2016 再開祭 | 天界顛末記・廿弐

 

 

 
待つにも限度がある。

箱の中小さな男と入れ替わり、甲高い声の女が話し始めたのを契機に眸を開く。
凭れた背を壁から起こし
「今のこの場所は」

たとえチュンソクが欠けていても、刻は惜しい。
黄色い紙束の横、赤い印のついた紙を眺めて問えば女人が振り返り
「は、はい」
チュンソクに掛ける何処か甘えた声とは違う、張り詰めた声で頷く。

天界の国都図。
初めて見るそれは、戦時に見慣れた己の知るものとは余りに違う。
まるで町を小さく縮めて写したように、細かくそして不思議な程に正確に見える。

先刻男から受け取った赤い印のついた紙を広げ、女人は一箇所を指先で示した。
「うちはここです。さっきの警察はここ」

指が示す其々の点を確かめ、続いて最も近い赤い印を眸で探す。
雪の舞う寒さだ。
雪の中で高麗の衣のまま幾晩も表に居れば、捕縛前に凍え死ぬ事もある。

生きていても面倒だが、骸を担いで高麗に戻るのも意味がない。
生きて捕縛し王様に裁いて頂く事が一義、勝手に死なれては困る。
「あ・・・1枚じゃ不便ですよね?」

俺達が額を突き合せ紙を覗き込むのに困ったように言うと、女人はふと身を避けて首を傾げた。
「コピーしてきます。ちょっと待っててもらっていいですか?」
曖昧に頷いた俺達を確かめてから床を立ち、女人は先刻チュンソクが飛び出した扉を開けて出て行った。

口実か、それとも真実か。
もし口実なら苦労な事だ。
扉が開いた途端に吹き込んだ雪風は、寒さに慣れたこの身にも痛い程に冷たかった。

「如何して知り合った」
女人の姿が完全に消えてから、残った侍医に尋ねる。
「偶さか立寄った茶房にて」
侍医はそう言って、女人の消えた扉を見詰めた。

「あちらから近寄って来た訳ではない。企みがある訳では無いかと。私達の仔細も御存知ありません」
「ならば」
俺の声に首を傾げ、この顎が示す卓上の絵姿に侍医の目が移る。
「何故チュンソクの絵姿がある」
「・・・副隊長ではありません。ソナ殿の兄上だそうです」

これでチュンソクを兄と呼ぶ理由は判った。 頷く俺に怪訝な顔で
「それ程に似ておりますか。私の目には・・・」
承服しかねる表情の侍医が唸る。

人心を見抜く目には一目置いているが、こ奴も見誤る事があるらしい。
髭、髪、衣。確かにそれだけなら惑わされるだろう。別人だと言われれば信じるだろう。
しかしこの眼はチュンソクの眼だ。
俺の見る物を同じ高さで見、 この肚を無言のうちに読もうとする眼。

機会があれば一度会ってみたいものだ。チュンソクと並べばさぞや見物に違いない。
片頬で笑む俺を、侍医は不思議そうに見た。

 

「チュンソクお兄さん?!」
空を見上げていた俺に、突然部屋から出て来たソナ殿が小さく叫ぶ。
「ああ、頭!雪が積もっちゃってますよ!」

慌てた様子で首に巻いていた襟巻を外すと、小さな柔らかい両手が迷いなく俺の頭へ伸びて来る。
驚く俺を尻目に滑りそうな足元で爪先立ったソナ殿が、懸命に頭の雪をその手で払い落す。
そして外した襟巻をこの頭からぐるりと廻し、残った長い尾を首へ巻きつけて行く。

随分長い襟巻だ、そして大層温かい。
抗う事もなく為されるがまま目前のソナ殿を見ぬよう眼を伏せる。
ソナ殿は沈黙を恐れるように、襟巻を巻き付けつつ声を続ける。
「こんなに冷えて、風邪ひきますよ」
「はい」
「お部屋にビンお兄さんと、チェ・ヨンさんが待ってます」
「はい」
「チェ・ヨンさん、とってもハンサムなんですけど、緊張しちゃって。あの目は虎みたいですね」
「ソナ殿」
「はい?」

襟巻へ逸れていた黒い瞳がこちらへ戻る。
「あなたは何故、俺達を助けて下さるのですか」
「え?」
藪から棒の問いに目を丸くして、ソナ殿が声を詰まらせる。

「だって、困ってる時は・・・お互いさまって・・・」
「有難く思います。言葉に尽くせぬ程です。けれど人も増えました。当座の金には困りません。もうこれ以上」

もうこれ以上、近くに居てはいけない気がする。
離れなければならん気がする。俺達ではなく、この方の為に。
聞いた覚えもないのに胸が潰れる程懐かしい、この声の為に。

俺達の間にしんしんと雪は降る。
その雪の落ちる隙間を作ろうと、近過ぎるこの方から一歩退く。

「チュンソク・・・お兄さん?」
退いた一歩に戸惑うように、ソナ殿の指先が俺を追う。
その指を振り切るように頭を下げる。

「どうかこれ以上、構わずに」
「お兄さん?」
「これからもお力を借りる事はあります。情けないですが、ここにいる限り。しかしそれ以上は」
「・・・うちにいるの、イヤになっちゃったんですか?私、何か悪い事しちゃいましたか?」

大きく瞳を見開いて、粉雪の向こうからソナ殿が問う。
「イヤな事したら教えて下さい。直します。私、まだ韓国のルール覚えていないところがあるかも知れない。でも頑張ります。だから」
「ソナ殿」
「だから、出てくなんて言わないで。あと4日あります。お願いです。こんな寒い日に出てくなんて言わないで」
「ソナ殿」
「お願いです。一人で出て行かないで。帰る日までで良いんです。一緒にいさせて。ちゃんと最後に、笑ってお別れできるように。
きっとまた会おうねって、約束できるように」

また会おう。それは無理だ。
それを望まれるなら尚更に。
「ソナ殿」
「お願い」

俺の事を心配している場合ではない。
湿り気のない粉雪はソナ殿の温かそうな上衣の肩に、そして黒い髪の上に遠慮なく積もり始める。

頭に巻かれた襟巻を毟り、ソナ殿の頭から被せる。
先刻俺にして下さったように、そこへ巻きつけ雪から守る。
そして残った尾をゆっくり細い首へと巻いていく。

何をしてでも守りたい、俺の気持ちが仇になる。
また会おうと望まれる、そのひと声が枷になる。

巻き終えて更に一歩退き、雪の向こうの小さな立ち姿を確かめる。

「無理です」

首を振る俺に黒い瞳から頬を伝う雫。天界の雪は目に痛い。
溶けて溜まり、そして溢れる雪の水。

頭を下げた俺に、ソナ殿から返る声はなかった。

 

 

 

 

1 個のコメント

  • そっかぁ
    キョンヒ様も何度も生まれ変わりチュンソクと出会う運命なんだ

    姿形、出会う形は違えど必ず同じ時を過ごしお互いを想いお互いを守ろうとする
    ヨンとウンスとはまた違った運命の相手
    ソウルメイト、バターハーフいくら時の輪廻を繰り返そうと出会う2人なんだ

    この時はソナさんのお兄さんとして
    守って亡くなったなんて…それ切ない

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