2016 再開祭 | 智仁勇・前篇

 

 

【 智仁勇 】

 

 

明るく眩しい夕陽の中に影を伸ばし、父上が帰って来る。
どんなに遠くに離れていても、その影の形ですぐに判る。

「父上!」

そう呼んで走り出す俺の背で、火を守る爺が火吹き竹を下ろすと肩を叩いて積もった灰を払う。
そしてシベクはその横から、井戸で汲み上げた水を小さな手桶で爺へと渡す。
きっと婆やは厨の中で、夕餉の仕上げをしているだろう。

鉄原の宅の庭に溢れる陽射し。漂う夕餉の匂い。

素早く身支度を整え、父上の出迎えの為に門へ走る爺に追い抜かされないように、夕陽の中の影に向かって今日一番速く走る。

 

「今日はどうであった」
夕餉の後の卓で向かい合う父上は、穏やかな声で尋ねられた。

「シベクと、それから書堂の友達と、川まで行って来ました」
「釣りか」
「はい」
「釣れたか」

父上は尋ねた後に夕餉の献立を思い出したのか、ふと可笑し気に微笑まれた。
「それならば、夕餉が一品増えていたな」
「誰も一匹も掛かりませんでした」
「餌には何を使った」
「川蚯蚓を」
「ふむ」

父上はふと考え込むように黙り、そして居間から暮れ行く空の色を見た。
「ヨンア」
「はい、父上」
「次に雨が降ったら、その後は蛙を餌にしてみよ」
「蛙」
「そうだ。そのまま鈎にかけて泳がせてみよ」
「分かりました」

どんな魚が釣れるのか。早く雨が降れば良い。
そう思いながら父上に続き、何処までも続く春茜の暮れ空へと目を向けた。

今はまだ雨の気配はない。
風は静かで、雲は足を止め、重なり合う縁を淡い桃色に染めている。

「さて。腹は満ちたか」
「はい、父上」
顔を戻して父上を拝見し頭を下げた俺の前、父上は座を立った。

「それでは墨を磨れ。今晩は論語の続きからだ」
「はい」

俺は食後の手口を漱ごうと、父上に続いて席を立った。

 

*****

 

「子曰 其身正 不令而行 其身不正 雖令不從」

陽の落ちた書斎の中、父上の落ち着いた声が響く。
そこで声を切り、卓向かいの俺を静かにご覧になる。

「判るか」
「はい、父上」
「解いて見よ」
「子曰く、自分が正しい行いをすれば令を下さずとも周囲の人は従いて来る。
不正な行いの者には、たとえ命令を下そうと人は従いて来ぬ」

俺の声に満足そうに頷く父上の彫の深い顔に、油灯が映した影がゆらりと揺れる。
「ヨンア」
「はい、父上」
「エスク・・・叔母との鍛錬は楽しいか」
「はい!」
「そうか。どんな事をしておる」
「棍の素振りです。まだ剣を握るには早いと」
「そうか」

父上は丁寧に手許の論語を閉じられると、卓上の紙や筆を硯箱へと仕舞い始めた。
それに倣って己の道具を片付ける俺に
「ムン・チフ殿からの御教えは如何だ」
と、穏やかにまた尋ねられる。

今宵の父上は、質問が多いな。
それでもこんな風に宵を共に過ごせるのが嬉しくて、片付けの手を止め姿勢を正す。

「叔母上とはまた違います。師父はまず息を覚えよと。調息を繰り返し、教えて下さいます」
「そなたの為だ」
「はい、父上」
「学問も武道も同じ。基礎を繰り返すのだ。繰り返す度に違う道を見つけられるようになる。
それまで見えなかったのは、己の力の不足からと気付ける」
「はい」
「学友とは仲良うしておるか」
「はい、父上」
「それならば良い」
「ただ・・・」

続きを言い辛くて言葉を濁すと、父上が視線で先を促した。
「如何した」
「一人だけ、腹の立つ者が居ります」
「腹の立つ者」
「はい。新たに来た者で、安 東燮という」
「アン・ドンソプ・・・父君は待講院のアン文学だな」
「よく判りません」

正直にお答えしたら、父上はさも楽しそうに笑みを深くされた。
「それで良い。親の官位など子には無縁だからな。それで何故そのドンソプに腹が立つ」

今日の昼を思い出し、口汚い罵り言葉を堪えようと唇を強く噛む。
そんな俺を辛抱強く見守って下さる父上に、どう話し始めて良いかを悩みながら。

 

 

 

 

新婚旅行をした時、和尚さまがヨンの子供のころのエピソードを少し話してくれました。柿のお話だったと思います。ヨンの子供のころのお話を、読みたいです。誰かが同じこと書いてくれてたような気がしますが、子供のヨンをリクエストします。
(たおるまんさま)

 

 

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4 件のコメント

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    今晩は、もし出て来るなら 。許嫁亡き後のヨンの事が、知りたいです。ヨン自身どうしてたか?是非一度考えて貰えませんか?宜しくお願い致します。勝手言いまして申し訳有りません。

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    ヨンの子どもの頃の様子…を、リクエストしてくださった読み手様、ありがとうございます。
    あの、温厚で知的でヨンの母だけを慈しんでくださった父。
    言葉、会話…の一言一言に、
    父子の穏やかなひとときを感じます。
    崔瑩…という 漢 が育った過程を感じとれて、
    ジ~ンとします。
    まだまだ可愛い、チェ・ヨンくん。
    でも、きっと、正義感溢れるチェ・ヨンくん。
    父と息子…、このエピソードが暖かい!
    二人を、シベクと爺と過ごした二人だけを、
    感じていたい。
    鉄原の…

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    お父様の
    「それで良い。父君の官位など子には無縁だからな。の言葉に、
    ヨンが
    「家柄や身分は15番目」
    「縁故は105番目」と言った言葉を
    思い出しました(^^)
    父と爺とシベク
    ヨンの幼い頃の楽しかった時間。
    素敵なお話ありがとうございます!

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