2016 再開祭 | 天界顛末記・廿参

 

 

「遅くなりました」

部屋の扉内へ踏み入るチュンソクの青白く強張った横顔。
肩に残る雪を玄関先で払い落とす乱暴な掌。
「申し訳ありません」

沓を脱ぎ部屋へ上がると、奴は卓の一辺へと腰を降ろす。
部屋はこれだけ温いというのに、頬に赤みが戻る事は無い。

戻ったチュンソクを出迎えた侍医が、斜向かいの奴へ問う。
「ソナ殿と会われませんでしたか。先刻国都図を持って外へ」
「・・・はい」

会ったという意味か、知らんという事か。
何方とも受け取れる曖昧な返答に侍医が目を眇めた。
「副隊長、な」
「隊長、御医」

珍しく侍医の声を遮るように、チュンソクが声を上げる。
「居所を移っても構いませんか」
「・・・どういう事だ」
「これ以上こちらで、ソナ殿や叔母殿の御厄介になるのは如何かと。
この後奇轍と接触すれば、高麗へ戻るまでの間に御二人にご迷惑の掛かる恐れが」

提議ではない。こいつは決意している。離れると。
侍医は逆に穏やかにチュンソクを宥めるよう諭す。
「ならば寧ろ、此処で御二人をお守りした方が宜しいかと。無闇に離れ、良い結果になるとは限りません」
「チュンソク」

違う。先刻の中座はともかく、今のこれは明らかに口実だ。
こいつはそんな理由で此処を離れようとしているのではない。
こんな簡単な事の計算も立たん程、愚かで使えぬ男ではない。

百歩譲って奇轍と接触したとすれば、そのまま捕縛し高麗へ戻る。
万一取り逃がせば、奴らが俺達のこの居所を確かめるすべはない。

高麗とは違う。あの男の寄る辺などこの世の何処にもない。
それがあるくらいならあの男が獄へ繋がれるなど有り得ん。
「理由は」
「隊長」
「離れる理由は」
「それは・・・」
「言えぬ理由なら認めん」

言えん理由なら口には出すな。それが最後の声になる時がある。
置き去りの真実は二度と伝わらぬまま、死ぬまで悔いる事がある。

俺は、俺達は誰よりもその怖さを知っている。
死と隣り合わせの兵として。命を扱う医官として。
「真実を告げぬとしても、嘘は吐くな」
「隊長、そ」
「・・・何かおっしゃったのですか。ソナ殿に」

今日は一体どうした事だ。先刻はチュンソク、此度は侍医。
声の終わりを待たずに割り込む声が続く。
「おっしゃったのですか、副隊長」
「・・・はい」

侍医は珍しく荒々しい音で床を立ち、続いて扉を急いで開ける。
雪の積もり始めた外階段を駆け下りる姿が窓外に映り、雪の中すぐに見えなくなる。

どいつもこいつも様子が変だ。俺の居ぬ間に一体何があったか。
言える事なら言っているだろう。言わん事こそ真実だ。
隠れた声の重さに首を振り、オンドル床へと横たわる。
腕を枕に眸を閉じた俺に向け、チュンソクが深く頭を下げる気配がする。

礼なのか、詫びなのか。
何方とも受け取れる深さと長さに、狸寝入りで息を吐く。
目の前のこいつも雪中に飛び出した侍医も、俺に一体何を隠している。

 

*****

 

「な、ナウリ」
「・・・何も言うな」
「しかし、このままでは」
「何も言うでないと言ったろうが・・・」

怒鳴りつけたくとも声が出ぬ。限界の空腹と寒さで。
天界にも雪が降るのだ。
高麗と何一つ変わらぬ、骨の髄まで凍らせる冷たい雪が。

「このままでは凍え死にます。せめて屋根のある処へ」
「屋根があっても温かいとは限らぬ」
「それでも雪は凌げましょう」

吹き曝しの大きな広場。
目前の石畳は見る間に真白く色を変え、辺りに立つ木の枝に薄らと粉雪が乗ってゆく。
夏場ならば未だしも、葉を落とした立ち枯れの冬樹では、雪を凌ぐ助けにはならぬ。

真青な顔に青黒く変わった唇を震わせ、良師が私の顔色を見る。
「お顔が真青です。このままでは」
「ならば探して来い。温かく過ごせる場所を今すぐに」
「・・・いっそ、帰ってはどうでしょう」

良師は恐る恐る言った。
「漠然と天界に居ても、こうして飢えと寒さに震えるだけで、ナウリのご希望は叶いません。
一旦高麗へ戻り、あの妖魔を締めあげて必要なものを聞き出し、準備万端整え今一度」
「馬鹿げた事を申すな。迂達赤が追って来た。二度と容易に医仙に近づく事など出来ぬ。近づく時は殺す時」
「では殺せば」
「殺せば聞き出す事が出来ぬであろう。聞き出せぬ情報を得る為に帰る愚か者が何処に居る。再び来られる保証もないというのに」

もううんざりだ。これ程計算の立たぬ愚か者だとは知らなんだ。
この程度の事も判らぬ奴でも殺さず手元に置いておるのは、私の手足となり動く、その一点に尽きるというのに。
それなのに宿を探すでも、膳を用意するでもなく、私の顔色を窺い、愚にもつかぬ事をうだうだ述べるだけなど。

「あんたら」

その時目の前の白い石畳に荷を引き摺るように通り掛かった一人の男が足を止め、こちらへ向かって声を上げる。
恐ろしく汚らしい身なりに蓬け髪、近くに寄れば鼻が曲がる程臭いに違いあるまい。
私の投げる軽蔑した視線など気にも留めぬか、汚らしい男は値踏みするよう私達を上から下までじっくり眺め、次の瞬間に半ば抜け落ちた歯を剥き出して笑った。

「上品な身なりだが、行く場所もないのかい。こんな雪の日に」
「煩い、さっさと去れ」
良師が穢れを払うよう片手で男を追う。
犬のように扱われても、男は気を悪くする素振りすら見せず
「よかったら一緒に来なよ。食い物をご馳走してやるよ」

そう言って雪の中から私達を手招いた。

 

 

 

 

2 件のコメント

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    高麗へ帰る日まで、ソナさんの側に居られるようにしてあげて欲しいです。
    兄のようなチュンソク。
    そのチュンソクに、少しだけ兄プラス…の想いも入り始めたソナさん。
    別れは、初めから分かっていること。
    せめて、兄か、兄プラス…のチュンソクさんに、側で見守ってあげて欲しいです。
    いい男3人…
    ソナさんのお世話を受けることが、ソナさんの心を助けることになるのだろうと思っています。
    さて…寒空の中の、キチョルと良師。
    助けてくれそうなのは、やはり、寒空で過ごしている人かなあ。

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    なんとも もやもやな状況で…
    ヨンの経験上? 嘘はだめなのよ
    余計に傷付く。でもさ、あなたたち
    ことば足らずなのよぉ ε-(•́ω•̀๑)
    困ったさん達に救いの手が…
    相変わらず 態度デカいわね
    みなさんに 嫌われないようにね。

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