2016 再開祭 | 天界顛末記・丗

 

 

寒晴れの朝。不思議な面々で囲む朝餉の卓。
卓の上には五人分にしてはどう見ても多すぎる数の皿が並ぶ。

湯気を立てる汁、白く光る飯、見た事もない程に真赤に染まった菜。
魚、肉、銘々の箸休めのような大小の、色取り取りの皿の数々。
「ビンさん、昨日はお粥ありがとう。ビンさんのセンガン茶とお粥のおかげで、ソナもすっかり回復よ」

向かい合う卓の叔母殿はそう言うと、御医に向けて頭を下げた。
御医は目礼を返すと穏やかに微笑んだ。
「未だ治りかけです。油断されぬよう、温かくして下さい」
「だって。分かった?ソナ」

叔母殿は御医の言葉を受けると、脇のソナ殿を軽く睨んだ。
「はーい」
「可愛いファッションは良いけど薄着はダメ。だいたい今の若い子は真冬なのにミニスカートとか、アイドルかって」
「叔母さん・・・それ言い出したら、年取った証拠だよ?叔母さんこそスタイル良いんだし、まだまだ若いじゃない」

ソナ殿は笑みながら叔母殿の言葉を混ぜ返す。
その顔色は先刻部屋の玄関先で見た時よりも、ずっと良くなっている。

扉を開けた向こうの真白い顔。口許を強く抑えた指先までの白さ。
雪の所為にしては白過ぎると思った刹那、後ろから隊長に押された。

その後押しのお蔭で、呼び出しの誘いを断る契機さえ失った。
結局こうして卓を囲みつつ、後押しをした隊長ご本人は殆ど皿に箸を付けん。

「さ、さ、食べて食べて」
まるで気の短い母か世話焼きの姉のような口調で、叔母殿が俺達の飯椀の上に皿の肉を置いて行く。
それぞれ一つが拳半分もありそうな、大きな骨付きの肉の塊。
「若い男性の朝食なんだから、がっつりねっ!」

その声にソナ殿が笑い御医が頷いた時、隊長が静かに口を開く。
「この菜は、天・・・この国で、よく食べるものですか」
問われた叔母殿は不思議そうに卓上の皿を見渡すと
「ええ。家庭料理としてはありふれてるわ。パンチャンは家庭ごとに違うけど。
チョリム、ポックム、ムチムにチャンアチ。こっちはチゲ、それからチャプチェ。魚はカルチ。
全部よく食べるものばっかりよ。大丈夫?口に合う?何か苦手だったりしない?」
「・・・いえ」

隊長は首を小さく振ると、考え込むように皿の菜を見る。
「いつもこれ程」
「まさかあ!散々お世話になったし、騒がせたお礼と御詫びよ。
普段はもっと粗食だし、屋台やカフェで済ませる事もあるわ。ね?ソナ」
「うん」
「・・・かふぇ」
「そう。昼間伝統茶は飲み放題だから、朝くらいコーヒーが飲みたい時があるし。この子はすっかり伝統茶ファンだけど」
「私はいいの。コーヒーより伝統茶が好きなの」
「変なとこが韓国っ子よねえ」

ソナ殿と叔母殿は隊長の箸が進まんのも忘れたように、明るく騒ぐ。
恐らく隊長は考えている、いや、思い出している。
あの折天界から攫った、天門の向こうに待っておられる医仙の事を。
その程度の腹の裡は、ようやく判るようになった。

攫ったのは王命だ。俺も確かにこの耳で聞いた。
天門に入ろうとし、止めようとした俺に、隊長自身がおっしゃった。
─── 王命だ。

そしてあの天門をくぐった。無事戻れるかどうかすら判らんのに。
王命に従っただけの隊長が、罪悪感に苛まれる理由は何一つない。
「隊長」
「頂け」

それだけ残すと隊長本人は頭を下げ
「馳走になりました」
そう言って静かに座を立つと、そのまま俺達に背を向けた。

やがて玄関が静かに開く音。冷たい空気がここまで流れ込む。
続いて扉の閉まる音に叔母殿は不安げに卓を見渡し
「・・・韓国料理、嫌いだったのかしら。パンの方が良かったかな?」

その的外れなご配慮に、俺と御医は同時に首を振った。

 

*****

 

