2016 再開祭 | 天界顛末記・拾弐

 

 

「叔母さん、ちょっと入って良い?」
「・・・いいわよー・・・」
私に向けて目で頷くソナ殿に小さく頷き返し
「失礼します」

声をかけてソナ殿が開いた扉から、共に室内へ静かに踏み入る。
「お兄さんね、韓方のお医者様なの。心配して来てくれたのよ」

寝台に丸くなった叔母殿に向けて、ソナ殿が声を掛ける。
布団から億劫そうに目を覗かせ、叔母殿はどうにか頷いた。
「この二日酔いが楽になるなら大歓迎よ・・・診てくれるの?」
「ええ」

そう言いながらその目を覗き込み、舌色と顔色を判じ、掛け布団の下の手首で脈を読む。
「失礼します」
掛け布団を捲りその腹に手を当てて揺らし、振水音を確かめて
「五苓散に致しましょう。すぐに材料を手に入れて参ります。先ず鍼を打って宜しいですか」
診断を下す声に頷きながら、叔母上は頭の痛みに顔をしかめた。

地機と復溜、中脘と梁丘に鍼を打ち終え部屋を出て、其処に立つ副隊長に苦笑する。
「典型的な宿酔、水毒です」
「治るのですか」
「体内の余分な水を排出して巡らせれば問題ないかと。薬湯を飲むまでもありませんが、飲めば助けにはなります」
副隊長は私の声に、安堵したよう頷いた。

「ありがとう、お兄さん。支度してきます。ちょっと待って下さい」
言い残し別の扉へ駆け込むソナ殿の背が消えてから、副隊長に静かに声を掛ける。
「此処が昨日の茶房からどれ程離れているか、見当もつきません。府院君が何処まで移動したかも判らない。
とにかくまずはあの弥勒菩薩像の近辺を、虱潰しに当たりましょう」
「では、拠点はソナ殿の茶房に」
「ええ、それが妥当かと思います。あの茶房が菩薩像と目と鼻の先に在る事は判っていますから」
「確かに、天門の様子も確かめねばなりません。閉まれば戻れない」
「はい」

茶房への日参、徳成府院君の捜索。軸が定まれば後は実践のみだ。
それもこれもまずは叔母殿の酷い宿酔が収まった後に。

その時扉向うから聞こえた
「ああ、何か楽になった気がする・・・」
叔母殿の声に副隊長と私は目を合わせ、肩を竦めて息を吐いた。

 

*****

 

「沢瀉、茯苓、蒼朮、猪苓、桂皮」

ソナ殿に連れられて訪れた薬令市。
風に漂う強い香りに、副隊長は驚いたように周囲を見渡している。
「天界にもこのような処があるのですね」
「ええ。医仙の天の医術とは、かけ離れているようですが・・・」

あの方が高麗で施す医術は、私には全く理解出来ぬものが多かった。
しかしこうして薬令市を歩けば、親しみのある薬剤が其処彼処の箱に詰め込まれている。

天界では医術には幅があるという事か。
私のような漢方医もいれば、あの方のような神技を用いる方もいらっしゃるのだろう。
ならば天界であの方のような医術を修められれば。
もしくは帰って医仙に漢方医術をお伝えできれば。
一朝一夕に成せる事では無い。
けれどそうすれば私達は共に、高麗でより良い医術を施す事が出来る。

「五苓散をお作りですか」
薬剤を確かめた店の主に問われて顔を上げる。
「はい」
「相当な目利きの方と拝察します」
主は楽し気に笑い、私の差し出した薬剤を指す。

「とんでもないことです」
「ご謙遜を。あの雑多な籠の中から、これ程良い薬剤をお選びになる方は久々だ。
お若いのに、大したものです」
微笑み続ける主に頭を下げ、黄色い紙を一枚その手にお渡しする。
主は釣と思われる紙をこの手に返しながら
「最近の方はパックの韓方薬にすぐ頼られます。それではいけません。
それぞれの証に合わせて処方してこそ、初めて効能がありますのに」
「ええ」

ぱっくの韓方薬というものもあるのか。薬剤の袋と釣を受け取って頷くと
「あなたの患者は幸運です。是非またいらして下さい」
あながち世辞ともいえぬ心の籠った声に頭を下げ、副隊長とソナ殿と共に店を後にする。
「お兄さん、ほめられてましたね」

市の大路を歩みつつ、ソナ殿は明るい笑みを浮かべて顔を上げる。
「なんだか私まで嬉しかった!」
大路を跳ねるように歩く小さな姿。
慌ただしく行き交う通行人が、その肩にぶつかりかける。

私が動くより早く逆脇の副隊長が半歩前に出で、ソナ殿を体で庇う。
「あ」
副隊長の体に守られたソナ殿は、庇われて初めて気付いたようだ。
目前の壁になった副隊長の短衣の裾に、指先で掠めるように触れる。
「・・・ありがとう、ございます」

副隊長は庇ったソナ殿を優しく見降ろし、当然と言う顔で頷いた。
「人が多い。お気を付け下さい」
「・・・はい」
そう言って俯くソナ殿の頬が赤い。

副隊長にしてみればごく自然な事だ。恩義に預かりこうして守る。
隊長の教えを誰より忠実に遂行する方だから、決して目を離したり手を抜いたりする事はない。

しかし隊長も副隊長も予想の外なのは人の心だ。
王様や王妃媽媽とは明らかに違う、このソナ殿の表情。
守られて当然という立場でない方が、こうして献身的に守られれば。
まして今まで守っていた兄を失った妹が、己を守る男性に出逢えば。

副隊長に守るなとは言えない。言えばその仔細も話さねばならない。しかし。

雑踏の中で吐いた私の息に、気付いた副隊長が視線で問う。
こういう処は大層敏感なのに、女人の心にはお気づきにならない。
そんなところまであの隊長を踏襲せずとも宜しいでしょうに。

何でもないと首を振り返し、私達は連れ立って再び人波を歩き出した。

 

 

 

 

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