2016 再開祭 | 想乃儘・参

 

 

来訪の許しは得られぬまま、あの夕から日が経って行く。
一度気付けば次からは、必ず其処に眸が行くようになる。

皇宮内の回廊で、擦れ違う尚宮や兵達の咳が気に掛かる。
走って行って問い詰めてさっさと治せと怒鳴りたくなる。
あの方の患者とは限らん。他の医官が診ているかもしれん。
それでも風邪が早く治れば、あの方が少しでも安堵する。

どいつもこいつも体力がない。寒さくらいで風邪を得るな。
いや、体力以前に根性がない。病は気からと言うだろう。
少なくとも迂達赤に未だ風邪の患者が居らぬのは何よりだ。
万一得てみろ、あの方を煩わせる前に死ぬ程鍛錬して汗を流させ、その後浴びる程酒を呑ませて一晩で治させる。

そんな事を考えつつ陽射しの中に佇む耳に、昼を報せる法螺が響く。
雪に覆われた鍛錬場を確認する俺達の横、トクマンが大声を上げた。
「大護軍、昼」
「だから」

その声の終わる前にひと睨みして吐き捨てると、奴の顔が引き攣る。
「え・・・ひ、るですね」
「煩い」
「煩いって、あの」

取り付く島もない声に、奴は助けを求めるよう俺の脇に立つチュンソクへ眼を向ける。
それ以上は言うなという視線でトクマンを諌め、チュンソクは卒無い声で取り成した。
「昼餉に行きましょう、大護軍」
「お前らだけ行け」

あの方にも逢えず、根雪の残る間は満足な鍛錬も出来ん。
飯を喰う気にもなれず二重の苛りに唸る俺に
「大護軍は今日こそ典医寺ですか。久し振りでしょう」
返答をどう解したか、気配の読めぬトクマンが大きく頷いた。
蹴りを飛ばす前にチュンソクが奴の襟首を手縛の手練れの素早さで捉え、此方に一礼し鍛錬場を抜けて行く。
「何するんですか、く、苦しい」
「お前は余計な口を利くな!」

トクマンを引き摺るように雪中を遠ざかるチュンソクの声。
離れ行く遣り取りを耳に、其処から空を仰ぎ見る。
あれ以来、あの庭で想いの儘に咲き開く梅を見る事すら叶わない。
こうして迂達赤の庭から、窓から、昼空を茫と見上げるしかない。

鍛錬場は未だ雪に閉ざされ搔いても搔いてもきりがない。
それでも空に僅かに漂う、やがて訪れる春の息吹を探す。

早く春になれ。冬風邪の流行さえ終息すればまた逢える。

あれからあの方の慌ただしさは変わらない。
いや、春前に寧ろ一層増したようにも思う。
一度気付けば次からは、必ず其処に眸が行くようになる。
日に日に小さな溶けぬ疲れが根雪のように積もっている気がする。
そう思いつつ朝陽の許の寝台の上、腕の中の寝顔を眺めてしまう。

立ち寝までする事はなくなったが、典医寺でどう過ごしているのか。
来るなと言われて以来、典医寺の大門外で帰りを待つようになった。

冬の夕陽に佇む俺の脇、出入の薬員や医官が頭を下げて通り過ぎる。
「ウンス様はすぐにいらっしゃいます。少々お待ちを」
気の毒そうな表情を浮かべ、擦れ違いざま遠慮がちに声を掛ける者もいる。

そうして待つうち、やがて雪を踏み締める危なかしい足音が届く。
大門から中を覗き込めば、白い息を吐きつつあの方が駆けて来る。

「ヨンア!」

腕の中に飛び込んでこの頬を、そして額の熱を、頸の、手首の血脈を探る指先。
そしてようやく瞳を緩ませ、安堵の溜息が夕陽の中に白く浮かぶ。
「うん、大丈夫。でも毎日こんな所で待ってたら、あなたが本当に風邪ひいちゃう。私は1人で帰れるから」

冗談にもならん。典医寺に入るなと言われたから此処に居る。
これ以上の折衷案は浮かばない。これ以上譲歩する気もない。
こうしてあなたが俺を案じるよう、俺もあなたを案じている。
チュホンならひと駈けの距離でも、瞬きの間に落ちる冬の夕陽の中を一人で徒歩で帰宅させる訳にはいかん。
例えあなたがどれ程懇願しようとも絶対に。

