2016 再開祭 | 閨秀・陸

 

 

長い夜が明けたと報せる法螺の音が、薄紫の兵舎の窓外に響く。
もう良かろうと三和土の上で体を起こせば、既に下階に人の気配がする。

しかしあなたは寝台上で掛布に包まり、体を丸めたままだ。
「医仙」
ようやく射し始めた朝陽の中で、その小さな塊に呼び掛ける。
「・・・んー・・・」
「起きて下さい」
「・・・うん」
「着替えて下さい」

そう言って三和土から下りた俺を眠たげな瞳が追い駆ける。
「・・・もう、朝?」
白い指先で目許を擦り、いつもより嗄れた声が戻って来る。
「はい。飯に行かねば食い逸れます」

そこで眠たげな瞳がぱちりと開く。
「それはダメ!」
「運びますか」
「ううん。みんなにも挨拶してないし、ちゃんと」
「判りました」

飛び起きた姿に片頬で笑み私室の扉へ向かえば、寝台から慌てたような声が掛かる。
「あ!」
「・・・何ですか」

突然の大声に驚き、足が止まる。
振り向いて階から確かめれば、寝台から此方を見上げたあなたが花のように笑んで言った。

「おはようございます、隊長」

 

*****

 

あの人はきっとすぐそこ、部屋のドアの外にいるんだと思う。
まだ半分寝ぼけたまま、慌てて着替えてる耳に声が聞こえて来る。

「おはようございます、隊長」
「眠れましたか、隊長」

その声にパジャマ代わりの着物を脱ぎながら、思わずニッコリ笑う。
私だけじゃないのね、あなたにそんなあいさつするのは。
みんなの大きな声がとっても嬉しそうで、何だか安心する。

あなたの事を大切に思ってくれてる人はいっぱいいる。
きっとあなたも、それを知らないわけじゃないのよね。
ただ感情を表すのが下手だから、きっと今も不愛想な顔をしてると思うけど。

「・・・終わりましたか」

考え事の最中に扉の外から急に聞こえたあの人の声に、思わず飛びはねるくらいビックリする。
その拍子にベッドの上に用意しておいた鎧や剣が、ガチャガチャ音を立てて床に転がり落ちた。

その音があまりに大きかったせいか、扉の外からあせったみたいなあなたの大声が呼ぶ。
「大丈夫ですか!」
「入ってきちゃダメ!!」
自分の着物の胸元を押さえてベッドの上で体を丸めて叫ぶと、ほんの少しだけ開いた扉が驚いたみたいにすごい勢いで閉じる。

バタン!!

その音だけで目に浮かぶわ。あなたのビックリした顔。
きっと耳を赤くして目をつぶって、扉に背中を向けてるに違いない。
想像するだけでおかしくて、そんな場合じゃないのにベッドの上で声を殺して笑い転げる。

今日は絶対に、もう一組布団を借りてこなきゃ。
もうかなり冷えるのに、いつまでもあなたを固くて冷たい木の床の上に寝かせるわけにいかない。

だけど何も見えてないのにあんなに慌てて扉を閉めるくらいだし、同じベッドで並んで眠るなんて起きるわけないから。
そんな融通のなさも、頑固なくらいの男らしさも全部、全部。

そこまで考えて熱くなった両頬を押さえて、私はベッドに突っ伏して両足をばたつかせた。

 

*****

 

丸く結い上げた紅い髪。
女人が着るとこれ程大きいのかと、改めて思わせる迂達赤鎧。

大きな食堂の窓から入る白い朝陽の中、桃色の頬、薄茶の瞳で皆を見詰める天の女人。
隊長の大切な方と判っていても、浮世離れした美しさについじっと見つめてしまう。

「・・・新入りだ」

食堂に集まった奴らの興味津々な顔を前に、隊長が苦虫を噛み潰したような顔で言った。
冷やかしの声が上がろうものなら突いてやると、立てて構えた槍の出番はないらしい。
食堂の中は静まり返り、次の声を待っている。
医仙は隊長の声に促されるよう、ぺこりと頭を下げると
「ユ・ウンスです!よろしくお願いします!」

