2016 再開祭 | 天界顛末記・廿壱

 

 

「ソナ殿」

不思議そうな目を俺達に向けるソナ殿に、チャン御医が静かな声を掛ける。
「はい」
「・・・あれは一体」

御医の指す狭い箱の中。
小さな男は見るからに熱そうな赤い塊を背に、意味の判らん声を続けている。

太陽。黒点。影響。最大活動値。四日後。警戒。迂回。注意。

聞き取れるのはそんな言葉の端々くらいのものだ。

「稀にあるんです。太陽の難しい事は私も分からないけど、活動が活発になって、地球の電磁波が狂うとか。
ケーブルTVが映りにくくなったり、大切な機械に影響が出るから、飛行機が航路を」
そこでぴたりと口を閉じると、ソナ殿は慌てて俺たちを見渡した。
「お兄さん!4日後って、ちょうど約束の一週間目ですよ?帰りのフライトに影響が出ないですか?もし良かったらリコンファームを」

この人は何故、こんなに真直ぐで懸命なのだろう。
何故こんなに懐かし気に不安気に俺達を・・・もっと言ってしまえば、俺の事を見るのだろう。

お兄さん、そう呼ばれる度に不思議な心持ちになる。
離れて暮らす実の妹に呼ばれる事すら滅多にないせいか。
それとも疎遠の罪滅ぼしのつもりか。

しかしそれだけなのだろうか。
俺の気持はそれで済んだとしても、ソナ殿がこれ程懸命な理由にはならん。
「・・・お兄さん?」

一つだけ判るのは、この人を守るという事だ。
毎朝早く遠慮がちに扉外で掛かる声。両腕に抱えた朝餉。
それだけでも十分な恩義だろう。
出会えなければ、奇轍を悪しざまに言えぬ困窮に陥っていたかもしれん。
雪の降る中、右も左も判らん天界の道端に放り出されていたかもしれん。

だから守る。その恩義に報いる為に。
それだけの筈なのに、何故これ程に懐かしいのだろう。
天界に来たのは初めてなのに、この人と顔を合わせた事など一度もないのに。
「チュンソクお兄さん?」

チュンソク。

初めて呼ばれた声に、馴染んだ己の名に、何故胸が痛むのだろう。

無言のままの俺にようやく気づき、隊長と御医が訝しげに見ている。
その視線を視界の隅に感じているのに、何故返答が出来んのだろう。
考え過ぎが得意だとしても、これでは幾ら何でも度を越している。
何処かでこの声を知っている。出逢った事すらないこの呼び声を。

チュンソク。

そう呼ぶ者など多くはない。父母とそして隊長。数え上げても片手で事足りる。

呼ばれてソナ殿へどうにか視線を移す。
黒い髪。白い頬。不安げなその顔の向こうに重なり揺れる、 屈託のない笑顔。

チュンソク。

黒い髪、白い頬、片手で掴んで胸に押し付ければ隠れてしまう顔。
その癖決して大人しく隠れて下さらず、そこから俺を見上げる瞳。

そんな方は知らん。俺にそんな方は居らん。
それなのに何故俺は今にも泣き出しそうなのだろう。
ソナ殿以上に見知らぬ笑顔に。聞いた事もない声に。

今叫べばその名前が飛び出して来そうで、ようやく重い口を開く。
そして口は空しく開いたまま、喉に痞える名は飛び出す事はなく、吸い込んだ息がただ胸の奥に重苦しく溜まっていく。

あなたは誰ですか。

名前さえ呼べば判る気がする。全ての縺れた糸が解ける気がする。
泣ける程懐かしい理由もそして守りたい理由も、守らねばならんと心を駆り立てるその訳も。
「・・・チュンソク」

痺れを切らしたか、それとも流石に不安に思われたか。
隊長に低く呼ばれた声に頷くと
「・・・申し訳ありません。頭を冷やして来ます」

全員から目を逸らし、頭を下げて温かい床から腰を上げる。
無言のまま部屋の戸を抜け表に出れば、外は一面の銀世界。

黒い空から落ちる雪。
天を見上げて息を吐けば、白い塊は風に流れて消えていく。

呆けたよう空を見上げたまま目に入る雪に瞬きを繰り返す。
溶けて溜まって溢れた雪水は、目尻から頬を伝って落ちる。

その雪のひとひらが、聞いた事すらない懐かしい声で呼ぶ。

─── 雪だ、チュンソク。

あなたは一体、誰ですか。

 

*****

 

追い掛けるか。 放っておくか。
奴の飛び出した後の扉を肩越しに眺めて迷う。

明らかにチュンソクの顔色が変わった。女人に名を呼ばれた途端。
あの男が軍議の最中に、中座する程動揺した。

この眸で見ても信じられん。天界とはいえ、いや天界だから尚更に。
この軍議がどれ程の大事か、あの役目一途の馬鹿が判らぬ筈が無い。
侍医も同じ事を思ったのだろう。珍しく穏やかな目に動揺を浮かべ
「隊長」
それだけ短く呼んだ。
「・・・放っておけ」

役目馬鹿が飛び出さざるを得ん程に心を乱したなら、落ち着くまで待つのみ。
その声に頷くと、侍医は姿勢を正し男の入った箱に向き合う。
まるでその意味の判らぬ声の中から何かの情報を得るように。

立膝で鬼剣を膝に、壁に凭れて眸を閉じる。
石の如く黙りこくった俺に呆れたか。
閉じた瞼の向う、侍医の溜息が部屋に響いた。

 

 

 

 

3 件のコメント

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    はあっっ……(。>д<)
    チュンソク、ソナ…切ない限りですね(泣)
    チュンソクの恋、成就させてあげたいですね……
    キッチョルはキッチョルで心配です!
    ご飯てべてるのか、寒くないのか?
    キッチョル私はにくめないんですもん♪♪♪♪♪♪♪

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    ソナはまだだけどチュンソクのあの方ですか!?
    もしそうだと素敵ですけど( ´艸`)
    ますます冷え込んで来たのでお体を大事に過ごして下さいね

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