2016 再開祭 | 天界顛末記・参

 

 

「隊長、北方の国境隊長から飛書が!」

駆け込んで来たトルベの大声に腰を上げる。
チェ・ヨンは部屋を横切ると、小さな紙片を奪うように受け取った。
「鳩が運びました。つい今しがた届いたものです」

トルベは鳩舎から真直ぐ此処へ訪れたのだろう。息を切らしながらチェ・ヨンをじっと見る。
「何とありますか」
「国境隊が、天門の石垣に標を見つけた」

チェ・ヨンは掌の紙片を開いたままトルベの掌ヘ戻す。
その雁書を見つめた後でトルベは目を上げた。
「この標は」
「チュンソクが其処までは辿り着いたという事だ」

迂達赤だけが読み取れるよう、暗号代わりに使う標。
国境隊長はその意味が分からぬまま、残された標を忠実に書き写したのだろう。

「奴も侍医も戻って来ぬ以上」
「・・・まさかお二人とも天界へ」
「二人だけではない」
チェ・ヨンは大きく息を吐くと額を抑え、三和土の端へ腰を下ろした。
チェ・ヨンを追って部屋へ入ったトルベは腰掛けたチェ・ヨンの目前に立ち、その顔を見詰める。

「奇轍たちが天界へ行ったという事ですか」
「それしか考えられん」
「そんな!」
「標があり、周囲には誰も居なかった」
「隊長、俺を北へ送って下さい」
トルベは姿勢を正し、チェ・ヨンへと頭を下げた。

「俺が行って来ます。隊長には医仙がいらっしゃいます。トクマンとテマンが残れば、俺は」
「馬鹿を言うな」
「副隊長と御医だけで奇轍に対するのは危険です」
チェ・ヨンは何かを思い出すかのように、目の前のトルベに首を振る。

「あの天界ならば、兵よりも寧ろ・・・」
「隊長」
「侍医の方が小回りが利くかもしれん」
天界を知る唯一の男に言われてしまえば、トルベには二の句が継げない。
何かを考えるように押し黙るチェ・ヨンを前に、唇を噛んで立ち尽くす。

副隊長。チャン御医。必ず無事で。
その言葉だけを何度も胸裡で、呪文のように唱えながら。

 

*****

 

「・・・これは」
見事な木目の浮かぶ大きな一枚板、古物商と書かれた立派な手蹟。
この漢字の看板がなければ探す事など出来なかっただろう。

横に立ち尽くす副隊長は仰天したように、目にした事も無い雑多な品々が並ぶ店の中、扉外の毒々しい色の灯に溢れた通りを眺めている。
そんな様子を横目に小さな息を吐く。
この店内の珍しい品々を手に取り確かめられないのは残念だ。
医仙のおっしゃる通りの未来の世。
きっとこの店内の棚に並ぶ品々こそ、その流れを表す一端なのだろう。
高麗からこの世までの流れの中、生まれて消え、そして新しくなって。

蝋燭や油灯は何故、目を刺すような灯になったのだろう。どうやって。
通りを行く馬は影も形もない。人々を乗せて動いているのは、騒々しい音を立てる四つ輪の四角い箱だ。
馬は何処へ行ったのか。あの箱は何だろう。どう動いているのだろう。
通りを行き交う人々の纏う衣は高麗の紗よりなお薄い。秋の深い頃というのに、寒くはないのだろうか。

奇轍の事を悪くは言えない。
微笑んだ私をどう思ったか、店主らしき男は目を瞠り、持ち込んだ薬瓶や腰飾りをしげしげと眺めている。
何やら柄のついた大きな丸い硝子で覗き込み、手に取って上下斜めに確かめると卓上の書を広げ、何やら訝し気に幾度も瓶と見比べてた。

「本物の高麗青磁ですね。十二世紀の象嵌青磁、官窯で焼かれたものです。
恐らくは宮中で使用されていたものでしょう。
詳しく調べればはっきりしますが、事によっては歴史資料として」
「それは間違いありません。確かに宮中で使われるものです」
頷いた私に驚いたように、店主が薬瓶から顔を上げる。

「ではこんな処で売らずに、然るべきところで鑑定を」
「構いません。金が必要なので」
「こちらのノリゲも、男性用ですが中国の元の時代の物です。文化価値が高いので」
「構いません。売ります」
「後々買い戻したいと言われても」
「申しません」

きっぱりと静かに断言すると、主は戸惑ったように頷いた。

 

*****

 

町に溢れる不思議な記号。医仙に教えて頂く事は出来なかった。
医仙の大切にしておられる天の書簡の中に溢れていた記号とそっくり同じ、天界の文字の洪水。

町行く民らの話す言葉はどうにか理解が出来る。
時折その中に不可解な単語が混ざる時以外は。
伝統茶房と書かれた看板に誘われて入店し、男二人で卓に向かい合う。

卓上に広げたのは、先程の古物商で得た収穫。
絹紐飾りと薬壺の二つと交換されたのは、何やら女人の肖像の刷られた黄色い紙の分厚い束だった。
「これは・・・」
「これが天界の、金という事でしょう」
「銅銭や布銭ではないのですね」
「銅銭はあるようです」

先程から見ていると、飲食を終えた客らは卓上に金を置くのではなく、店を出る前に出口の手前の一角で立ち止まり何やら遣り取りをする。
小さな札を出し、店の者に差し出された帳面に書き物をし出て行く者もいる。
今卓上に積まれたこの紙と似た、しかし赤や緑など色の違う紙を渡す客もいる。

そして店の者は時にその客に紙や銅銭を渡し返し、初めて客は店を出て行く。
恐らくあそこで金の遣り取りをしているのだろう。
暫く眺めてそう判じ、向かいの副隊長に静かに頷く。

しかし周囲の民達の視線が気に掛かる。
目立ち過ぎるのはよく判っている。何しろ私たちの装いが。

「カッコイイね」
「俳優なんじゃないの?そうじゃなきゃモデルとか」
「知ってる?」
「判んないけど、スタイルもいいし」
「何?撮影?」
「そうなんじゃない?」
「街中で?時代劇じゃん、あの衣装」
「新しいドラマなんじゃないの」

周囲の女人らが遠巻きに囁き交わす。
中には何か四角く薄いものを撮り出し、無遠慮に光と音を浴びせる者らも居る。
居心地は良くない。しかし何か飲まねば。

副隊長と差し向かいで向き合う言葉少ない卓。
小さな硝子の器に水を満たしたものを二つ運んで来た女人が私達の宅横で立ち止まると、周囲に聞こえぬよう小さな声で言った。
「お兄さん」

・・・天界で突然、妹が出来てしまった。驚いて副隊長と二人、その声を振り仰ぐ。
視線に目を丸くした女人は慌てたよう私達でなく、背後の客たちに目を走らせた。
「外国人ですか?えーと、ことば、わかる?」
ゆっくりした口調で言われ
「はい」
「無論判ります」

私達が頷くと困ったように、太く柔らかそうな薄い眉が下がる。
「そんな大金、テーブルの上に出してたら危ないですよ?早くお財布にしまった方が」
周囲の好奇の目を遮るようにゆっくりと水の器を卓へ置きつつ、女人は小さな声で諭す。
「これは、大金なのですか」
「・・・・・・え?」

私の問いに、女人は長い睫毛を瞬いた。

 

 

 

 

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