2016 再開祭 | 金蓮花・拾弐

 

 

陽の高いうちは人目を避けた険しい道を。
陽が落ちれば邑へ近づき、そして宵闇に紛れ町へと入る。

安州。
周辺の守りの要の一つ。以前指揮を取り、様子を見知ってもいる。

だからこそ感じる。宵闇の町に漂う気配がおかしい。人気が無い。
息を潜めた夜の町の不穏な空気の中、肌を刺すような厭な気配だけを感じる。

開いた店は多くない。
一件の酒屋の店先の行燈の灯に誘われるよう、横のあなたが沓先を向ける。

飲まず喰わずで残りの十と九日を過ごす訳にはいかん。
俺なら一食二食抜けても、この方には辛抱出来ぬだろう。

入口への階を駆け上がりそうな腕を押さえて留め、周囲に素早く眸を走らせる。
きな臭い気配が思い過ごしなら良いが、そう考えられる程甘くない。
何れこの先は争わず斬らず逃げ果せるなど出来る訳が無い。
それでもこの方の面前で人を斬るのは出来るだけ避けたい。

己の為でも相手の為でも無く、流血を望まぬ心を傷つけたくない。
斬るならこの方の目の届かぬ処、そして苦しませず一息に。

そう考えて息を吐き、肚を決めて頷く。
「入りましょう」

店の木戸を開き、一歩踏み込んだ途端に一斉に向いた視線。
さすがのあなたも気配に呑まれたか、俺の半歩前の足が竦む。

其処に居並ぶ男は六人。四人組、そして二人組。
それを確かめ、逆に肝が据わる。成程な。
こんな奴らがうろついていては町の気配もおかしくなる。

男らの視線。余所者の俺達が珍しいのか、この方が目立ち過ぎるか。
若しくは全く違う理由でか。

脇の細い肩を強く抱き、その男らの視線の中を奥の卓へと進む。
一つの卓を選び、そのまま硬い椅子へ腰を降ろす。

厭な気配は強まる一方だ。唯一考えるべきはこの方の身の安全。
この方の荷を鬼剣ごと卓の上へ置き、近付く店の女に短く告げる。

「つまみを二つ」
「はい」
女が卓を離れると、あなたは店内を見渡し明るく言った。
「ねえ、私たちも一杯飲まない?」

周囲の男達の気配を読みつつ、眸の前のあなたに小さく首を振る。
あなたは諦める気は無いか、可愛らしい顔で指を一本立てこの眸へ無言でねだって見せる。
一杯だけ、という意味だろう。

碌に立ち止まる事も寝ませる事も出来ず、一日中険しい道を歩かせた。
此処に来てまで楽しみを奪うのも気が重い。
それ程ねだるなら、一杯くらいは良いだろう。
あなたが俺並みに酒に強い事を祈るしかない。

ほんの僅かだけ唇を持ち上げると、向かい合う顔が嬉し気に輝く。
「すみませーん!」
あなたが明るくその腕を上げた刹那。

一斉に再び向いた視線に、上がるその手首を掴まえて降ろさせる。

人目を集めぬに越した事は無い。
一度目は偶然、二度目は必然。逃げる身で人の目につきたくない。
この肚裡など知らぬ気に、向かい合うあなたは近付いて来た女に暢気な声を上げる。
「あれ、お酒ですよね?ここにもお願いします」

近付いて来た女は注文するあなたではなく、俺に向けてどうすると目で確かめる。
仕方なく顎だけで頷くと、声も返さず女は再び卓を離れた。
「こことよく似たお店を知ってるわ。マッコリが最高なの」

あなたの長閑な声が耳を過る中、男達の気配を探り続ける。
単なる偶然で居合わせただけか。それとも俺達を狙う者か。
狙うのだとすれば動きはある。それも早いうちに。
黒幕へ渡りをつけるか、それとも自ら襲い掛かるか。

二人組の男達の顔は笠に隠され覗けぬ。
しかし四人組の男達の方は見る限り、鍛錬された様子はない。

その時四人組の卓から男が一人立ち上がり、この視界の隅を表へ出て行く。
どれ程で戻って来るのか。戻って来る時も一人なのか。
一先ずその動きに注視しつつ、この肚をどうにか宥めて策を練る。

この方を護るのが先決だ。斬らずしてこの場を切り抜ける手立て。
傷つけたくはない。怖がらせたくもない。
流血を望まぬあなたの前で、返り血に濡れる俺を見せたくもない。
最後に俺のそんな姿を憶えていて欲しくない。勝手な言い草だ。