「ナウリ」
「・・・絶対に戻らぬ・・・」
「しかし」

二晩続いた雪がようやく止んだ朝。
真白い絹布団のように柔らかく積もった雪は、横たわれば高麗の懐かしい我が邸の寝台のように温かいのではないか。

覚束ぬ足許で雪に倒れ込みそうな私の体を慌てて引き起こし、良師が烈しく首を振る。
「確りなさって下さい、ナウリ」
誰の足跡も付いておらぬ白い道を歩いて行く途中、道端に青い布で覆われた小さな山が目に飛び込んで来る。

慌てて近寄りその大きな布を毟り取り、そのまま裸同然の体を覆う。
剥いだ青い布の下から臭い塵が出て来たなど、この際構っておれん。
背に腹は代えられぬ。早急に体を温めねば私とて命が危うい。

「御顔が蒼白です。早々に薬湯風呂に入らねば、御命に関わります」
「・・・帰らん・・・」
「膳も手に入らず、銀貨もありませぬ。手のつけようが」
「無ければ民から捥ぎ取って来い。衣だろうと膳だろうと金だろうと何だろうと!」

その時雪中を近付いてくる足音に声を止め、息を殺して傍の木の下へ身を潜める。
近付いた男は青い布を体に巻いた私に一瞥をくれると、その木を大きく避けて歩み去る。

これ程に惨めなものだ。金が無いとは。道端に落ちた布を奪って身に纏うとは。
このままでは本当に高麗の民草のように、道に落ちた喰い物を奪って喰ってしまう事にもなり兼ねぬ。
徳成府院君ともあろう者が。

私を避けた男は歩き去りつつ、薄い板を胸から取り出し耳に当てると
「すみません、ブルーシートを巻いたホームレス2人組がいるんですけど。迷惑なので保護してくれませんか?場所は」

何やらその板に呟きながら遠くなっていく。
あの板は一体何なのだ。金さえあれば手に入るのか。

ああ、何故もっと先に医仙に伺っておかなかったのだ。
天界を信じもっと早く確かめておけば、今頃は全てが手に入ったのに。
飢えも乾きも、心に空いた穴を癒す必要な物、全てが手に入ったのに。
「お前の所為だ!」

突然の怒号に脇の良師が目を白黒させる。
「な、ナウリ」
「お前が医仙を妖魔扱いした所為で、天界など出任せと疑った所為で何も伺う事が出来なかったのだ。
あれほど幾度も機会に恵まれていながら!」

胸倉を掴み白い地面に引き摺り倒して揺さぶると、良師の顔が寒さと恐怖に固まった。
「ナウリ、お鎮まりを」
「鎮まってなどおれるか!何処まで愚かなのだ、お前は!!」
雪の中でその胸倉を掴んだまま体を起こさせると、良師は髪も衣も雪塗れでこの手から逃げようと身を捩る。

我慢ならぬ。胸倉を掴む両手から雪より冷たく白い気が溢れ出す。

「ナウリ、いけません」
「煩い」
「丹田の気が枯渇しております。今放ってしまえば氷功は二度と」
「黙れ!」

目の前の白い雪景色が、まるで薄青の紗に覆われたように揺れる。
二度と遣えなくなろうと構わぬ。これからは天界で生きるのだ。
忌まわしい氷功も、教え込んだ憎い師も全て忘れ、天界で思うが儘に生きて行く。天界の全てを手に入れてみせる。
「お前の力などもう借りぬ」
「ナ、ナウ」
薄蒼い雪景色の中、その本気を感じ取り戦いた表情で良師が私を見た刹那。

雪中に聞いた事もない鋭い警笛の音が響き渡った。

良師と揉みあう木の上の枝から音に驚いた鳥たちが羽搏く。

その鳥達の羽搏きの所為で、枝に積もった雪が頭へ落ちる。

「はーい、仲間割れはそこまでねー!」

分厚く温かそうな見た事もない外套を纏った屈強な男二人が、黒革の手套を嵌めた手で私と良師を強引に引き離した。

 

 

 

 

1 個のコメント

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    ソナと叔母さんの もてなしは
    ここまで来たら 有りがたくいただいちゃいましょ
    あの二人…
    もう、 コントか?
    この極寒のなか 追い剥ぎにあい(笑)
    ブルーシートにくるまって
    仲間割れ…
    保護される? ふふふふふ

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