明るく言って、嬉しそうに笑って告げた。
「健康相談も受け付けますよ?ケガ、病気、古傷の痛み。もしも何か心配だったら、いつでも来てね?」

その頼もしい声に食堂の長卓に腰掛けた兵の奴らから歓声が上がる。
まるで兵舎に明るい花が咲いたようだ。

これでは隊長も心配でならんだろうな。
兵も悪気があるわけでは無くて、ただ隊長と医仙が並んでいるのが嬉しくて笑っているだけなのだが。
それは隊長には伝わってはいなそうだ。
それが証に隊長はその兵達の視線を断ち切り、医仙と奴らを隔てるように斜め前へと大きく一歩出る。

医仙は立ちはだかった隊長の背の影から慌てたよう顔を覗かせると、長卓の俺達に向けてひらひらと両手を振って見せる。
「王妃媽媽の往診の時と急患の診察以外は兵舎の中のどこかにいるから、どんどん遠慮なく声をかけてね?」

そんな暢気な医仙の声に心底気分を害したように、此方を向いている隊長の眉間に深い縦皺が刻まれる。
隊長の背にいる医仙にはその顔は見えんだろうが、それを見つけた俺達は鎧の背を正して一斉に黙る。

あの顔をした時の隊長はまずい。相当虫の居所の悪い顔だ。
医仙に意味なく声を掛けたが最後、歯が折れる程殴り飛ばされるに決まっている。
触らぬ神に祟りなし。
だが当の医仙は隊長の背から急に黙り込んだ俺達を見渡し、不思議そうに首を捻る。
「えーと・・・私 居候みたいなものだし、みんなみたいに戦えないし。
待ってるから、気楽に・・・どんどん・・・遠慮なく」

気楽にどんどん、とおっしゃればおっしゃるほど、隊長の眉間の皺は深くなっている。
気楽にどんどん。この隊長の顔を見てそのように話など出来る強者がいるわけがない。

最後に隊長がごく小さく咳払いをすると
「新入りは三人一組で動く。組合せは各組頭に聞け」

そう言うと視線だけで背の医仙を振り返り
「行きましょう」
呟いて返事も聞かず、医仙の腕を掴むと引きずるように無言で食堂の扉を抜けて行く。
「え。待って、ご飯食べたい」
「外で」
「待ってよ!これからお世話になるし、みんなともっと話が」
「挨拶は終えたでしょう」
そんな遣り取りの声が、朝の兵舎の径を遠くなっていく。

「て、じゃんが・・・」
声が届かなくなる程遠くなってから、ようやく兵達が呆然と互いに顔を見合わせる。
「嘘だろう」
「俺たちの前で」
「女人と手を繋ぐなんて・・・」
「あんなにしゃべるなんて」
食堂中が騒めく中、俺は構え直した槍の石突で烈しく床を突くと、その勢いで立ちあがった。
「ふざけるな!」

肚の底からの怒声に、食堂中の奴らの騒めきが途端に引いていく。
「王様から推された新入りだ。隊長が面倒見て当然だろう!
俺達はつべこべ言わずに、黙って死ぬ気で新入りを守れば良いんだよ!!」
「トルベの言う通りだ。今後隊長の許可なく上階には行くな。隊長に急用の時は」

副隊長が俺の声の後を継ぐと、その視線で食堂中の兵を見廻す。
「テマナに伝えろ。良いな」
「はい!」
「暫し立入禁止の場所と時間が増える。詳しくは各組頭に聞け。痛い思いをしたくなければ、必ず守れよ」
「・・・はい!」

あの隊長の様子を見れば、どれ程鈍い奴でも判るだろう。
単なる脅しとは思えん副隊長の声に、食堂中の全員が深く頷いた。

 

 

 

 

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