すぐに運ばれた酒瓶と二つの盃。
卓へ置かれたつまみを挟んだあなたが嬉し気に手酌で満たした杯を掲げる。

「乾杯、将軍」

そう言って盃を合わせると美味そうに喉を鳴らして一口煽り、未だ口すら付けぬ俺に尋ねる。
「飲まないの?」
その声に促され不自然に見えぬよう、杯の中身を一口含む。
「考えたら、一緒にお酒飲むのって初めてよね?」
「はい」

以前もこの方はおっしゃった。ぱあとなあの話の折に。
時に酒を呑み交わし、その日の出来事を伝え合う。そのように関わりあうのがぱあとなあなのだと。

あの時は困り果てた。この方とどのように関わり合えば良いかと。
こんな風に護るなど、これ程離せなくなるとは思いもせずに。

俺は全てが後手後手だ。起きてから気付く。
心が動いてから。あなたに辿り着いてから。

大切だったのだと。離せなかったのだと。
どれ程のものを捨ててもあなただけは、捨てる事など初めから決して出来る筈など無かったと。

だからこそ二度と遅れは取らぬ。起きてからでは遅い。
見えなくなって姿を探し、返らぬ声を恋しがっても遅過ぎる。

先手必勝。油断させこの手の際まで引きつけ一気に片をつける。
例えこの方が何一つ気付かず、暢気に酒の話ばかりしても。

「お酒、好きじゃないの?」
「はい」
「何で?」
「イムジャ」
「うん」
何にどれ程驚いたのか、この方は呼び声に目を丸くして頷いた。
「今、と言ったら伏せて下さい」
「え?こんな感じ?」
突然の俺の声に、この方が伏せる真似をしてみせる。

「今!」

その声にこの方がもう一度伏せた瞬間。
椅子を蹴って立ち上がり、此方へ襲い掛かった四人組の初めの男を、先刻まで掛けていた椅子を振り上げ思い切り殴る。
砕けた椅子の木片が音を立て店に飛び散る。
右から来た二人目の男の斬りつける剣腕を掴み、そのまま三人目の腹をその剣の峰で全力で打ち付ける。
そのまま剣腕ごと突き離した男がもんどり打って床へ尻をつく横、四人目の男の胸目掛け蹴りを見舞う。

その男の足がふらつき、卓へ体を打ち付ける烈しい音。
大きな悲鳴を上げたあなたがその男を石床へ叩き落とす。
立ち上がり左右から再び襲おうとする二人の腹と胸をそれぞれ蹴り飛ばすと、四人の男達は完全に戦えぬ体で床で伸びる。

「大丈夫ですか」

店の奥の椅子の上に身を伏せている方へ確かめれば、噎せ込んだあなたが残っていた卓上の盃を一息に煽る。
酒を飲めるゆとりがあるうちは良いだろう。

床の四人のうち先刻外へと消えた男の衣の懐から覗いた紙。
近寄ってそれを引き抜き、眸の前に広げる。
書かれた二枚の人相書き。一枚にはこの方の、もう一枚は思った通り己の似顔が。
「これって私たち?指名手配されてるの?」

俺の手元の紙を覗き込み、あなたが驚いたような声を上げる。
「人相書きです」
俺への殺害許可。この方は生け捕り必須。そして。
「イムジャには、高額の賞金が」

殺せと書かれぬ分まだ良い。少なくともあなたの命の危険は減る。
「ひどい!こんな顔してないわ。ずいぶんじゃない?」
「これ程の懸賞金では、この先の道中は決して楽には行きません」
「似てるかな?」

一体何処に感心しているのか。
あなたは俺の手から人相書きを奪い、納得いかない声で唸ると幾度も確かめ、この顔と照らし合わせる。
「似てる、かな」

店に残ったままの二人組。
此方を眺めるでもなく厄介を避け逃げ出すでもなく、妙に冷静に杯を煽る不自然な佇まい。
戦場でどちらを相手にするかと訊かれれば、間違いなくあの四人組と答えるだろう。
敵にするには、この二人の男らの方が厄介だ。

逸らしたままの視線。笠に隠した顔。卓の影に立て掛けたままの剣。
四人組は露骨に漂わせた胡乱な気配。しかしこの男達が纏うのはそうではない。

殺気だ。

無言でその場に居据わる二人の男を、俺はじっと眺めた。

 

 

 

 

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