しかしどう伝えてもこの方は、得意の弁舌で俺を説き伏せようとするだろう。
疚しい時ほど多弁になる方だから厄介なのだ。
あの真直ぐな瞳で、小さな両掌を揺らして、結局俺を説き伏せる。
俺にその弁舌の半分でもあれば、この方の減らず口を閉じさせるのはさぞ楽だろうに。

最初から白旗を上げると判っている戦に感ける将など居らん。
ただ黙って首を横に振り続けるしかない。
これ以上は俺も譲れぬと、声より確かな意思表示をする為に。

 

*****

 

宅に戻れば戻ったで、この方の慌ただしさは変わらない。
「ヨンア、まず手洗いうがい」
そう言いながら玄関から上がり、真先に湯屋へ導かれる。

この方の手ずから渡される、手製の薄荷と塩の入った嗽薬を足した湯で充分な嗽。
石鹸を使って爪の中から指の股、手首まで丹念に洗う。
それが終われば寝屋へ行き、手早く着替えを済ませる。

そこまで終えてようやく息を吐き、俺の胸元の袷紐を結んだあなたが眸を見上げる。
「はい、完了!お疲れさま」
「・・・ええ」
まるきり傀儡だ。それでもその手順を憶えておく。
これを全ての兵に実践させれば、恐らく風邪を遠ざける。
病さえ得ず健康なら、この方を煩わせる不安が一つ減る。
今はそれだけを考え、指示に甘んじるしかない。
少なくともそうすれば、この方が満足気に笑って下さる。
その笑みを見るだけで、今は満足するしかない。

その後の夕餉はこの方の拵えた献立を元に、タウンが腕を揮った大層なものだ。
葱、生姜、大蒜、卵、葛、柚子、梅の黒焼き、冬魚。
如何にし手に入れるか、其処に肉が加わる日もある。

これ程のものを毎夕餉に喰っていれば、風邪を得るような暇もない。
現に俺達と同じものを喰っているコムもタウンも、風邪どころか咳一つ立てん。

残る問題はこのような食材を、民の殆どが手に入れられぬ事。
如何してそれらを民が手に入れられるようにするか。
農地に撒く種を。獲れた食材を保管する術を。
其処まで考え広めて初めて、民の役に立つ。
「イムジャ」
「なあに?」

考え広めて、初めて卓に差し向かいで笑うこの方の心の重荷が一つ減る。
握った箸を卓へ戻し、俺は惣菜の小鉢を指した。
「葱は、天界ではどのように手に入れますか」
「スーパーに売ってるけど。ここでは作るしかないわよね?」
「はい」

この方は頷くと、言いたい事を先回りするように
「ユズや梅は木になる。まず木を育ててから収穫するでしょ?卵は親ニワトリを飼わなきゃね。
葛は山で掘る。ショウガは薬剤として典医寺にあるから、トギに確認するわね。
ニンニクはあの一個一個が種になるから、そのまま植えればいいはず。
種まきの時期を確認して・・・ネギは種の入手方法を調べておく。育て方は、コムさんに聞いておくわ。
それくらいでいいかな?あとは?」

この方と飯を共にし始め気が付いた。
飯とはただ空腹を満たすだけ、搔き込むだけのものではないのだと。
相手の体の調子を見、必要なものを必要に応じて出す事が大切だと。

この方が共に居て下さる限り、老いる事はないのではないかと思う。
当然だろう、天の医官が心を砕き俺の為にだけ拵えて下さる献立だ。
但しそうされればされる程、申し訳なさは募る。
この方は俺の為に心を砕き、昼は典医寺の役目に没頭し、一体いつ張り詰めた心身を緩められるのか。

その心苦しさも知らぬ気に、夕餉の卓で向き合うこの方は笑み
「んー、美味しい。ヨンア、いっぱい食べてね?」
暢気な声で言いながら、此方に向けてあれこれ小鉢を押し付ける。
手にしていた箸を改めて卓へ置き、小さな頭を撫でると、戸惑った瞳が当たる。

何も知らなくて構わない。これ以上余計な事は考えずとも良い。
ただ撫でたいから撫でたのだ、そんな風に思って下されば良い。

ようやくこの顔に浮かべた本物の笑みを確かめ、その瞳が三日月の弧を描く。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です