2016 再開祭 | 想乃儘・壱

 

 

典医寺の薬園を入った処で足を止める。

いつもならば昼餉時や、役目上がりのあの方を迎えに行く事にばかり気が急いて、碌に見もせず走り抜ける途。

小径の脇、今を盛りと開く梅花。
寒風の庭で真先に春を告げる紅白の花の香。
春には梅が咲く、見飽きるほど見かける当然の光景。

それを見つけたのは理由を告げずに先を行く俺の背、渋々従いたこの方の歩調に出来る限り合わせていた時。
「・・・イムジャ」
「なあに」
「この梅は」

足を止め呼ぶ俺に、背後からの声が返る。
梅に薬効がある事はこの方より伺っている。
我が家の庭にも、この方が丹精込めた梅が植わっている。
故に薬園に梅がある事には何の不思議もないが、不思議なのはその花弁の彩だった。
桃や櫻花とは違う、控えめで楚々とした佇まいの梅花。
しかしその様子が今まで見慣れたものとは違う。

紅白に別れて咲く筈の梅花が、一本の木に両方咲いている。

近づいて枝を見上げ、改めて確かめれば、香は確かに梅。
しかし一枝に紅白梅があるだけでなく、一輪の花弁のうち何枚か色の違うものまである。
紅の色合いも見慣れた濃紅梅色だけでなく、櫻花のよう淡い。

ようやく追い付いたこの方は、枝に顔を近づけた俺の横でやっと機嫌を直したように笑んだ。
「思いのまま」
「は?」

突然の呟きを確かめる俺を見上げ、その声と共に吐く息が白い雲になる。
「思いのままって言うんだって。一本の梅から紅白梅と、絞りっていう、この二色混じった花が咲く。
それに、来年は同じ枝からどんな色の花が咲くのか分からないの。
おまけに同じ木で紅梅が咲き始めると、白梅が散り始めちゃう。
こんな風に全輪が咲いているのを見られるのは、すごく短い間だけ」
「・・・想いの儘」
「そう。見られてラッキーね。私も咲いてるのに気付かなかった。
でも接ぎ木したんだったら、ふつうは毎年同じ枝から同じ色の花が咲くはずなんだけど。
どうやってこんな風に咲き分けするのか、不思議でしょ?」

想いの儘。 あなたにそう教えられ、もう一度その梅花に眸を移す。
梅すら想いの儘に咲くというのに、己は一体何を迷っているのか。
何を気にして何を押し殺し、大切な方を振り返りもせず独り蝸牛のように鈍鈍と歩んでいるのか。
「参ります」

それだけ伝えて頷いた俺に、あなたの瞳がもう一度当たる。
「もう怒ってない?」
その問いにはっきりと首を振り、瞳を見つめ返して告げる。
「怒っております」
「・・・え?」
「あなたにでなく」
先刻は曖昧に首を振った俺の掌返しの告白に、あなたの瞳が見開いた。

怒っている。
あなたにではなく、あなたが立ったままで眠り込む程疲れている事。
あなたの疲れに気付けなかった事。疲れさせるその理由が判らぬ事。
梅ですら想いの儘にこうして咲くのに、何処までも名分を探しつつ想いの儘に動けぬ愚かな己。
全てに怒っている。それ以上何も言わず診察棟へと駈けるように足早に歩き出した背に、
「ヨンア、待って!」

小さく叫んだこの方が慌てて駆け出した。

 

*****

 

「侍医」
この方を連れて足音高く診察棟へ踏み込んだ俺の剣呑な声の響きにキム侍医が眉を顰め、腰掛けていた椅子から立ち上がる。
「・・・チェ・ヨン殿。今日は、何事でしょう」

今日はの処に妙な力を籠め、眸の前まで歩み寄って侍医が問う。
その口の利き方からして癇に障る。
「いつでも騒ぎを起こすような言い方だな」
「事実でしょうに」
「だとすれば理由がある」
「ですからその理由を手短に。近頃気候の所為か妙な風邪の患者が増えておりますので、あまり時間がありません」

