2016 再開祭 | 晩餐・前篇

 

 

【 晩餐 】

 

 

「ねーえ」

なぜこうもすぐ判るのだろう。声のひと欠片だけで。

覗き込む瞳が、視線の伏せ方が、小さな息遣いが、頸の角度が。
何を望むか、何を訊くか、佳き事か、悪い事か。

この方の声は舶来の硝子瓶のようだ。中も向こうも透け見える。
嘘も偽りも誤魔化しも無い、何処までも透明なその欠片。

今日の企みは何だと首を傾げる。
余程良い事を思いついたらしい。
見開く瞳も、紅潮した頬も、嬉し気に上がる口許も、顎の下で拝むように合わせた細い指先も。
「・・・何ですか」
「反対しないよって言って?」

これだ。此処からだ。そうして先回り、俺の逃げ道を塞ぐ。
戦時ならば大した策士になるだろう。己の懐刀にしたい程。

ねだるような甘い声、頭を傾げ流れた髪から漂う花の香、心配そうに寄る柳眉の根。
そうして美しさを武器に俺に挑む。

花蛇の邪心なら見抜く目はあっても、そうでないから厄介だ。
何れにしろ此方が勝てぬと知っているのだろうにと腹が立つ。

「何をです」
「だって、ダメって言われたら困るもの。あなたにうんって言ってもらわないと先に進めないの。
だから先に良いよ、って言って?」
「言えません」
「言ってってばー。うんって言ってくれたら教えてあげるから、ね」

教えてあげる。
その上からの物言いがおかしいと微塵も思わぬ処が不思議で堪らん。
頼み込むのは其方側ではないのか。三顧の礼で臨むのが当然だろう。
「無理です」

肚も読めぬ、何を頼まれるか判らぬのに先に頷く馬鹿が何処に居る。
始まった寝台の上の睨みあい。

心地良い夏の風の抜ける寝屋、揺れる蝋燭の灯。
寝台に敷いたこの方好みの、さらりと乾いた薄麻の敷布の上。
胡坐をかき直し、真直ぐその瞳を睨む。

どれ程惚れようと、全て手放しで赦せる程の腑抜けでは無い。
何しろ何処に駆け出すか、その口から何が飛び出すか、全く読めぬ方を相手にしているのだ。

頑迷さにいよいよ癇癪を起したこの方は寝台に細い足を延ばし、地団駄を踏むように暴れる。

「頭が固い!妻が聞いたらうんって言ってくれなきゃ困るのよ!どうしていっつも何ですか、何故ですか、って聞くの?
素直にうん 良いよって言ってくれたら話が早いのにー!!」

好き勝手な事を散々怒鳴り散らした挙句、ころりと寝台に転がってその小さな軽い頭を納める。
気に入りの枕のように、最初から待っていたと言わんばかりに其処にあったこの胡坐の膝の中。

そうして其処からこの眸を見上げて、にこにこと笑うのだ。
美しさを武器に寄り、聞き分けのない事を叫び、幼子のように駄々を捏ねた事など全て無かったように。

それはまるで白旗。武装を解いた兵の負け姿にも似た、余りにも無防備な姿だから。
だから心配になるのだ、不機嫌だったはずなのに。
折れる程細い項にこの武骨な踝が当たり、痛みはしないかと。
そうして見おろすこの方は、この眸を見上げて笑って言った。

「ヒドさんと3人で、ご飯食べよう?いい?ダメ?」
「・・・ヒドと」
「約束したでしょ?こんなに暑いのに、お酒ばっかり飲んでたらきっと夏バテしちゃう。体にも良くないでしょ?」
「イムジャ」
「元気でいて欲しいの。あなたの、私たちの、大切な家族なんだもの」

俺を気遣いつつそんな風に優しい事を小さく囁くから、この眸はつい笑ってしまう。
最初から素直に言えば良いだろう。首を横に振る訳が無い。

だからこの頬に伸びた指に誘われるように、体を屈めてしまう。
亜麻色の乱れ髪が半ば隠した陶器の滑らかさの白い額に、唇で約束の印を押す為に。

 

*****

 

「見つけたー!ヒドさーん!」

真昼の往来、人目も憚らず呼ぶ声に身を翻し狭い脇道へ滑り込む。
あの女人、何処までも懲りぬと見える。
ヨンの忍耐は認めるが、此方まで巻き込まれるのは真平だ。

そこまで考え苦笑が浮かぶ。

名を呼ばれ確かめもせんのに、あの女人しか思い当たらぬ己の狭さ。
振り向いて全く違う顔が其処に在ろうと、何の不思議もない。
あの女人が己を呼ぶ理由すらどれ程考えようと思い当たらん。

それとも或いは、呼ばれたいのか。
あの明るい声に呼ばれ、明るい笑みを眺めて安堵したいのか。
ああ笑っていると。不安も怯えも無ければそれで良いと。
それこそ奴が護っている、生きている証だと確かめたいのか。

そんな風に考えるから、脇道の逃げ足が止まる。
その間に近付いた顔が息を切らせ、脇道を覗き込む隙を与える。
此処が戦場、相手が敵なら死んでいる。

「どうして隠れるの?かくれんぼですか?」

空とぼけた事を抜かしながら、額に汗を浮かべた女人が笑う。
「・・・イムジャ」
その脇に、呆れ顔で呟く弟を従えたままで。

 

 

 

 

婚儀の日にウンスがヒドに「ご飯一緒に食べましょう」って誘ってましたよね?
そして次の日にヒドも「ウンス、こんど茶でも飲もう」だったかなぁ?
(ごめんなさい、うろ覚えで(^^;)
その約束ごとを実現させてあげて欲しいです~~♪
(hinami様)

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