2016再開祭 | 茉莉花・卅壱

 

 

「あんた、知ってたの?この人が火傷してるって?それなのに今まで放っておいたの?お父さんにも話さずに?
何かあったら、どうやって責任を取るつもりだったの?」

確かめるウンスの声が震え出す。
チェ・ヨンは横に立ち、袖口に隠して小さな手を握る。
ウンスがどれ程民を気にかけているかを知っているから、掛ける言葉すら見つからない。
ただ思う。この娘は絶対に許せない。

さすがの判院事も、此度だけは庇う事を諦めるしかない。
迂達赤大護軍と医仙の前で、娘が自ら罪を暴露したのだ。
ただ確かめるように娘の顔を見て、冷や汗を流しながら問うだけだ。
「く、琴珠。そうなのか。お前が何かしたのか」
「何もしていません!」

便利な涙だ、またしても。
クムジュは父親に咎められた途端、まるで井戸に放り込んだ釣瓶から水が零れるように、器用に涙を流して見せる。
「私はただ、油蜜菓を頼んだだけです!なのに駄目と言われて、厨を出る時に奴婢に油が飛んだだけで」
「してるじゃないの、立派に!!」
「大監」

これ以上の諍いに巻き込まれるのは御免だ。
これ以上ウンスを泣かせる事はしたくない。
チェ・ヨンは低い声を挟んだ。
「この者より、人貢は徴収しておられるか」

奴婢が主人に収める悪しき慣例の税に言及すると、判院事は強張った顔で頷いた。
こうして正直に頷いてしまう。心根の悪い者ではないのだ。ただ前後の見境が全くつかぬだけで。
しかし攻める機会を失す訳にいかないと、チェ・ヨンは声を続ける。

「では大監はこの者を守る義務がおありだ。娘御の好きに扱える玩具ではない」
「て、大護軍。この子は何も」
「大監より王様にお伝え下さい。王様が御判断を下されるでしょう。某は見聞きしたままを御報告するのみ」
「大護軍、それは待ってくれんか!儂から言い聞かせる、必ず」

まるで女の悲鳴のように、判院事が一声高く叫ぶ。
「琴珠様」
男の悲鳴を聞き流し、続いてヨンは縁側の上のクムジュへ向き直る。

「卑しいと呼んだ方は畏れ多くも王妃媽媽の御命を御救いした上、王様より直々に高麗医仙の位を賜った方です。あなたとは位が違う」

突き放した冷たい声、そしてもっと冷たい黒い眸。
「その医仙への無礼は即ち王様、そして王妃媽媽への不敬。
この方の診る患者が卑しいとは即ち王様、王妃媽媽を卑しいと呼んだも同然」
「ちぇ、ヨン様」

クムジュの流す空涙が止まる。そうだ、それこそが本来なのだとヨンは思う。
人は己の犯した罪の大きさの前には、涙も呼吸も止まる。

「近衛迂達赤としてそんな女人と関わる訳にいきませぬ。某との婚儀の下らぬ夢など今この場でお忘れ下さい」
「大護軍、医仙!!」
門での出入りの誰何が面倒なのか、それとも屋根からの出入りが近道なのか。
肩に桃色の荷を担ぎ、判院事の屋根の上からテマンが呼んだ。
振り仰いだ姿に小さく頷いた後、ヨンはクムジュに向き直る。
最後の一槌を振り下ろす為に。

「我々の婚儀は王命にて執り行われます。御父上をこれ以上困らせたくないならば、呉呉も邪魔しようなどと思わず」
「だって、だって」
此処まで来てもだってだってか。
幼いとはいえその執念深さに、ヨンは怒りを通り越し笑えて来る。
「琴珠様」

立ち尽くすウンスへと一歩寄ると、先刻の言い争いでまだ息を弾ませる細い背をそっと支える。
「某は、あなたが卑しい医官と呼んだ方を心よりお慕いしています。
故に王様と王妃媽媽だけでなく、この方を卑しいと呼んだ琴珠様を絶対に許しませぬ」

最後に告げて、駆け寄るテマンから荷を受け取ろうとクムジュに背を向ける。
ヨンの黒い眸がクムジュに向くことは、その後二度となかった。

 

*****

 

判院事の宅での治療の間、ウンスはしつこい程に幾度も火傷を負った奴婢に繰り返した。
「火傷は怖いんです。お願いだから薬だけはきちんと塗って、薬湯は忘れずに必ず飲んで下さいね」

汲み直した新しい水で十分傷を冷やした後、改めて薬で湿らせた布で傷を拭き、軟膏を塗りながら
「これが軟膏です。水膨れが潰れないように優しく塗ってね?」
そして軟膏を塗り終えた傷を布で包みながら、テマンの運んだ薬袋を上げて示し
「薬湯の煎じ方、分かりますか?朝昼晩のご飯から一刻経ったら飲んでください。1日3回、忘れずにね?
4日後に念のため、うちに来てもらっていいですか?ここから近いんです。場所、分かりますか?」

ウンスの手ずから渡された軟膏の器と薬包に、無言を貫いていた奴婢の顔が曇る。
「う、医仙様。大護軍様」
何だと眸で問うチェ・ヨンと
「どうしたの、痛い?大丈夫?」
言葉で確かめるウンスの二人を順に見ると、
「私、お支払いできません・・・ですから・・・」
「わ、儂が払う!儂が必ず払おう、だからこの一件は王様には」

慌てた判院事がここぞとばかりに大声を張り上げる。
ウンスは噴き出すのを堪えるよう、縁側から横を守るチェ・ヨンを見上げた。

お 金 だ っ て。

花のように紅い唇だけが咲き開く。ヨンはそれには答えず、ただ片眉をほんの少し上げて見せる。

「大監」
その声に救いを求めた判院事の靨を浮かべた両手は、今にもヨンの長衣の裾を握り締めそうだ。
「部下がお持ちした薬は、総て典医寺のもの」
テマンがそれを裏付けるよう、ヨンの横で黙って頷く。

「つまり王様の御薬と同品です。大監とはいえ、金子で解決出来る代物では」
「ちょ、王様と・・・」
目を剥いてウンスの手元の薬袋を見ると、判院事は恐る恐る訊いた。
「医仙、大護軍、そんな貴重な物を何故奴婢の為に・・・部下の方を走らせてまで」

ウンスは一瞬眉を寄せてから、取り繕った笑みを浮かべて見せる。
チェ・ヨンにはその意味が判る。判院事の権勢など糞喰らえだ。
そんなものを気にすれば最初から娘を怒鳴ったりしないだろう。
ウンスは今、怪我人に余計な心配を掛けまいと笑っているのだ。

「だって大切なんだもの。あなたの腕」
そう言って腕の布の巻具合を確かめるよう、その上から一度だけ軽く押さえてウンスは立ち上がる。
「私には王様や媽媽と同じくらい、大切なんだもの」

呆然と見開かれた奴婢の両目から、次に涙がぼろぼろと落ちる。
この家で初めて、本物の涙を見た。
チェ・ヨンは思いながら、奴婢の泣き顔から眸を逸らした。
本当の涙とはそういうものだ。
関わりのない者、拭えぬ者は、見てはいけないと思わせる。

 

 

 

 

皆さまのぽちっとが励みです。
お楽しみ頂けたときは、押して頂けたら嬉しいです。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ
にほんブログ村
今日もクリックありがとうございます。

にほんブログ村 小説ブログ 韓ドラ二次小説へ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です