。
その間もこの方は腕の中、すっかり眠り込んだままだ。

春眠不覚暁とはいうが、処処聞啼鳥どころか歯を磨かれても起きん。
それ程深い春眠などあるのだろうか。
磨き残した最後の数本の処で、半開きの唇から温かな吐声が漏れる。
起きて動き咽喉でも突いては大事だろう。
房楊枝を唇から抜いて顔を覗き込むと、長い睫毛がゆっくり上がる。

そして顔を覗き込む俺を見つけ、その睫毛が数回瞬いた。
湯屋の様子を確かめるように首を巡らせた後、再び俺を見詰め直し
「・・・ヨンア、歯ブラシ咥えてどうしたの?」

寝惚けた声で言って、小さな手が俺の口に突込んだ房楊枝にそっと触れる。
「くわえたままじゃ、危ない・・・」
あなたは立ったまま咥えて眠っていたと教えたい心持ちで、房楊枝を噛み締める歯を緩める。
その房楊枝をこの口からゆっくり抜くと、あなたはようやく安堵したように笑い掛けた。

 

*****

 

「ヨンア?」

チュホンを収めた厩舎から典医寺に向かう道すがら。
いつまでも横を添う俺に、あなたが脇道を瞳で示す。
「ねえ、迂達赤はあっちよ?」
「はい」
「私一人で典医寺まで行けるわよ?」
「はい」
「遅刻しちゃうんじゃない?」
「いえ」

朝陽に光る雪道を踏み締め口数少なに歩く俺に首を傾げ、呼び声に不安の色が滲む。
「ねえ・・・ヨンア?」
揺れる声音にこの方を見れば
「もしかして、怒ってる?」

此度は視線だけではない、俺を見上げるその瞳も不安そうだ。
怒っていないと言えば嘘になる。しかしこの方に腹を立てているではない。
答えられずに曖昧に首を振る俺に
「嘘。絶対怒ってる」

この方の足が其処で止まる。
「どうしたの?朝から変だと思ってた。歯ブラシ咥えて、床に座り込んで」
あなたの方が余程おかしい。それを咥えたまま立ち寝するなど。
そう言いたい声を咽喉で飲み込み、もう一度首を振る。
「あなたに腹を立てている訳では」
「じゃあ何に怒ってるの?」

いつになく此方へ向けて問い詰める声に首を振り、
「・・・遅れます」
歩き出した俺の背には頑として従って下さらず、この方は両足で踏ん張り、静かな雪景色に響く声で言った。
「言ってくれるまで動かないから!」
「風邪を得ます」

此方も意地で振り向かず、一歩ずつ離れながら言ってみる。
離れ過ぎぬよう歩幅を狭め、歩速を緩めた己はまるで蝸牛。
「心配なら、言ってくれれば良いじゃない。何で怒ってるのか」

そう言われて素直に吐けるくらいなら苦労はない。
かといって素直に吐けば諍いになるのは目に見えている。

立ち寝するほど草臥れ果てているのなら、暫しの休みを取って頂く。
この方の役目は急病人でも出ぬ限り、王妃媽媽の御体を拝察するのが主であるはずだ。

俺のよう毎朝皇宮に出仕する必要も、鍛錬をする必要もない。
いざとなれば宅に籠って、拝診の折のみ皇宮に上がれば良い。
残りの時には宅で休んでおられても構わぬ筈だ。
薬湯なら宅で煎じ、薬剤なら宅で拵えれば良い。

第一キム侍医は一体、この方をどれ程酷使しているのだ。
男のキム侍医とは違う。この方は女人だというのに。
しかしそれを正直に、この方へ伝えたら如何なるか。
俺の為に、そして国の為民の為役目を熟し続けるこの方は怒り出す。
自分だけ特別扱いするのかと、俺の勝手で役目から遠ざけるのかと。
そして意地でもその手を緩めず、一層精進するに違いない。
碌に休まず、書を探し薬を見つけ、治療に邁進して無理を重ねる。

宅で夜を共に過ごそうと、迂達赤の役目の合間にこの方の許に走ろうと知らぬ。
それ以外の間に、この方が典医寺でどう過ごしているのかが判らぬ。
さしたる敵が迫っている訳でも無い限り、常にテマンや迂達赤を守りに就かせる名目もない。

第一見張りに就かせて何から守る気だ。
働かせすぎるな、無理していたら止めろとでも命を出すのか。
立ち寝をするほど無理をさせるなと。そんな間抜けな命があるか。

こんな風に考え過ぎるから、冬の陽の中を歩む俺の頭は少し痛い。

 

 

 

 

やはりヨンとウンスのラブラブ
鼻血もんのお話(笑) (愛知のひとみさま)

 

 

 

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6 件のコメント

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    さらんさん、お久しぶりです。
    またさらんさんのお話が読めて嬉しいです。
    ヨンは本当にウンスが大切でまさしくヨメ命ですねw
    歯ブラシ咥えたまま寝てしまうなんてよっぽど体は疲れているのでしょうね。
    言えるものならキム侍医に働かせすぎるなと釘をさしたくともウンスのその後の行動は読めるし、下手に打つ手がないって感じですかねぇ
    どんなラブラブが見られるのか楽しみです(*´꒳`*)

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    う~~ん(/。\)
    さらんさん…
    こころ(心…想い)もちだけでもゆるりと…
    過ごす一時の一服
    至福の時
    ゆるりと…ね(^-^)

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    また、さらんさんのお話が読める幸せ、噛み締めてます。私のスマホ、「いいね」押しても最近「いいねに失敗しました」ばかり。どうなってるのやら。

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    さらんさん
    まだまだ苦しいはずなのに
    お話UPに感謝しますが…
    お話を書くことで紛れるなら
    良いのですが…
    おばちゃん心配でたまりません。
    昨日のお話も出だしだけで
    苦しみが伝わり
    胸がはりさけそうでした。
    読者を愛してくださるさらんさんは
    読者の為にとこん譲れるとこまで譲り
    我慢し頑張ってしまうのでほんとに
    心配でたまりません。
    どうかどうか心も体も
    穏やかになるよう
    このお話がせめて書くことで
    前に進めるよう
    祈るばかりです。
    リクエストに答えてくださり
    感謝です
    ウンスが立ってねてしまったし
    ヨンはまた、
    だまってウンスを気遣い。
    まるでヨンはさらんさんそのものに
    みえまする。
    だからさらんさんヨンを読んでいくと
    心が苦しくなるのと
    愛するヨンが
    素敵すぎて鼻血が出そうになります。
    お笑いのオチも大好きです。
    先のお話のオチも今更ですが
    最高でした!(*^^*)
    どうかどうか楽しく
    書かれることを願うばかりです。
    さらんさんの愛する読者より(* ̄∇ ̄*)
    つい語り失礼しました。
    照れますね照れます。

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