確かに土気色に疲れた顔をして言うと、侍医は深い息を吐いた。
「この方もか」
横に添うた方を眸で指せば、侍医はうんざりしたよう頷いた。

「チェ・ヨン殿がウンス殿の事しか眼中にない事は、重々知っておりますが。
ええ、ウンス殿は私達よりずっとお忙しい。
何しろ王妃媽媽の御拝診の他に、毎日増える風邪の患者も診察していらっしゃるのです」
「キム先生、それは良いんだってば!」

侍医を問い詰めようと一歩出た俺を慌てて制止しつつ、小さな体が間に割って入る。
そうしながら振り返り、蟀谷に青筋を立てる俺を宥めるように
「パンデ・・・疫病っていうほど流行してないし、咳と痰と発熱の状態から見て、多分ウイルス性の風邪だと思う。
インフルエンザってほど高熱は出ないし、脱水や衰弱の患者はいない。まだ緊急時事態じゃないわ。
迂達赤では誰も罹患してないし、深刻になったらもちろんあなたに言おうと思ってたけど、今は感染範囲も狭い。
はっきり状況が判る前に、よけいな心配かけたくなかったし」

こんな時には殊更に良く廻る口。
小さな両掌を振り回しつつ、言い訳を重ねるこの方をじっと見る。
俺から視線を逸らして言い終えると、その瞳がようやく此方へ戻る。

「それで怒ってたの?風邪の流行を黙ってたから?」
俺の顔色を確かめるように眸を覗き込んで、この方が問うた。
「・・・いえ」

そうではないと顎を振る。そんな風邪の流行すら知らなかった。
厳冬に風邪が流行るのは、この方の所為ではない。
この方が黙っていたのは医官としての判断だろう。
その役目にまで首を突込み、事を荒立て邪魔するつもりはない。

腹を立てたのは、立ち寝する程にこの方が草臥れ果てているのに気付けなかった事。
侍医の口ぶりから察するに風邪が一息つくまで、この方は休めぬだろうと判った事。

両掌で顔を拭うと息を吐く。これ以上此処で問答をしても無駄だろう。
下手に休ませろなどと言い出したが最後、この方は怒り出すに決まっている。

結局どうしようもない。
出来る事はこれ以上患者を増やさぬよう、迂達赤だけでも徹底的に風邪を予防する。
俺の部下までこの方の手を煩わせる事だけは絶対に避けねばならん。
「イムジャ」
「うん?」
「風邪に罹らぬには、やはり嗽と手洗いですか」

この方に幾度となく言われ、この身に染み付いている。
手製の石鹸を使い良く手を洗え、そして事ある毎に嗽をしろ。
俺の声に満足そうに頷くと、険しかった瞳が少しだけ緩んだ。
「そうかー、ヨンアやみんなが手洗いうがいを徹底してくれてるから、迂達赤には感染者がいないのかも」

・・・いや、馬鹿は風邪をひかぬからでは。
そう言いたい気持ちを堪えて黙って頷く。
この方の疲れの理由が判った以上、そして今は何も手立てが無い以上戻るしかない。
直に朝の鍛錬が時期に始まる刻。今頃兵舎の中にそれを報せる法螺が響いておろう。
「では」
「うん。わざわざ送ってくれてありがとう」

頭を下げた俺にいつものように手を振って、この方が笑んだ。
後ろ髪を引かれる思いで頷き、踵を返す。
これ以上留まればキム侍医の言う通りになる。
いつも乗り込んでは騒ぎを起こす。この方しか目に入らずに。

黙って診察棟の扉を足早に出る背に向けて
「行ってらっしゃーい!」
掛かる明るい声に肩越しに振り向き、振られる手を確かめて俺は最後に頷いた。

 

 

 

 

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